■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房-
人間がいかに自然の摂理の中で、無駄に生命力を浪費して生きているかが分かります。捨てるところがない生き方が少しでもできればと思います
「自分の内側にある能力の芽を大事に活かすべし」と言われても、
それが何なのか分からない人も多いかもしません。
ヒントとしては、
子どものころに自分が興味あったもの、
得意だったものなどの周辺を探ればいろいろと出てくるはずです。
しかし、本来の自分がどういう人間で、
どんなことに興味を持っていたのか、
それすらも分からなくなっている人が多いのです。
その原因は、
人から受け身でエサを与えられて育ってきたことにあります。
by. 桜井章一氏
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親からも学校教育からも、
あるいは社会という大きな存在からも「知識」や「情報」や「モノ」や「お金」といったエサを与えられ、
それを当たり前のように食べて育っている。
与えられたエサで飼い馴らされているのです。
しかし、そのエサは人工的なエサです。
そこには当然、不純物や毒もたくさん混ざっています。
人工のエサに対して、
自然のエサとは食物連鎖の中から生まれるものです。
by. 桜井章一氏
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自然の中で暮らす生物はみんな、
食べたり食べられたりする連鎖、
相互関係の中で生きている。
厳しいけど、
だからこそ必ず自分以外の誰かのために生きているとも言えるわけです。
自然のエサは自分で見つけなければいけません。
人は本来、
エサを一方的に与えられるのではなく、
自分でエサを見つけて得る生き物なのです。
by. 桜井章一氏
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DNAに眠っているその感覚をよみがえらせれば、
自分でエサ=興味のあることを見つけられるはずです。
産卵を終えて川で死んだサケは、
熊や鳥に食われたり、
分解されて小さなプランクトンのエサになったりします。
そこには無駄のない命の循環があります。
産卵のために全身で新しい生命の役に立って死んでいく姿は感動的です。
by. 桜井章一氏
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こういうことを、
まさに「捨てるものがない」と言うのでしょう。
そんなサケの産卵を見ると、
人間がいかに自然の摂理の中で、
無駄に生命力を浪費して生きているかが分かります。
人間もサケのように捨てるところがない生き方が少しでもできればと思います。
自分にある能力を見つけるために大事なのは、
前述したように人工のエサを排除することと、
そしてもう一つ重要なことがあります。
by. 桜井章一氏
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それは「感謝心」を持つことです。
感謝心というのもマイナー力の一つです。
感謝心というのは、
あらゆる事柄の要になります。
「自分には何もない」と思うことは、
生命を持っているという大切さにも気づいていないわけですから傲慢なのです。
感謝心があれば、
「大切心」が起こってくる。
by. 桜井章一氏
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だから感謝心を持っていれば、
自然に大切なものが見つかります。
そして大切なものがある人は、
強くなれるのです。
大切なのは、「愛」ではないのです。
「愛は万能だ」という人は嘘っぽい。
しかし感謝心は、
ある意味で「万能だ」と言えるかもしれません。
by. 桜井章一氏
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まだ一歳にもならない子どもですが、
毎日遊びに来るたびに、
必ず別れ際には「ありがとう」と言っています。
感謝心を自然に持ち続けられること。
そういうものがなくなったら、
私自身、ダメになってしまうと思っています。
100のうち10もあれば十分です。
それ以外できないことが90あったっていい。
by. 桜井章一氏
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なぜなら自分ができなくても、
他に10できる人が九人集まれば100の能力になるからです。
なにも、10の能力を50や70に増やそうとすることはないのです。
自分の中にないものを、
無理矢理得ようとすると、
どんなに努力しても「できない悩み」をやがて抱えてしまう。
そうすると精神状態が悪化して、
「妬み」が入ってきたり「嘘」が出てきたり、
いろいろな部分で「病」が出てくるのです。
by. 桜井章一氏
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自分のできることが10なら、
それを認めて納得し、
その10を磨けばいいと思います。
そしてその10のものを仲間が持ち寄って、
何かをすればいいのです。
できないもの同士が集まって支えあうから、
打算的な利用関係にならない「温かさ」や「思いやり」、
「感謝」などが生まれる。
そしてそれが「仲間」という存在になるわけです。
by. 桜井章一氏
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友人というのは、
だいたい同じくらいの能力を持った人同士がくっつきますから、
関係が良いときはお互い切磋琢磨して、
「10の者同士、11とか12になるように頑張って足して行こうね」
と向上していける。
お互いに愛情を持っていますから、
いい状態のときは感謝心を持てるでしょう。
しかし、ちょっと関係が悪化したり、
社会的な立場や環境が変わってくると、
途端に愛が憎しみに転じて、
足の引っ張り合いになることがある。
似たもの同士なだけに
「冗談じゃない、あんたに言われたくないよ」とか
「あんたのせいでこうなった」とかマイナスの気持ちが生じて、
10のものが9や8に減ってしまうこともあるのです。
by. 桜井章一氏
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仲間とはそういうものではありません。
みんなで何かを成立させるという一つの共同体ですから、
趣味や育ち、立場はバラバラです。
しかし、お互い持ちつ持たれつで協力し合うという気持ちさえあれば、
しっかりと支えあえるのです。
どんなに頑張っても、
一人の力には限界があるからです。
by. 桜井章一氏
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一人ではダメでも五人なら、
五人がダメでも十人なら……
とやっていくうちに、
きっとその石はひっくり返せる。
一人の力は少なくても、
それぞれ持っている力を合わせることで可能になるのです。
そうなると、
「あなたがいて良かった。ありがとう」
というお互いへの純粋な感謝心が生まれる。
この気持が大事なのです。
by. 桜井章一氏
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そういう気持ちになれば、
能力が1や2の人でも必要とされる社会になります。
1の能力を持ったひとが来て、
「ちょっと手伝いますよ」と仲間に入ってくれた。
そのおかげで見事にひっくり返せた、
ということもあるでしょう。
そんなとき、
1の能力の彼はものすごくありがたい存在になります。
by. 桜井章一氏
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