人は「数」に価値を見出すから、そこに苦しみや煩悩が沸いてくる。深さは弱気に打ち勝ち、重さは無謀に勝る

■超絶 ~真の強者になるための麻雀戦術論 心を揺らすな~ -竹書房-

人は「数」に価値を見出すから、そこに苦しみや煩悩が沸いてくる。深さは弱気に打ち勝ち、重さは無謀に勝る

東牌、こりゃ、
すごく強そうに見えた。

男、それも武士の立ち姿のようだ。

二刀流の宮本武蔵が、
2本の刀をだらりと下げた構えのごとき印象を受けた。

南牌 は相撲取り、
西牌 は戦車、
北牌 はジェット機のように見えた。


by. 桜井章一氏

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ピンズはもちろん花、
ソーズは真っ直ぐに伸びる竹であった。

後ろで見ている私からすると、
ピンズが三つ揃うと花飾りのように見え、
白牌 が揃うと雪山の美しさを連想したりするのだが、
友人は自分の思い通りの「数」が揃わないことに、
明らかに苛立っていた。

人は「数」に価値を見出すから、
そこに苦しみや煩悩が沸いてくる。

数合わせからゲームに入り、
思うようにならない「数」に苦悩し、
目指し、己れを見失い、
人や自然さえも忘れ去ってしまう。


by. 桜井章一氏

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麻雀というゲームが数合わせと捉えられている以上、
そこでは道楽者の独りよがりの域を越えることはありやしない。

「数」という魔物、
その中で人は蠢いている。

権力とは「数」の上の頂点に立った極みといえる。

国民はそんな姿を見て、
「数」を追う人間の醜さを当然知っているはずなのだが、
他人事として捉えるのみで、
己れにも「数」の魔物が潜んでいることを認識していない。


by. 桜井章一氏

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人の本質がそうであってはならないように、
麻雀の持つ本質も、
決して「数」で思考判断したり、
「数」で見極めようとしたり、
「数」を目的としたりするものではない。

人は本能として欲望ある限り、
「数」の価値観を拭い切れるものではない。

人に「数」がついてまわる限り、
せめて私は「数」より「行」を優先させ、
もう少しだけ踏ん張りたいと思う。

この世に「数」させなければ、
とつくづく思う。


by. 桜井章一氏

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麻雀とは、決して数合わせではなく、
筆でもって絵を描くようなものなのだよ。

人(私も含めて)は大人になることで、
心の中に悪臭を残す。

そんな悪臭だらけの大人に囲まれて育つ子どもたちにとって、
救いの道は、
思い切って悪臭を外にさらけ出すか、
心の内部に隠し込むかの二通りしかない。

世間(大人の作る)には、
欲望が渦巻く中、
たくさんのいじめがはびこっている。


by. 桜井章一氏

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■群れない生き方 -ソフトバンク文庫- 私は私の道を歩くために生まれてきた。 誰か他の人が歩いた道をなぞるために生まれてきた...

だが大人たちは、
世間とはそういうものよと割り切り、
これを仕方がないことだとしている。

世間に生きる自分の父や母が、
いじめる側かいじめられている側かを見て育つ子どもたちに、
大人の作る風習が伝染するのは当然のことといえるのです。

そう言いつつも、
悪いことなら直すという方法すら取らない。

大人たちは一様に、
いじめられない側に行くための努力をするだけなのです。


by. 桜井章一氏

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心の中に、醜く臭い、
目に見えない悪臭が充満している我々大人たちが、
それに気づかぬまま、
子どもたちをしつけ、
指導しようとすること自体が間違っているのです。

麻雀において建設とスピードは、
とても重要視されます。

昨今の一発・裏ドラルールでは、
面前でじっくり手を進めていき、
リーチを絡めて大きな手を仕上げる方法も、
かなり効果があるのですが、
的確な鳴きを入れて、
スピードを増加させることは、
より大切であるといえるのです。

麻雀の流れが生み出す場合には、
様々な型があるのですが、
その中に面前場、
喰い場というものがあります。


by. 桜井章一氏

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まず、鳴き方のコツとして、
両面喰いは極力避け、
トイツかカンチャン面子から鳴きを入れることがあげられます。

いくらスピードが大切だからといって、
両面チーを重ねて和了っても、
それは楽や焦りからの目先の和了りにしか見えません。

鳴くというリスクを背負った上で、
はずみがつくような和了りにしなければいけません。

例外として、
終盤あるいはリーチが他者から入った時は、
両面からの仕掛けもあります。


by. 桜井章一氏

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■群れない生き方 -ソフトバンク文庫- 世の人々はいつの時代も"成功者"や"権力者"、 あるいは"体制"といったものに流され...

二萬、三萬、四萬、伍萬、六萬、三筒、三筒、六筒、七筒、三索、四索、西牌、發牌

という手牌でいるところに、
五筒 を切ってのリーチが入りました。

こんな場合の喰いの目安として、
まずリーチ者の捨て牌を見ます。

そこに 四萬 や 七萬、
二索 か 五索 が切られていたら、
即、鳴きを入れます。

なぜならリーチ者が切っている牌は、
他家から出てきやすいからです。


by. 桜井章一氏

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鳴いた側にしてみると、
リャンシャンテンからの喰いなのですが、
この 五筒 チーは、
がっぷり四つに闘える鳴きなのです。

例えば、リーチに対して他家の慎重派(意気地なし)が、
現物を落とし切った後、
二萬 を強打してきた。

この場合はよほどの手が仕込まれているか、
三萬 や 四萬 の暗刻のカベを頼っての 二萬 落としですから、
リーチに対して 三萬、六萬、
四萬、七萬 待ちを警戒することができます。

また、鳴く側からすると、
三萬、六萬、
四萬、七萬 待ちが残る形は苦しいと考えられるので、
そんな場合は見をすればよい。


by. 桜井章一氏

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「止める」と「オリる」
とは違うのである。

また、逃げることと辛抱、
我慢とは違うのである。

できちまった流れや状況に応じて、
本当にクサい牌や強過ぎる牌、
打ったら他人様に迷惑をかけるような牌を止めて打つのが我慢である。

逆に自分だけの都合や、
単に出ていない牌を止めて打つのはただの逃げに過ぎない。


by. 桜井章一氏

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これは決して辛抱とは呼べず、
止めた(逃げた)ことによって、
完全に流れを失っていく。

己れの置かれている状況を、
深く鋭く計ったら、
周りがどんな事態が生じようとも、
勇気を失ってはいけない。

和了りまで、
あるいはイーシャンテンまで強く進んで行くべきだ。

こうすることで、
目先の麻雀ではない、
意志の麻雀が形成されてくるのです。


by. 桜井章一氏

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また、真の止めではなく、
逃げてオリるということが、
より己れを苦しい状況に陥れるということに気づかなくてはいけない。

麻雀は、
和了することだけが目的ではない。

和了りまで到達する手牌や流れもあれば、
リャンシャンテンまで頑張れば上等、
という状況もある。

それらをしっかり計ることが、
流れや状況の見極め、
読みの深さへとつながるのです。


by. 桜井章一氏

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「深さは弱気に打ち勝ち、重さは無謀に勝る」

中盤過ぎ、
下家から出された2枚目の 六筒 を鳴くべきかどうかという問いであったが、
これに対して、
私は鳴きを入れるべきだったという回答を出した。

理由は、上家が切った2枚目の 六筒 がツモ切りだったからです。

上家が、六筒 トイツ落としなら、
未だ動かずで結構。


by. 桜井章一氏

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だがツモ切りの場合、
五筒、六筒、六筒 の手牌から1枚落としていた公算が強い。

よって2枚目がツモ切りということは、
実質3枚目の 六筒 と考えられるので、
喰った方がよかったのだよ、と。

可能な限りの高い確率で、
的確な鳴き、
見を決めるためには、
鋭い瞬時の判断力(感性・勘)が必要なのはいうまでもありません。

またそのためには、
麻雀の持つ深さを知り、
人の持つ重さで対処していくことが、
大切であるといえるのです。


by. 桜井章一氏

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