強さとは、「流れ」に沿っていく能力であり、敗れる者は自分の「欲」で負けるのです

■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-

強さとは、「流れ」に沿っていく能力であり、敗れる者は自分の「欲」で負けるのです

つらい思いをして勝ちとった勝利や幸せだからこそ、
勝ちがあるし、
喜びも大きい。

ですから、
ボクシングの場合のように、
打たれ強くないと駄目なのです。

人のせいにしたり、
満貫を振り込んで、
くよくよするようでは駄目で、
やられたらやりかえす気持ちを持っているようでないと、
決して強くはなれない。


by. 桜井章一氏

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人から「修行はつらかったでしょう」と聞かれることがありますが、
私はつらいことが大好きです。

人間は、
つらさがあって初めて壁を乗り越えることができるのです。

それを逃げているようでは、
進歩なんかない。


by. 桜井章一氏

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二日間の戦いで、
二時間くらいしか寝てないときがけっこうありました。

もちろん、つらいです。

そういう状態で勝負しないといけないときもあったのです。

そんなとき、
たいていの人は、
身体のせいにしてしまう。

「寝てないからなあ、大丈夫かなあ」
「うまくいかないだろうなあ」とか。


by. 桜井章一氏

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私は逆です。
「あ、チャンスだな」と思う。

いわゆる不運を、
与えられた手だ、
テーマだと思うのです。

その中で、
どうにかすればいい。

そういう状態で麻雀を打ちつづけると疲労感がなくなってくるのです。

これは、身体のだるさを我慢しているのではない。


by. 桜井章一氏

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我慢してるうちは、我慢ではない。

鍛錬していると思えてるうちは、
いまだ鍛錬ではない。

鍛錬しているという意識がなくなって、
自然にやっている行為が本当の鍛錬です。

よし、これから強くなろう、
鍛錬しよう、
と思って我慢してる状態というのは、
本当の意味での我慢でも鍛錬でもないということです。


by. 桜井章一氏

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■精神力 ―強くなる迷い― -青春新書- つねづね私は「人とは矛盾で出てき粘土細工である」という言葉を使い、 いろいろな出来...

瞑想している、
という意識があるうちは、
真の瞑想ではないということと同じです。

真の瞑想というのは、
三昧の境地です。

そこでは「私」という意識も、
瞑想しているんだという意識もなくなってしまっているはずです。

つまり、つらさはつらさではなくなる。
つらいことと楽しいことを分けて考えてはいけないのです。


by. 桜井章一氏

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王陽明は「知行合一」をいい、
知と行、
思いと行為、
幸と不幸、
心と身体、
というそれぞれ二つのものは、
本来一つであり、
分けられないものだ、
と語っていますが、
困難と喜びは同居しているのです。

苦しみも、
困難も、
楽しみも、
喜びも、
わが親友なり、
です。

ふだんつらいことから逃げている人は、
麻雀でもつらいときには逃げをうつ。

リーチをかけられると逃げてしまう。


by. 桜井章一氏

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人がリーチをかけてくると、
私はうれしくなる。

条件が厳しくなければなるほど、
緊張感が高まって気持ちいい。

人がリーチをかけてきても、
自分がやることは決まっている。

前向きの気持ちを忘れないで和了を目指すだけ。

ですから、日常生活でつらいことがあったら、
それは私にとってのチャンスなのです。


by. 桜井章一氏

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■勝負の格言 -宝島SUGOI文庫- 「相互感」は相手の変化だけをとらえるのではダメです。 相手の変化だけにとら...

麻雀には、
人間の意志とは関係なく、
「麻雀の流れ」というものがあります。

「シュンツ(順子。数牌で、数の順に並んだ三枚一組のメンツ)場の流れ」
「トイツ(手牌に同じ牌が二枚来る)場の流れ」がある。

点数でいうと「千点の流れ」もあり「満貫の流れ」もある。

さらに「一人ヅキの流れ」「二人ヅキの流れ」などがあります。


by. 桜井章一氏

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また、麻雀の流れというのは、
川の流れみたいなものです。

ただし、水かさが浅い川でしたら、
足を取られたりといったことは起きませんが、
流れの強さは同じでも、
深い川の場合は、
身体ごと持っていかれることがあります。

つまり、
流れが深い浅いかで、
流れの感じ方が違ってくる。

度量がいまだしの人の場合、
浅いか深いかなどわからない。

私の場合、
体全体で流れを敏感にキャッチできてしまう。


by. 桜井章一氏

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ですが、四人が流れを作ろうとしていますから、
それによる変化もあります。

三人のうちの一人の流れが強ければ、
私がその強い流れに耐え切れないくて、
流されてしまうことだってある。

ですから、
「この強い流れはまともに受けられないなあ」と思うと、
川の流れに沿いながら斜めに横切って向こう岸へ渡る、
相手の懐に飛び込んでいくこともあるんです。

牌の』流れが教えてくれるものに、
もっともっと素直になることが大事なのですが、
素人衆は、
負けているから大物手を狙ったり、
勝っているから安手で逃げ切ろうとしたりで、
往々にして「流れ」とは逆の方向へ進んでしまうのです。


by. 桜井章一氏

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■人を見抜く技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」~ -講談社+α新書- 昭和時代に麻雀の代打ち稼業で無敵を...

つまり、
「欲」のかたまりになって「流れ」に負けるということになるのです。

流れに逆らったら私だって勝てない。

流れに沿っていくとき、
一切の本性(欲)は顔を出す暇もありません。

強さとは、
「流れ」に沿っていく能力であり、
敗れる者は自分の「欲」で負けるのです。


by. 桜井章一氏

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相手のリーチは、
川の流れの中の岩であり、
障害物です。

水や魚はぜんぜんそれを気にしません。

岩をこわがり逃げるのは人間心理。

それを水や魚になって、
すき間を見つけたり、
迂回するのが、
流れに沿うということです。


by. 桜井章一氏

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麻雀は、
自然そのものなのです。

仏教など東洋の宗教には、
自然界の一つひとつのものに、
小石にも空き缶にも神が宿っている、
という見解があるそうです。

牌一個も神様なんです。
単なる道具などではない。

それを、
人間がなんとかしようと扱ってしまうときに、
人の持つ悪いものが入り込んでしまうんですね。


by. 桜井章一氏

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