私などよりもはるかに偉大な自然という教師にまかせたらいいのではないか

■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-

私などよりもはるかに偉大な自然という教師にまかせたらいいのではないか

繰り返しますが、
両親のいうこと、
先生のいうことを半分聞いて、
半分は聞かないほうが、
良い子であり、
素直な子だと私は思う。

全部立派だったら神様なんです。

たいていの親は、
ろくでもないところが半分はある。

堂々と、
「お父さんには、こんな駄目なところあるんだよ」
といえばいい。


by. 桜井章一氏

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真の教育であれば、
真の教えであれば、
自分の悪いところも教えるべきです。

かつて悪事を働き、
あるいは失敗をしでかして、
そこを乗り越えた経験があるのであれば、
その経験談を話して聞かせればいい。

そういう話が子どもにできたときに初めて、
その罪が帳消しになる。

そういうことを子どもに隠しているうちは、
いまでも罪の意識というのが消えてないで残ってるんです。


by. 桜井章一氏

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良いところも悪いところも出して、
初めておたがいの間に信頼が生まれる。

管理して常識的に育てるのも、
放りっぱなしで非常識な子にするのも、
両方とも駄目。

両方を否定できる子にしなければなりません。


by. 桜井章一氏

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厳しいだけでも、
甘えさせるだけでもいけない。

それを、甘い人間になるからと押さえつけたり、
しつけだから、と厳しくしたら、
子どもは甘えることを知らないまま育っていく。

私の育児観はこうです。

子どもたちが小学校を終えるまでは私は子どもの奴隷、
ということです。


by. 桜井章一氏

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中学からは立場は逆転して、
私がトップになる。

それも、二〇歳になる間だけです。
二〇歳になってからは、
対等の関係なんです。

これが私の考えです。

子どもの頃には、
十分依存心を満たしてもらい、
中学生の終わり頃には、
依存心をなくしながら、
今度は、
だんだん愛情を与える立場に変わっていかなくてはならない。


by. 桜井章一氏

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自分が子どものときに求めていたものを、
子どもたちが求めるんであれば、
やらせてあげればいい。

ところが、
親になってしまうと、
親と子どもというふうに分けてしまう。

親の立場、
親の領分(視線)から、
ものをいうようになる。

大人なんて、
不良品なんです。

大人になればなるほど、
間違った方向へ行く人も出てくる。


by. 桜井章一氏

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子どもは子どもで、
一人前の子どもなんです。

子どものほうでは、
十分に悪いことをやってしまったと自覚してて、
相談にきている。

そういうときは、
私は絶対に怒りません。

本人が、
悪いことをやってるのにもかかわらず、
悪いことをやったということに気づいていないときは、
コラッと怒る。


by. 桜井章一氏

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ですが、本人が、
悪いことをやったと気づいているときには、
それ以上は追討ちをかける必要はありません。

いいにくいことをいってくる、
その勇気を認めてあげるのです。

逆にいえば、
信頼しているということなのです。

よほど信頼がなければいえないものです。


by. 桜井章一氏

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何でもできるというような子に育てないほうがいい。

できることがあり、
できないことがあって、
人間らしいのです。

なんでもできるの「なんでも」の中には、
いいことと悪いことの両方がはいっているということです。

本当は、
いいことだけなんでもできる、
悪いことはまったくできない、
という人間になれればいい。


by. 桜井章一氏

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世の中で「できる奴」という場合、
この世の中で上手く立ち回れる人、
すなわち悪いことをこなせる人のことを指している。

男として、
人間として、
できる、
というのとは違う。

世の中の人がだれも認めなくても、
真実はある。

価値はある。


by. 桜井章一氏

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逆にいえば、
今の世の中の人が認めていることのほうに、
不真実が多いのかもしれない。

利益のためだったら、
文化だって自然だって、
平気でこわしていくのが、
権力の構図なのです。

男の子にしろ女の子にしろ、
お母さんのお腹の中で、
生きるという生に対する「執着心」をまずは持つ。

これは、本能です。


by. 桜井章一氏

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つぎに生まれてからは、
「依存心」を持つようになる。

この依存性は人間の本能の一つだと思う。

そして、依存もまた、
生きることへの執着から起きてくる。

ところが、親もまた、
生まれてきた子どもに期待をかけるという依存心を持ってしまう。


by. 桜井章一氏

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私などよりもはるかに偉大な自然という教師にまかせたらいいのではないか、
と考えた。

余談ですが、
こうした考えは私の独創だと思っていたのですが、
それは「シュタイナー教育」にも見てとることができる。

という考え方です。

ルドルフ・シュタイナーは、
二〇世紀最大の実践的思想家といわれています。


by. 桜井章一氏

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本来、親というものは、
中学生頃までは子どもの依存心をケアーしていればいい。

本能のままの甘えというものを十分満たしてあげればいい。

これは、
甘やかしたしつけとは違います。

生に対する執着も、
依存心も、
本能のまま生じてきたもの、
天から与えられたものです。


by. 桜井章一氏

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