■この世の掟をぶち破れ! -李白社-
力を入れるということは、むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。力は捨ててしまったほうがいい。その人の考え方が、すべて体の動きに現れるということである
小さい子どもはみんなやわらかく動く。
そうした過去の感覚を取り戻すことだ。
子どももいつしかそれを忘れ、
何かやるにもだんだん力が出てきてしまう。
しかし、力を入れるということは、
むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。
力は捨ててしまったほうがいい。
力などなくても若い人に負けることなどない。
by. 桜井章一氏
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それには、テクニックを覚えるのではなく、
過去に戻るという感覚を取り戻すことだ。
生まれるもっともっと前、
それこそ人間が発生する前くらいの根源の感覚にまで戻ろうとする意識だ。
私はそんな世界に自分を旅させている。
まあ、雲をつかむような話かもしれないが。
by. 桜井章一氏
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人の体の微妙な動きの中に、
その人の考えていることは全部出てくる。
それは二〇代であろうが三〇代、
四〇代であろうが同じで、
その人の考え方が、
すべて体の動きに現れるということである。
人の心の中を読むのは、
心をそのまま読むのではない。
人の動きの中に現れたものを読むのだ。
by. 桜井章一氏
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だからこそ、動きというか、
体そのものがものすごく大切になってくる。
おそらくあなたは頭で考えているつもりなのだろうが、
そうではなくて、
逆に体から考えていかなければ、
心の動きは見えてこないのだ。
体一つで打つもので、
頭で打ったってこんがらがってしまうだけだ。
本当は体で微妙に判断しているということに気づいていない。
by. 桜井章一氏
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私が人の心の動きを読む時というのは、
実際には心を読んでいない。
体の微妙な動きを見ている。
この動きはものすごく微妙で、
よく観察していないと気づかない。
わかりやすくいってしまえば、
その人その人の癖というのがある。
by. 桜井章一氏
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性分と同じように癖というのがついている。
意外かもしれないが、
体よりも心のほうがうまく修正を効かすことができるものなのだ。
体のマズさ悪さというのは、
ほとんど自分では気づかない。
なぜなら、体の動きは無意識の世界だからだ。
by. 桜井章一氏
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だから、なかなか直らない分、
こちらとしては無意識の動きを観察すれば、
その人の心の中がわかってしまうわけだ。
あなたは、体のほうが意識的に動けるような感じがしているのかもしれないが、
実際にはまったく違う。
人はもともと体を動かして生きてきた。
それゆえに、人間は体の感覚というものを本来持ち合わせていたはずである。
by. 桜井章一氏
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そうした思考で仕事をしていてもうまくいくことはない。
しょせん頭で考えたことなど、
何の役にも立たないのだ。
体の感覚を取り戻すこと。
これは心の動きをも左右する大切なものだということを忘れてはならない。
by. 桜井章一氏
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麻雀に限らず、
この世の中というものは、
ありとあらゆる変化がある。
物事というのは、
パッと一瞬に変化してしまう。
だから、そうした変化に動じないために、
私は頭の中も体の使い方も極力やわらかくしている。
とくに大事なのは、
頭をやわらかくしようというよりも、
体の使い方をやわらかくすることだ。
by. 桜井章一氏
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私は麻雀牌を持つ時、
ものすごくやさしくやわらかくしている。
なぜならば、変化に対応するためには、
それが一番楽だからだ。
当然、体がやわらかければ、
頭の中はもっとやわらかいといっていい。
変化もなくとどまっているものなんて、
この世にはない。
by. 桜井章一氏
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そうした千変万化する世の中に対して固定観念を持っていたら、
その一つに囚われてしまうだけ。
力なんて入れていたら、
一瞬の変化についていくことなんてとてもできない。
頑張ったり、踏ん張ったりしていたら、
変化に対応なんてできない。
多くの人が間違っているのは、
たくさんの変化に気づくということは、
大変なことではなくて、
むしろ楽なことだということ。
by. 桜井章一氏
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なぜなら、そうした変化に気づいたら、
そのまま素直に身を任せたらいいのであって、
こんな楽なことはない。
逆に変化を面白いなあと楽しむ余裕さえ生まれてくる。
そのためには、
頭をやわらかくしようというよりも、
体をやわらかくしたほうが楽で、
体がやわらかければ、
頭の中は何も考えなくてもいい。
ただその変化に身を任せるだけで変化に対応できてしまう。
by. 桜井章一氏
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こういうことは、
頭だけで理解しているのではなく、
自分の体でわかっているからいえることで、
実際に硬さを捨てることでわかってくるはずだ。
私は自分の体は自分で治すことができる。
さらに、他人の体を見てその故障までわかるという、
なぜだか不思議な力を持っている。
相手がよくなればいいなと思う気持ちは強くある。
by. 桜井章一氏
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たったそれだけで、
本人がどうして痛いのかわからないものも治すことができる。
こういった不思議な力が出ることは、
なぜか私の場合にはごまんとある。
損得ではなく、
相手のために思う気持ちがあるから、
そういう力は出てくるのかもしれない。
とにかく、自分の体を自分で治せるという力は、
子どもの頃の体を使う遊びが役に立っている。
by. 桜井章一氏
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