■この世の掟をぶち破れ! -李白社-
気づきや学びは、こうした非常識な場面で現れることがある。だからこそ、常識のみで考えてはいけない。世間で常識と思われる場面では何も起こらない
だから、たまには自分から掟を破るようなことをする。
ルールはあっていい。
それは社会の中で必要なものだ。
しかし、そのルールさえ絶対ではない。
たまにはルールを崩してみることで、
人と人の距離が近くなる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
仕事は管理社会である。
だからこそルールは絶対だという固定観念がある。
自分は上の立ち上だからという考え方でルールを守らせようとすれば、
下の者たちは従うしかなくなる。
それが固定観念によって硬直化する。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
ルールは絶対という考え方を捨てない限り、
人間の距離は縮まることはない。
もし彼にいうのなら、
ふつうは「お前、もうタバコをやめろ」となる。
しかし私は逆に
「いいよ。すぐにはやめられねえよな。
わかった、わかった。
じゃあ、おまえが働いている間、俺たちがタバコを買ったら、
そこからおまえ用にタバコ税をおさめてやるよ」
といった。
そういってみんなから一本ずつタバコを集めていったら、
たちまち箱にいっぱいになってしまった。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
軽く一〇〇本以上ある。
そしたら、だんだんと本人が吸わなくなっていった。
「会長も含めてみんながくれるタバコだから申し訳ない、
ありがたくて吸えない」
といって、
タバコを吸う本数がだんだん減ってきている。
また、彼には別の特典もある。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
私の雀荘はお酒禁止なのだが、
彼が仕事をして夜遅くやって来ると、
彼だけはビールを飲んでいいということにしている。
「飲むな」ではなく「飲ませてあげる」というと、
やはり申し訳ないと、
本人が気づいてくる。
マニュアルでは、人の心は動かせない。
一流の商売をしている人がマニュアルで人を使わないのと同じだ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
たとえば、禁煙だったら、
「禁煙、禁煙」と規制しない。
そこに融通を利かせる余裕が必要なのだ。
ルールとは厳守するためにあるのではない。
それを壊すためにわざわざきちんとルールがある。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
いつかは誰かのために破らせるために存在する。
だから、「ルールは守らなければいけない」というのは絶対ではないのだ。
仲間の中で一番ダメな人間のために、
そこで一番大切にしているルールをポンと壊してやる。
そういうチャンスを与えてあげる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
そうすると、その人はありがたく思う。
ルールを破って叱られるよりも、
それを破っていいといわれるほうが本人にとっては重いものだ。
ダメな人は、
何をやってもダメなのではない。
本人が気づけるような別の物語を用意するのだ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
その一つが「ルールを破らせる」という機会を与えたことにすぎない。
私はこの瞬間に、孫(四歳)に男を感じたのだ。
なぜなら、彼は私の頼みに使命感のみで答えてくれたからだ。
そこには、新聞を届けたら褒められるだとか、
新聞を届けるといい子に思われるというような、
頭で考えた行動ではない。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
ただ、頼まれたことを果たすという使命感で、
コンビニでスポーツ新聞を買い、
一人で自転車に乗って届けてに来てくれた。
私はそこに孫の男気を感じたのだ。
たしかに、
夜の九時半にスポーツ新聞を持ってきてほしいというのは、
世間から見れば非常識といわれるだろう。
しかし、非常識だからこそ、
そこに現れる光景は常識では見ることはできない。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
孫の家は坂を何度も上り下りしなければならないところにある。
歩いていくのも面倒なくらいの道程を、
孫は自転車に乗ってやって来た。
そして、褒められるためにしたのではなく、
使命感のみで行動した。
だからこそ、孫も一人で届けたという達成感を味わったはずだ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
実は親たちは、
息子一人を自転車で行かせることに心配で、
走ってあとをついてきていたのだ。
私から電話があった時、
孫は自分一人で行くからと、
新聞代一三〇円をもらうために母親と喧嘩をしてきたのだ。
気づきや学びは、
こうした非常識な場面で現れることがある。
だからこそ、常識のみで考えてはいけない。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
世間で常識と思われる場面では何も起こらない。
たまには常識を逸した行動をしてみるといい。
そこで気づくものが必ず存在する。
私には友人というのはいない。
というより、友人というものをつくらない。
私はある時から、友人はいらないと決めた。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
大人になってからは、
自分の中で親友や友人というものを消そうと思った。
なぜならば、親友とか友人というものは、
互いにとって都合のいい、
打算的なものであると感じたからだ。
「親友なんだから何とかしてやろう」
「友達なんだから許してやろう」
というような都合のいい関係が出来上がる。
果ては親友が困っていたらお金を貸してやったりと、
最終的には互いに寄りかかってしまう、
それが親友や友人の関係である。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆