■この世の掟をぶち破れ! -李白社-
それは大人になっても同じで、旬を外さないようにしていかないといけない。「旬」という感性は、人と人がふれ合うこと、接触することも人間関係の根っこにある大事なことなのだ
私は子どもがわからないと思うからこそ、
逆にごまかしてはいけないと思っている。
本気で遊ぶとは、
むしろ子どものためにそうするということではなく、
自分自身が生命に対して本気に向かい合っているかどうかということなのだ。
その時(孫が遊びに来る)には、
私は何をやっていても自分のことをストップする。
まずやめる。
by. 桜井章一氏
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たとえ本を読んでいても、
ちょっとほんの端を折って、
そこでやめる。
そして、孫が何しに来たのかなとじっと様子をうかがう。
そうして孫が遊び始めたことを、
私も一緒になって遊ぶ。
そうした孫の行動を、
大人はほとんど見逃してしまう。
by. 桜井章一氏
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子どもというのは遊んでほしいのに相手をしてくれないと、
そこに淋しさ、いいかえれば、壁を感じてしまう。
子どもにとって、
実は一歳から三歳くらいまでの時代が一番大切である。
子育てには「旬」がある。
その旬を外さないようにする。
それは大人になっても同じで、
旬を外さないようにしていかないといけない。
by. 桜井章一氏
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しかし、この「旬」という感性は、
今いつでも好きなものを食べることができる時代ゆえに、
なかなかわかりにいくい。
「旬」という感性は、
人と人がふれ合うこと、
接触することも人間関係の根っこにある大事なことなのだ。
「仕事があるから」といえば、
誰も断れないような雰囲気がある。
だから、人の「命」が一番大切だといいながら、
本音のところでは「仕事」のほうが大切だって思っているわけだ。
by. 桜井章一氏
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孫がヨチヨチと遊びにきたということは、
そこに生命が動いているということである。
孫という生命が自分のところへ来たのだから、
何でそれを無視できるのだろうか。
仕事なんかよりも大事なことが目の前にあるのではないか。
その旬の出来事を見逃したら、
あとになってからでは遅いのだ。
by. 桜井章一氏
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子どもが第一に求めているのは、
楽しくて、いかに自分を満足して遊ばせてくれるかということだ。
その旬の一瞬を逃し続けていたら、
子どもは大人に対して壁をつくってしまう。
多くの人がまだ若いものには負けないと張り合おうとするが、
張り合おうとすることじたいが愚の骨頂である。
年を取ったら、
体力以外で若い人に対抗できる手段があることを知らないだけだ。
by. 桜井章一氏
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私は無駄な動作をいっさいしない。
彼らと麻雀を打つ時でも、
動いているかいないかという動作で牌を運んでいる。
若い時はどうしても力みが入り、
牌をつかんで場に捨てる動作に無駄が出る。
その無駄が勝負の流れを変えているといってもいい。
by. 桜井章一氏
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私は牌を握っていない。
牌にふれる感覚といったらいいだろうか。
おそらく牌にふれた瞬間に場に捨てられている。
その際に体も揺れることはない。
ただゆったりと自然に行う動作は、
ほかの若い人の動作よりも素早い。
by. 桜井章一氏
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こういった動作は昔から変わらない動作であるが、
年を取っても体力とは違う部分で若者と卓を囲んで勝負している。
若い時は力任せに素早い動作をしようとするが、
これは意識すればするほどぎこちなくなっていく。
だから疲れる。
体力に対抗できるのは、
ゆったりとしたしなやかな動き、
自然の動きである。
by. 桜井章一氏
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あなたも体力はいらない、
若いうちに身につけたしなやか動作が、
年を取った時に若い人も料が凌駕できる。
どんな分野でも優れている人、
強い人というのは体の使い方がうまい。
一流の大工さんは道具さばきが違う。
一流の大工さんはけっして力で道具を使っているのではないのだ。
by. 桜井章一氏
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大事なのは姿勢やしなやかな動き。
これは若いうちにはそう簡単に身につかないし、
しなやかな動きに若い人は絶対に勝てない。
つまり、年を取ったら力なんていらないのだ。
しかし、いくつになっても力使って何かをすることが身についてしまっている。
by. 桜井章一氏
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私は力で何とかしようとする動き方を見ると、
何でそんな体の使い方をするのか逆に不思議でしかたがない。
なぜなら、私はそれほど力を必要としていないからだ。
みなは相手を倒そうとする時、
まずは頭で考えて、
理論的にここを押せば相手は倒れると考えて挑む。
物を動かすには力が必要だと勉強で教わったことが正しいと思い込んでいる。
by. 桜井章一氏
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しかし実際は、
物を動かすのに力はいらない。
まったく力を入れないでも相手を倒せるというのは、
いわば感覚のようなものだ。
この感覚を得るためには、
自分を過去へと戻さないとならない。
先端の便利なほうへ行こうとしたり、
知識に行こうとすれば感覚は取り戻せない。
by. 桜井章一氏
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原点へ原点へ戻ろうとする。
先端の技術のほうへ取り込まれないで、
過去へ過去へと戻っていく。
人間というのは、物事の原点、
いいかえれば自然から学んでいた。
たとえば、魚の動きを見たり、
鳥の動きを見たりしながら、
自然とともに生きていた。
つまり、体の感覚は動物の動きを学びながら、
取り戻すことができる。
by. 桜井章一氏
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