■死をおそれない生き方 -主婦の友社-
人間は弱いから願ってしまうんです。その弱さが神という存在をつくってしまったんです。”譲る”っていう言葉の裏側に位置するのが”割り込み”でしょうね
多くの人は固定化されたものを求めてしまうから、
何かを失った時にその変化に対応できなくなってしまうんでしょう。
喪失感を深めないためには、
常日頃から目の前で起きた変化を楽しむようにすればいいと思います。
永遠に固定しているものなどこの世には存在しません。
言ってみればすべて不安定な状態です。
by. 桜井章一氏
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それなのに愛や名誉、
権力といった不安定なものにしがみつくから不安になり、
喪失感が深くなってしまう。
結局、自分を苦しめているのは自分自身なんです。
人間なんてやり残して死んでいくものだと私は思っています。
不完全なものを置いてこの世を去っていくのですから、
みんなやり残したことがあって当たり前です。
by. 桜井章一氏
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私が「いつ死んでもいいや」
と思えるのは、
“今”という瞬間を最も大切にして生きてきたからかもしれません。
大切なのは、
先人たちの死に際の姿を見て、
次の人たちが死生観をどのように改良していくかです。
できないことが増えて、
最終的には何もできなくなって死んでいく。
そういった先人の生きざまを見て、
次の世代の人たちが何かを感じてくれればそれでいいのだと思います。
by. 桜井章一氏
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人は弱い生き物ですから、
常に何かに頼って生きています。
そしてその”頼る”が大きくなりすぎると今度は
“願う”に変わっていきます。
“頼む”という行為には
「悪いけどお願いね」
と相手のことも気にしている面がありますが、
“願う”には相手を気遣うような気持ちはまったくありません。
“願う”はどこまでも人任せなんです。
by. 桜井章一氏
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人任せにしていてそれが自分の人生になるわけがないですよね。
人生をどうにかできるのは自分自身です。
人間は弱いから願ってしまうんです。
その弱さが神という存在をつくってしまったんです。
by. 桜井章一氏
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何かに”頼る”場合、
相手を選ぶことができます。
でも”願う”になってしまうと何かひとつのものにすべてを預けてしまうようなところがあります。
そんな他力本願な生き方で自分の人生を切り開いていけるわけがありません。
“妥協する”とは本来は
“譲り合う”という意味です。
by. 桜井章一氏
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“妥協する”という言葉にあまりいい意味が入っていないのなら、
“譲る””譲り合う”という感覚をみなさんの中に取り戻せばいいんじゃないですか。
“譲る”という精神をずっと持ち続けるには、
日常の些細なことから”譲る”ということを心がけていかなければなりません。
普段”譲る”ということを何もしていない人が、
電車の座席を譲れるわけがないんです。
資本主義経済の下で分捕り合戦を繰り広げている現代人にある価値観は”譲り合い”ではなく、
“損得勘定”です。
by. 桜井章一氏
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特をすることばかり考えている人が”譲り合い”などできるわけがありません。
仮に譲ることがあったとしてもそれは”妥協”でしかないんです。
“譲る”っていう言葉の裏側に位置するのが”割り込み”でしょうね。
現代社会ではそんな”割り込み”のうまい人が”要領”のいい人として、
能力があると評価されたり、
持て囃されたりしています。
by. 桜井章一氏
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「楽に儲ける」なんて言ったりしますが、
「楽に何かをしよう」
という気持ちが要領になり、
それが割り込むことに繋がっているんです。
「法律に触れていないんだからいいでしょ」
というような判断基準を持った人間は下の下です。
法律をどうこう言う前に、
人間としてどうなのか?
男としてどうなのか?
女としてどうなのか?
生き物としてどうなのか?
そういうことを考えていけば
「ここは私が譲ります」
という気持ちが出てくると思います。
by. 桜井章一氏
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人間はそういう譲り合いをしていけばいいんですよ。
女の子は母親から生きる上での”要領”を学んでいくんですね。
女性は男性以上に「損をしたくない」
という気持ちがあるように感じます。
女性は”満足感”を求めて動く傾向が強く、
一方の男性は”納得感”で動く。
by. 桜井章一氏
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女性にとっての”愛”とは百点満点のことを言うんです。
でも、普段の生活では100点なんて滅多にありません。
そうするとどうしたって不足を感じます。
当然「愛情不足だ」ということにもなるでしょう。
満足を求め続けていると自分が苦しくなるだけです。
by. 桜井章一氏
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“愛”に限らず、
人生そのものに思い通りにいくことや百点満点なんて滅多にないんですから。
満足感を納得感というものに置き換えていくには、
まずは等身大の自分を知ることです。
己を知ることでそこから納得感というものが生まれてくるんです。
いろんなものと比べていけば、
自分っていうものが何となく分かってくるものです。
by. 桜井章一氏
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人と比べればいろんな違いに気付くでしょう。
差別はいけませんが、
違いを理解することは大切なことです。
違いを楽しめるようになれば、
自分と他人、
あるいはいろんな物事の間に対比関係が起こってきます。
それが、自分の都合だけの関係だと対比が起きませんから、
等身大の自分を知ることもできないんです。
by. 桜井章一氏
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そんな時こそ(おだてられたり、持ち上げられたり)、
過信で膨らんでしまった自信の空気を抜いて、
等身大の自分に戻るようにするんです。
そしてその感覚こそ(雀荘のオヤジ)が、
私にとって自分を等身大に戻す空気弁のようなものなんです。
自分を大きく見せたり、
よく見せたりすれば一時の高揚感は味わえるかもしれません。
でもそんなことをするから苦しみや悩みが生まれてくるんです。
“等身大”であるのが、
本当は一番楽なんです。
by. 桜井章一氏
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