■死をおそれない生き方 -主婦の友社-
私は誰も歩いたことのない道を”我が道”として切り開いてきました。すべてあるのに何もない。きれいなのに薄汚れている。こんな世の中で「ごめんね」
不安になっちゃう人っていうのは、
未来のことをいろいろと考えすぎてしまうからです。
夢とか希望、
そういった言葉に囚われてしまうと、
いろんなことが不安になってしまうんです。
現にこの私も夢を持ったことはありませんが、
今まで楽しく生きてくることができました。
自分が存在するのは”今”だけです。
by. 桜井章一氏
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いくら過去の業績を誇ったとしてもそれはすでに流れ去っていったものですから何の意味もありません。
でも私はできなくなったことを楽しんでいます。
本書の中でも述べていますがそれは過去に
「やるだけやった」という納得感があるからです。
60歳過ぎても若い人たちと何ら変わらず一緒に遊んでいました。
by. 桜井章一氏
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それだけ長い青春時代を過ごしてきましたから、
「今までよくできたな」ってすべてに納得できるんです。
ここまでやってこれたことに対する
「ありがたいな」という感謝の気持ちです。
自分がやったんではなく、
「させていただいた」。
自分の過去にはそんな感謝の気持ちしかないんです。
by. 桜井章一氏
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変な意地とかプライドとか、
そんなものは捨ててしまった方がいいと思います。
そんなものがあるから、
できなくなったことを楽しめないし、
不平不満が溜まっていくことになるんです。
人間は柔らかく生まれ、
固くなって死んでいきます。
子どものうち誰でも心身ともに柔らかいのですが、
言葉を覚え、
社会の色に染まっていくことによって徐々に固くなっていくんです。
by. 桜井章一氏
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でも言葉を覚え、
自己主張するようになると親の色、
社会の色というのが出てきます。
でも、できる限り柔らかくあろうとすることは大切です。
私がこの年まで柔らかくいられたのは、
上を見ずに下を見て生きてきたからです。
そうやって上ばかりを見ることで社会のシステムの中に組み込まれ、
人は徐々に固くなっていくんです。
by. 桜井章一氏
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でも私の場合は下を見ていますから
「何でできないんだろう?」
というところからスタートです。
私は人生を生きていく上で欠かせない”知恵”を、
そんな”下の人”から学んできました。
「なぜできないのか?」
から導き出されたものが、
私の人生を豊かにしてくれたんです。
私が何で「できないんだろう?」
というところから学ぶようになったかというと、
それは幼い頃からいろんなことに対して疑問を感じながら生きてきたからです。
by. 桜井章一氏
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学校の先生にしたって、
踏ん反り返って威張っているような人間ばかりで
「この先生からはいろんなことを学べるな」
という人はほとんどいませんでした。
世間で「よい」とされている物事に疑問を感じるのが、
クセみたいになっているんですね。
だから”愛”なんていう言葉もまったく信じていません。
いい学校、いい会社、
そんなものも疑っています。
by. 桜井章一氏
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大人が自分の都合のいいように動く人間が
「いい子」なだけでしょ。
今の世の中は「いい大人」のふりをした
「質の悪い大人」ばかりじゃないですか。
そんな時(ちょっと固くなってきたなぁ)はまず、
社会で「よい」とされるものを片っ端から疑ってみてください。
それが柔らかさを取り戻すことに繋がるんです。
by. 桜井章一氏
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歩みの遅い人、
歩けない人が前をぞろぞろと歩いているわけですから、
社会全体が渋滞しちゃうでしょう。
自然界も我々が生きるこの社会も、
流れている状態がいいわけです。
既得権益に囚われたやつらは、
「渋滞をどうやって解消しようか」
という発想はしないでしょうね。
それよりも「渋滞している中でどうやって儲けようか」
と考えるはずです。
by. 桜井章一氏
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負けるかもしれない、
失敗するかもしれないことに挑み、
自分の力だけで道を切り開いていく。
その過程がたまらなく好きだったんです。
三つ子の魂百まで、
と言いますが、
私が今やっていることは、
すべて子ども時代の延長にすぎません。
麻雀も、仕事も、
すべて遊び。
by. 桜井章一氏
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子ども時代の真剣勝負の遊びが今もずっと続いているんです。
結局、私は人と人の繋がりの中で遊ぶのが好きなんです。
私は誰も歩いたことのない道を
“我が道”として切り開いてきました。
先を歩いている人は誰もいません。
by. 桜井章一氏
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風が吹くまま、
流れのままにやってきただけなんです。
他の人生を歩むより、
麻雀を選んだお陰で今こうしていられる。
今までやるだけやってきましたから、
自分の人生に不平も不満もありません。
あるのは「なんて俺は恵まれているんだろう」
という感謝心だけです。
by. 桜井章一氏
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世間で”いいこと”とされる学校教育や常識などは、
私にとって、最も信用ならないものでした。
それよりも世間で”悪いもの””下等”とされる
“遊び”や”麻雀”に「何かある」という思いがあった。
その思いがあったからこそ、
私は誰も歩いたことのない道を切り開いてくることができたんです。
そうやって私は今も「何かある」と思いながら、
自分の道を歩いています。
by. 桜井章一氏
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これからも自分らしく、あるがままに。
それは変わりません。
これから先、
世の中はますます悪い方向に進んでいくでしょう。
すべてあるのに何もない。
きれいなのに薄汚れている。
こんな世の中で「ごめんね」と。
でも、だからこそ、
せめて私が彼らに渡せるものくらいはきれいに、
健やかにしておきたい。
それが死に際に感じている、
私の正直な気持ちです。
by. 桜井章一氏
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