■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所-
気付きというものは、感情が閉じているとなかなかできないが、反対に感情が動くといろいろなことに気付けるようになるものなのだ
感情は本来、
川のように流れるべきものだ。
水は流れなければ澱んで腐ってしまう。
それと同じで感情を素直に出さず、
抑え込んでばかりいると感情は滞り、
心はバランスを崩す。
近年急増しているうつ病はこうした感情の滞りから生じるものだと思う。
by. 桜井章一氏
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健やかな心をもっている人は感情の流れがいい。
感情の流れがいいのは感情の整理が上手いということでもある。
感情の戦利がうまい人は、
マイナスの感情が生じたらプラスの感情を入れて薄めるとか、
切り替えしを早くしていつまでも引きずらないといった工夫が自然にできる。
整理されることで感情はまた本来の活きのよさを取り戻すことができる。
by. 桜井章一氏
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感情の整理が下手な人は、
結局感情に翻弄される生き方になってしまう。
感情をいかに整理するか、
その工夫次第で生き方もまた、
かなり変わってくるのだから。
たとえば、
その素材の一つは「感謝」である。
マイナスの感情を溜め込みやすい人は、
自分一人で何でもやっていると思い込みがちである。
by. 桜井章一氏
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だが、一人でできることなど、
ほとんどない。
実際はいろいろな人の力が加わって何事もできるものだ。
その想像力がないと、
自分一人でこれだけのことをやっているのに報われない、
という不満や怒りが生じるのである。
何事も自分ひとりの力だけでできるものではないということがわかれば、
いろいろな人への感謝の気持ちが湧いてくる。
by. 桜井章一氏
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そこからさらに根源的なところへ遡れば、
自分の存在が自然から恵まれたものであることへの感謝も湧いてくる。
感謝はマイナスの感情を薄める最大の特効薬なのだ。
このように感情は料理と同じで、
不味いなあと感じる感情には、
美味しく感じられる感情を調味料としてかけるといいのである。
もし、あなたにマイナスの感情が生じたときは、
怒りの感情のときはこういう感情を混ぜるとか、
悲しみの感情が湧いてきたときはこの感情をもってくるとか、
自分なりのレシピをつくっておくといいと思う。
by. 桜井章一氏
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プラスの感情の幅が大きくなれば、
その分マイナスの感情の幅が小さくなると考えるのはちょっと虫がいい。
マイナスの感情の振れ幅を小さくするには、
日頃から反対のプラスの感情の幅も小さくするといいのだ。
要はプラスの感情を、
自分のなかでオーバーにとらえないということである。
そうやってプラスの感情の幅が小さくなれば、
自然とマイナスの感情の幅も小さくなるのである。
by. 桜井章一氏
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気付きというものは、
感情が閉じているとなかなかできないが、
反対に感情が動くといろいろなことに気付けるようになるものなのだ。
いつも理性中心で動いている人というのは、
感情があまり動かないから、
気付きのできない人が多い。
そう考えると、
ほんとうの優しさというのもは、
理性からは生まれないことがわかる。
理性や知性を重視するいまの人のカンジョウは、
「感情」でなく損か得かを計算する「勘定」が支配的になっているのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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すなわち、人工的な感情というのは、
こうした勘定からつくられるものでもあるのだ。
そんな損得の勘定ばかりしている「勘定生活」は、
得はするかもしれないが、
断じて人生の心地よさとは無関係である。
かたや、
天然の感情を素直に出す「感情生活」は、
損得を超えて気持ちのいい豊かな人生を導くはずだ。
その意味でわれわれはもっと感情を豊かに生活することを大事にしていくべきだと思う。
by. 桜井章一氏
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感情も人生も円でとらえればうまくいく。
私は、自分だけが上がればいいという一方通行の麻雀ではなく、
勝敗でもツキでもグルグル回って、
また自分に返ってくればいいという感覚で麻雀を打ってきた。
もし、あなたがマイナスの感情に強くとらわれたときは、
一つひとつの感情がブツ切れではなく、
円でつながっているという感覚をもつといいと思う。
苦しさの反対には楽があり、
悲しみの反対には喜びがあり、
不安の反対には確信がある。
by. 桜井章一氏
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ふだんわれわれは感情を感覚的に線や点でとらえがちだが、
一つの感情に強くとらわれた状態というのは、
まさに線や点でそれをとらえている状態にほかならない。
いろいろな感情があって人生なのだと思えば、
一つひとつの感情はグルリと円を描いてつながる。
そうすれば、
辛いときや不安でどうしようもないときも、
その状態を固定的に考えずにすみ、
円のなかで希望を抱くことができるだろう。
感情を線でとらえれば怒り、
悲しみは悲しみのままだが、
円にすると怒りは優しさとつながり、
悲しみは喜びとつながっていることが感じられる。
by. 桜井章一氏
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そうなると気持ちに余裕が生まれてくる。
感情を円に収め、
点にとらわれないようグルリと回していく。
それが一つだけの感情にとらわれないコツなのだ。
目をよく見ればほんとうの感情がわかる。
by. 桜井章一氏
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俳優が目や口元などのちょっとした表現で、
怒り、悲しみ、喜び、不安などさまざまな感情を表すように、
黙っているときのほうがむしろ感情は微妙に表れるものだ。
口は笑っているのに目が笑っていないのは不気味だが、
そういう人は何らかの理由で習慣的に生きた感情を抑えているか、
あるいは密かに何かを企んでいるかのどちらかである。
目というのはそれだけ素の感情が出てくるところなのだ。
相手がどんな感情をもっているか、
それが天然の感情なのか、
人工的な感情なのか、
そうしたことを判断するには目は最適な場所なのだ。
by. 桜井章一氏
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口では感情をいくらでも偽れるが、
目だけは絶対にそれができないのである。
もちろん、DJポリスのこの語りかけには、
「共鳴」「共感」という感情から入っていけば、
相手がこちらの主張を受け入れてくれるという人間心理に基づいたテクニックが使われている。
上から押しつけるだけの理屈の教育ではダメだということだ。
最後に人を動かすものは、
理でなく情なのだ。
by. 桜井章一氏
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理性尊重の社会にあって、
情というのはあまり顧みられないものになってしまったが、
じつはいまだに人々の行動を最後に決定づけるのは情であることが少なくないのである。
情は理に勝つ。
そのことは忘れてはいけないと思う。
感動したければ、
自ら動いて社会を動かせ。
生の豊かな感情は、
動かないと出てこないものである。
by. 桜井章一氏
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