■悪戯の流儀 -青春出版-
一歩間違うと傲慢になりかねない人間に対して牙のように鋭く、何かを教えてくれているような気がするのです。なぜならそうした悪い状況をつくり上げているのは、結局、私たち自身なのですから
金は腐らないけれども、
その金を持っている人間が腐っているからです。
少ない金ならば大切だと俺も思う。
しかし、必要以上の金のどこが大切なのか、
俺にはわからないよ。
親兄弟、友達よりも大切なものがあるとは俺は思えないけれども、
いまの金権時代では金のために平気で人を裏切り、
保険金を受け取るために人を殺めるだろう。
by. 桜井章一氏
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つまり、「お金が大切だ」
という価値観を植え付けた連中の思うつぼにはまっているんじゃないのかい。
もっとも悪いことには、
人に善を教える宗教に金がかかり、
教育に金をかける。
つまり、金は必要な分だけあればいいわけだ。
必要以上のものは人に分け与えればいい。
その結果残るものは平等だ。
貧富の差もなくなるよ。
by. 桜井章一氏
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君も金のために働くような人間にはならないことだよ。
そして、だんなさんや子どもがイヤだなと思うことをやったり、
言ったりしたら、
あなたは必死になって抵抗したり、
怒ったりして、
「イヤだ」と思うことを避けて通ったり、
修正してゆくのですが、
死だけは最大にイヤなことでありながら、
避けることを修正もできないのです。
私は、何かを教えてくれているような気がします。
一歩間違うと傲慢になりかねない人間に対して牙のように鋭く、
何かを教えてくれているような気がするのです。
by. 桜井章一氏
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選挙に金がかかるように医師になるためにも相当な時間と金がかかります。
そういう点で、
医師たちが倫理観や心情の面で欠如している部分もあるのも事実です。
ですが、そんなことをいまさら責めてみても、
どうしようもないことです。
なぜならそうした悪い状況をつくり上げているのは、
結局、私たち自身なのですから。
by. 桜井章一氏
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私は母親に対して「ありがとう」
という感謝の気持と、
「ごめんなさい」という謝りの言葉しか心には浮かびませんでした。
しかし、いまあなたにとって大事なのはあなたが、
そこに踏みとどまることではなく、
感謝の気持ちで前へ進むことだと私は思いますよ。
自分の道をすべて自分で選んできたくせに、
かんばしい結果がでないと人のせいにしているだけだろう。
しかも、自分で選んだ道に対して熱も愛もそそがずに、
抜け道ばかり考えている。
by. 桜井章一氏
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生きがいなんて、
成功するしないの問題じゃないだろう。
貧乏だとか、障害があるという状態でも、
それに楽しみを感じ、愛する心を持つこと。
精いっぱいやった上での小さな歓びそういうことじゃないのかい。
自分を変えてみろ。
by. 桜井章一氏
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そうすれば家庭も仕事も職場での人間関係も動きが出てきて流れ始めるよ。
それが変化だろう。
あんたのいう変哲だ。
でも本当は、
自分のことを考えているんじゃなくて、
逆に自分のことを見つめていない、
自分のことを知らないんだよ。
己を見つめて、
自分というものを自分の中で
「整理」すること。
by. 桜井章一氏
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それこそが生きていく上でもっとも大事なはずなのに、
何もわかってないんだよ。
誰のこころにも欲望はある。
しかしその欲望に依存してしまった人間はいつまでたっても欲望をかなえられない。
自分の欲望に対してすなおになることで得られる満足感というものもあるだろうが、
依存してしまっては、きりがない。
by. 桜井章一氏
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わりとみなさん「愛」
という言葉を簡単に使うけど、
俺は愛が大事だなんて言ったことがない。
愛を求めて、
こいつを全面に押し出すような奴はだいたい失敗するね。
この言葉の本質をまったくつかんでないからだ。
愛はどこか自分の外側にあるものではなく、
自分の内面、心の中にあるものなんだ。
by. 桜井章一氏
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自分の中にないから他人に求めるだけ。
自分を見つめて、
自分の仕組みを考えてこそ、
相手のことが見えてくるはずなのにな。
ある部分を作ってるのは思いやり、
ある部分は厳しさ、
またある部分は包容力。
愛という車輪を作っているそうした要素がいくつもある。
by. 桜井章一氏
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人によってある部分が突出していたり、
足りなかったり、欠けているが、
ひとつのことばかり考えている奴のいびつな車輪がきちんとまわらないのは明らかだろう。
ましてや、子どもが生まれれば、
そのガタガタの車輪の親の車に乗って育てられるんだから恐いもんだよな。
車輪をまわすには思いやりも、厳しさも、
包容力も、やさしさも必要なんだ。
「愛」というのは、その中で、
相手が欲しいもの、
相手にとって必要なものが何かということに気が付いて、
与えられることだ。
by. 桜井章一氏
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その時々で赤でも、黒でも、
緑でも、茶色でも、
一番ふさわしい色を使えばいい。
どの色がふさわしいかということに気付くかどうかだから、
当然、状況判断力につながってくるし、
お勉強や情報とは違う「直観」
が問われることになる。
俺が見るところ、
ひとが「愛」だと思っている、
感じているもののたいていは「行為」だな。
「愛」は内側にあって、目に見えない。
他人の目に触れてしまったら「愛」じゃない。
by. 桜井章一氏
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「愛」というのは「隠徳」なんだ。
若い子に麻雀を教えるときに
「見えないものを見ろ」
と俺が言うのも、
見えないものにこそ真理があるからだ。
見えるものというのは、
たいてい自分の外側にあらわれるひとつの形にすぎないし、
それは様々あるから、
そこだけ取り上げて、
たとえば「愛」ときめつけることはできないと俺は思っている。
「瞬間」で打つことによって、
「直観」「感性」「勘」を磨くためだが、
そうすると、明らかに自分が出てくる。
by. 桜井章一氏
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「瞬間」で打つことによって、
自分のいい部分だけではなく、
普段の生きざまであれば隠し通せてしまうような悪い部分が、
精神的にも肉体的にもはっきりと出てくる。
それこそが自分を知るということだ。
逆に言えば自分を知れば知るほど、
この「直観力」は強くなるわけだ。
知識や情報を総動員しても、
時間をかけて遠くから眺めていては本質には近づけない。
by. 桜井章一氏
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