■結果を出す技術 -宝島社-
苦労を厭わず、それを人生の学びとして身につけている人たちは苦が”実”になることを知っている。いい”頑張り”は誰かのために使ってこそ、自分に恵みをもたらしてくれるものなのである
自分のやり方に固執するのも、
自分以外に責任を転嫁するのも、
軸の硬い人が取りやすい行動である。
まわりの声を受け止め、
そこから自分のやり方を省みて直すべきところは修正を加えていく。
結果が出ないことをまわりのせいにするのは、
結局自分の軸を硬くするだけである。
そして、それは結果の出ない悪循環に陥りがちな人がしばしば取る行動でもあるのだ。
by. 桜井章一氏
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頑張れば疲れる。
だからそこで人は
「どうしたら楽ができるか」
を考える。
「楽」を要領や技術に求めるのならいいが、
中には「大変なことは人任せ」
な人も出てくる。
やるべきことを放棄し、
苦労から逃げてばかりいると人はどんどん弱くなっていく。
by. 桜井章一氏
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ちょっとしたことでも耐えられなくなり、
悪い感情にとらわれたり、
誤った行動に走ったり。
逃げの姿勢は人生に悪い結果をもたらすものでしかない。
苦労を厭わず、
それを人生の学びとして身につけている人たちは苦が
“実”になることを知っている。
“楽”を求める人たちの頑張りは、
その後に嫌な疲れを残す。
by. 桜井章一氏
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だが、苦から知恵を学び、
人生の糧とできる人たちは疲れすらも程よい爽快さとして昇華してしまう。
「楽な道と険しい道のふたつがあったら迷わず険しい道を選ぶ」
そうやって生きてきた私は、
人間の強さは弱いもののためにあると思っている。
だから”頑張り”ひとつとっても、
それが自分のためだけの頑張りではつまらない。
自分の頑張りが「誰かの役に立っている」
と実感できて、
初めて楽しさや充実感を味わうことができるのだ。
by. 桜井章一氏
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ならば今日一日、
いや一日にたった一度でもいいから、
自分以外の誰かのために頑張ってみればいい。
「とりあえずやってみよう」
と思うことが大切で、
頑張った結果がよくても、ダメでも、
そのチャレンジ精神が次の一歩を踏み出す力となる。
いい”頑張り”は誰かのために使ってこそ、
自分に恵みをもたらしてくれるものなのである。
勝負事において、
勝利の鍵を握るのはいかに多くのことに
“気づくか”がポイントとなってくる。
by. 桜井章一氏
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いい結果には、そこに至るプロセスにおいてさまざまな気づきが必ず道標のように立っているはずだ。
常日頃から感じる力、
周囲の違和感を感じるセンサーのような感覚に磨きをかけてきた私は、
相手の身体から発せられる違和感の信号を感じることがたびたびある。
一見、動きにまったく不自然さはなくとも、
私のセンサーは相手から発せられる違和感を感じ取る。
そんなとき、気が向くと私は相手の身体をマッサージしてあげる。
by. 桜井章一氏
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だが、肩や腰に違和感を感じたからといって、
そこだけをマッサージするようなことはない。
いや、むしろ患部にはそれほど手をかけない。
痛みが発せられるのは身体の歪みから生じていることが多く、
その痛みを和らげるには身体全体のバランスを整えながら処置を施していかなければならない。
あるポイント一点に絞って、
そこだけを修正しようとしても悪い箇所がよくなることはまずない。
by. 桜井章一氏
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自分の短所や悪いクセといったものを修正するときも、
体の歪みを正すのと同様に全体を見ていく必要がある。
こういった短所や悪いクセを直すには、
自分の性格、生活パターンといったものを総合的にとらえ、
見直していかなければならない。
自分はなぜ怒りっぽいのか?
なぜイライラしてしまうのか?
その原因なり、自分の思考のクセといったものを考えていくことで対処法が見えてくる。
by. 桜井章一氏
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短気な人に私が助言するとすれば
「許す、譲るという気持ちを常日頃から大切にすればいいよ」
となる。
「我慢しよう」と思うからつらくなる。
ならば「怒る」「イラつく」
といった感情とは対極にある「許す」「譲る」
という精神を普段から大切にしていく。
遅刻癖のある人であれば、
目覚まし時計を何個も用意するのではなく、
前の日の準備、
さらに毎日の生活で「間に合う」
ことを続けていく。
by. 桜井章一氏
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修正箇所だけに絞って対処していっても物事は何も解決しない。
身体も精神も、
全体をとらえつつ、
流れの中で修正をしていけばいいのである。
「最後の最後まで、何が起きるか分からない」
これが勝負事の醍醐味とも言えるが、
なぜこのようなことが再三起きるのか。
私なりの考えを述べるとすれば、
「人間の気持ちは常に揺れ動いているから」
ではないかと思う。
by. 桜井章一氏
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優位にあったのだから、
そのままのペース、
そのままの気持ちで戦っていれば突然の心身の不調でも起きない限り、
大番狂わせは起きようがない。
ところが人の気持ちは瞬間、
瞬間で常に揺れ動いているものゆえ、
その揺れ方次第で形勢が逆転してしまうことが起こるのである。
ひとつは、形勢有利なまま終わりが近づいてきたときに
「勝ったな」と勝負を勝手に見切ってしまうパターン。
勝負は、実は調子のいいときにこそ負けが舞い込んでくることがある。
by. 桜井章一氏
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勝ちを早めに確信してしまうことで、
そこに油断や隙が生まれる。
勝負の魔の手はそんな油断や隙を見逃さない。
勝ち負けの賽の目は、
その勝負が終わるまでどちらに転ぶか分からない。
本当の勝負師は、
勝った瞬間ですら「終わり」
だとは思わない。
by. 桜井章一氏
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なぜなら、勝った瞬間から、
すでに次の勝負が始まっていることを知っているからである。
逆転負けを食らう、
もうひとつのパターン。
それは「守り」の姿勢になってしまうことから生じる。
守りの姿勢とはすでに逃げている状態である。
by. 桜井章一氏
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人は言葉にとらわれやすいので、
“守り”という意識を持つと、
自分の欠点や弱点、
もろい部分を必死になって隠そうとする。
本来であれば、優位な立場にあったとしても最後まで攻撃の手を休めてはならないはずなのに、
自分の欠点や弱点を隠すことばかりに気を取られていたら、
当然のことながら勢いで勝る
「追う立場」に食われてしまうことになるだろう。
そもそも、私は勝負において
「守り」という立場はあるべきではないと思っている。
それは「受ける」という感覚を持てばいいのである。
by. 桜井章一氏
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