■結果を出す技術 -宝島社-
そう、私の言う”強い人間”とは、変化に対応できる人間のことである。素直な心で感じていれば、その行き着くところが物事の本質である。変化とは結果に至る過程のことだ
そう、私の言う”強い人間”とは、
変化に対応できる人間のことである。
社会環境の変化、
人間関係の変化、
自然界の変化、
そういったものすべてに対応できる人が、
真の意味で”強い人間”なのだと思う。
川が流れ、季節が移ろうように、
自然は刻一刻と姿を変えている。
私は、そんな変化を身体で感じながら遊ぶのが大好きだった。
by. 桜井章一氏
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自然の変化を体感していると、
地上の生物たちはその”変化”
の中で生かされていることに気づく。
私たち人間は、
「変わりたい、変わりたくない」
などと言う前に、
絶えず変化を続ける中で生きていくしかないのである。
地球上のあらゆる生命は自然界の変化に合わせて生きている。
しかし自然界から見れば、
人間の都合など些細なことにすぎず、
変化に対応できない人間たちは相変わらず自然の流れに翻弄されている。
by. 桜井章一氏
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だが、それにしたって自然から見れば人間の勝手な都合であって、
自然は自然のままに移り変わっているだけなのだ。
我々人間はそういった自然の変化を受け入れ、
対応していくしか道はないのだ。
暑かろうが、寒かろうが、
私たち人間は自然の変化とともに生きていくしかない。
それと同じように、
社会の変化もたとえ悪いものであってもとりあえず受け入れて生きていかなくてはいけない。
by. 桜井章一氏
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日本経済の景気が低迷しているからといって
「これじゃ、食っていけない。何とかしてくれ」
というのは、
猛暑日にお天道様に向かって
「暑いからもっと涼しくしてくれ」
と言っているようなところもある。
人は結局、自分の物差しと都合をなかなか離れることができないのだ。
かつて日本人は”八百万の神”
として自然界すべてのものに神が宿っていると信じ、
自然に感謝し、
その恵みをありがたくいただくといった
「変化に対応する精神」を持っていた。
ところが、現代人は変化に文句を言うばかりでその変化に対応しようとしない。
by. 桜井章一氏
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多くの人にとって都合の悪い変化は受け入れがたいものなのかもしれないが、
その都合の悪い変化に対応してこそ人間としての強さが育まれる。
変化に対応するには、
その変化の”本質”
を見極めることが何より肝心である。
私はよく道場生たちに
「心を感じるなかに置くといいよ」と言う。
素直な心で感じていれば、
その行き着くところが物事の本質である。
by. 桜井章一氏
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起きた変化の本質が分かればその後の対応は取りやすい。
変化とは結果に至る過程のことだ。
本書で繰り返し述べてきた
「結果より経過を重視」
する気持ちと素直な心があれば、
人は昨日よりも確実に強くなれるのだ。
「流れのままに」
と言えば聞こえはいいが、
流れは常に変化するものだからその都度対応が迫られるわけで、
行動という変化を自ら起こさなければ、
いつか流れの中に飲み込まれてしまうことになる。
by. 桜井章一氏
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「いい結果」にしろ「悪い結果」にしろ、
どちらも”学び”という恵みがある点では同じである。
私にとってはむしろ「悪い結果」
のほうがありがたい存在だった。
しかし、解決の糸口や対処法といったものは、
「どうやったらよくなるか」よりも、
「なんで悪くなったのか」
を考察したほうが見出しやすい。
だから私にとって「悪い結果」
は歓迎すべき存在なのだ。
by. 桜井章一氏
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いや、必ずしも前だけに進む必要はないのだが、
基本的には一歩一歩、
未開の地を切り開いていく感覚を持っていなければ人生を楽しむことはできない。
どんな結果になろうとも、
自分の人生は自分にしか変えられない。
動けば気づきが生まれる。
すると動きの中で経過の誤りや自分の欠点、
弱点もいろいろ見えてくる。
by. 桜井章一氏
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気になったところは修正すればいい。
修正がうまくいかなければさらに修正を加える。
そんな修正を繰り返していけばやがて選択肢は狭まり、
自ずと最善の道が見えてくる。
しかし、本書で繰り返し述べたように
「結果は後からついてくる」
ものなのだから、
我々のやるべきことは最善の経過を辿ることだけである。
by. 桜井章一氏
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結果を恐れず、
最初の一歩を踏み出そう。
自分の道を切り開けるのは、
他でもない、自分だけなのだから。
by. 桜井章一氏
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■修羅場が人を磨く -宝島社-
つまり修羅場とは、
その人がその状況を修羅場と感じるかどうか。
そこが大きな鍵となってくる。
私にとっての修羅場とは生きるか、死ぬか、
命を取るか取られるか、
そういった状況のことであって、
仕事だったり、
あるいは男女関係のもつれなどで修羅場を感じたことは一度もない。
生きるか、死ぬか、
そういった瀬戸際の状況が修羅場であるとするなら、
それらはすべて「傷つける」
ということから始まっていく。
by. 桜井章一氏
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傷つけるとは肉体的なことだけでなく、
精神的な部分ももちろん含まれる。
こういった虐待やいじめといった問題も、
すべて傷つけるということに端を発する。
そんな世の中であるから、
端から見て何事もないように見える人でも、
何らかの修羅場の中で戦っているのかもしれない。
人間が動いているということは、
自分もまわりも常に変化しているということでもある。
by. 桜井章一氏
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同じ状態が永遠に続くことがなどあり得ない。
「成功」という状態がずっと続くこともあり得ないのだが、
人はその成功がいつまでも続くようにすがりつく。
だから成功を失った時の衝撃も大きい。
成功を失った時、
つまり負けた状態になると、
人は一発逆転を狙おうとする。
by. 桜井章一氏
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修羅場を何回も体験している人は、
自然体で一発逆転をやってしまうことがある。
修羅場で鍛えられた精神の強さがそうさせるのかもしれない。
そう考えると、
人間にとっては修羅場こそ
「生きた勉強の場」
といえるだろう。
詳しくは後述するが、
修羅場には何かを失うことでもたらされる修羅場と、
何かを得ることで起こる修羅場の二つがあると、
私は思っている。
後者は見えにくくなかなか気がつかない。
それゆえ人生の学びになるのは
「得た時の修羅場」ではなく、
「失った時の修羅場」のほうだ。
by. 桜井章一氏
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