■結果を出す技術 -宝島社-
本質的に重要なものは合理的に割り切れるものにではなく、むしろ不合理なものにあるのだ。ひとつのことに集中するのではなく、いろんなことに同時に挑戦していくことで変化への対処法が身につくのだ
勝負に勝つには最後までいかに広い視野を保っていられるかがカギになる。
まわりの状況を冷静に感じ取る。
“全体観”を持っている人ほど、
勝負に強い。
全体観を持っている人は、
一の矢を放った後、二の矢、
三の矢をいつでも放てるように準備している。
by. 桜井章一氏
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矢の準備は、優勢なときより劣勢にあるときのほうが重要な意味を帯びてくる。
勝負の流れを急激に変えることはなかなかむずかしいものだが、
徐々に変えていくのはちょっとした工夫ひとつでできる。
つまり、「想定内」
の枠が大きければそれだけいろんなことに対処できるのだ。
二の矢、三の矢、四の矢と、
準備する矢の数を少しずつ増やしていくのは手間のかかることだが、
最終的には結果への距離を縮めてくれるのである。
by. 桜井章一氏
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本当の意味で合理化を図るのであれば、
高給取りの年配の重役たちがこぞって会社を辞めたほうがよほど合理的である。
だが、無駄なこと、
理屈に合わないこと、
割り切れないこと、
そういった”不合理”
な物事のほうが多いのが人の世だろう。
むしろ、私は世に溢れるそんな不合理なものからいろんなことを学んできた。
かくも私の生き方は合理性を徹底して欠いている。
by. 桜井章一氏
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つまるところ、人間の存在そのものが不合理の塊なのだ。
本質的に重要なものは合理的に割り切れるものにではなく、
むしろ不合理なものにあるのだ。
多くの人は結果というものは合理的な精神が導くと思われるかもしれない。
しかし、合理的な考えと行動の果に生まれる結果などたいした結果ではないと思う。
by. 桜井章一氏
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不合理な要素を多く過程に含んだもののほうが、
想像を超す結果をもたらしたりするものだ。
合理性の間尺に合わないからといって、
すぐに否定したり排除する必要はさらさらないのである。
私にとっての「生活できない」とは、
「食べるものがない」状態である。
「仕事を辞めたら生活できない」
と言っている人の”生活”は、
私の思っている生活とは大分異なっている。
by. 桜井章一氏
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私としては
「住むところがあって、食べるものがあるのなら、嫌な仕事などすぐに辞めてしまえばいいのに」
と思うだけ。
日本人は”豊かさ”を求めて一生懸命に働いてきたのだろうが、
その結果、人々の欲求は物質的なものばかりを求めるようになってしまった。
“豊かさ”の追求は結果至上主義の横行を招き、
人々の間から本当の生活感を奪っていったのである。
嫌な仕事を続けていれば、
自分の気分を害するだろう。
by. 桜井章一氏
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自分の気分が害されていれば、
それは自然と周囲の人たちにも伝播する。
繰り返しになるが、
嫌で嫌でしょうがない仕事などすぐに辞めたほうがいい。
人間は嫌な仕事で結果を出すことより、
気持ちよく生きることのほうが大切なのだから。
そんな人には私は
「”自分に合った仕事”を探そうとするから大変なんじゃないの?
やりたいことがあるなら自分で始めればいいだけだよ」
と答えている。
by. 桜井章一氏
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そもそも「自分に合った仕事」
という観念自体が妄想のようなものである。
そうやって続けていける仕事こそが
“自分に合った仕事”なのであって、
最初から”自分に合った仕事”
などこの世にはないと思ったほうがいい。
逆に「自分は何にでも向いている」
という前向きな気持を持っていれば、
大概の仕事は続けているうちにやり甲斐を感じ、
楽しくなってくるはずである。
しかし、ひとつに集中することばかり続けていると、
いくつかの問題が目の前に現れたときに対応が取れなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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目の前のひとつに対処することはできても、
それ以外には目がいかず、
流れの中で変化に対応できない。
「ひとつに集中することがいいこと」
とされる世の中では、
反対に複数のことに手を出すと
「優柔不断な人」とか「曖昧な人」
と思われがちである。
本当はいくつものことに手を出してそれを処理していくことを学んだほうが、
変化に強くなる。
ひとつのことに集中するのではなく、
いろんなことに同時に挑戦していくことで変化への対処法が身につくのだ。
by. 桜井章一氏
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まず企業の本質を考えたとき、
「善のために悪がある」
という要素が少なからずあることは認識しておいたほうがいいだろう。
いいことをしようとしているその裏側には、
必ず悪が存在するのである。
会社に洗脳されてしまった人は誰よりも一生懸命働く。
だが、会社というものに心はない。
心のないものに命を捧げてはいけない。
by. 桜井章一氏
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良心のある人ほど、
会社のやり方を見て
「それは間違っている」
「そんなことをしてはいけない」
と葛藤が多くなるはずである。
生活の手段としては必要かもしれないが、
人生を捧げるような対象では決してない。
会社に必要とされる人間になろうとするのではなく、
自分の味を出して生き、
その結果として「必要とされる人間になっていた」
というほうが人間の生きざまとしては正しいように思うのだ。
人はそれぞれ誰にでも”個性”があり、
それがその人の”味”となって表れる。
by. 桜井章一氏
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企業で必要とされるのは要領のいい人やずる賢い人、
要は余所から少しでも多くを分捕ってこられる人となる。
私の場合、道場でどんな子に目がいくかというと、
それは「可愛い子」である。
素直さ、健やかさを持っている子は私にとってとても可愛い存在である。
企業で必要とされるために、
ずるいこと、卑怯なことが平気でできるような人間になってしまうくらいなら、
多少つらく、苦しくても自分の
“味”で勝負のできる人間でいたほうがいいに決まっている。
by. 桜井章一氏
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ずるいこと、卑怯なことをしてもまったく何も感じないのは、
人間が企業の歯車になってしまった証である。
しかし自分のしたことを悔やむくらいなら、
機械としてではなくひとりの人間として生きる道を選んでみてはどうだろうか。
しかしことわざに「石の上にも三年」
「桃栗三年柿八年」
などがあるように、
ひとつの事を成し遂げるのにはそれなりの時間を要するものだ。
3年なら3年、
8年なら8年と自分で期間を決め、
結果が出なくてもその間は何があっても諦めたりせずに仕事を続ける。
by. 桜井章一氏
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3年も続ければ間違いなく力がつく。
最低でも”耐え忍ぶ力”
が身についているはずである。
何事も上達するには
“慣れ”が必要だ。
慣れればそれまで見えなかったものが見えてくる。
人生の気づきは多ければ多いほど、
その人を成長させてくれる。
by. 桜井章一氏
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