■結果を出す技術 -宝島社-
どんなときでも気を抜かず、あきらめず、攻めの姿勢を保ち続けた人にだけ、勝利の女神は微笑むのである。「運」も「ツキ」も気分のいいところに寄ってくる
この場合の「受け」とは相手の攻撃を受けつつ、
こちらも次の攻撃のために備えることを意味する。
つまり「受け」とは「守り」ではなく、
「攻撃」の一種である。
そして、その気持ちを持ち続けていれば、
相手に容易につけ込まれることはないのである。
「逆転勝ち」は先述したよう劣性にある側が
「追う立場」となり、
攻撃的な姿勢を保ち続けたからこそ得られる結果である。
by. 桜井章一氏
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しかし、ハイリスク、
ハイリターンの大博打は往々にして失敗に終わる。
なぜなら、追い詰められて切羽詰まった心理状態では、
全体も場の流れもよく見えていないからだ。
大きく勝ってやろうという気持ちは、
無謀な動きになりがちである。
従って、負けが込んだときこそ、
小さな勝ちをひとつずつ積み重ねていこうとすることが大切なのだ。
by. 桜井章一氏
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逆転勝ちという結果は狙って手に入れられるものではない。
どんなときでも気を抜かず、
あきらめず、
攻めの姿勢を保ち続けた人にだけ、
勝利の女神は微笑むのである。
個と全体の関係を理解しなければ
“和”は生まれない。
個を磨き、底上げしていかなければ和となったときの強さは生まれない。
by. 桜井章一氏
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だが、雀鬼会の道場では個を磨く必要はそれほどない。
なぜならダメな人間がいたほうが全体にいい効果を及ぼすことがままあるからである。
それよりもダメな人、
弱い人、ずるい人、短気な人、
いろんなタイプの人間から学ぶことで、
生きていく上で必要な知恵を身につけることができる。
個を高めていくことは、
全体のレベルアップを図る上で欠かせない要素であることは間違いない。
by. 桜井章一氏
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ただ、個を意識するのと同じくらいに全体も意識し、
個と全体のバランスを取りながらいろんな人と接し、
その人間関係の中から多くの気づきを得ていくことが重要なのだと思う。
しかし、本当は「ラッキー」も「ツキ」
も偶然ではなく必然である。
当たり前のことを当たり前にこなし、
やるべきことをきちんと積み重ねていけば、
“いいこと”が起きる可能性は自然と高まっていくものなのだ。
日常の生活が退屈だったり、
つまらなかったりするものであれば、
いいことはなかなか起こらない。
by. 桜井章一氏
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だから私は毎日、
起きた後に気分のいい状態をつくることを意識する。
一日の始まりに気分がよければ思考も行動も良い方向へと変化していく。
「運」も「ツキ」
も気分のいいところに寄ってくる。
だから「ラッキー」を待つのではなく、
まず自分から明るく楽しい日々を送るよう心がけることが大事なのだ。
by. 桜井章一氏
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何かを選ぶ際にも、
分別や世の中の常識に照らしあわせて考えるのではなく、
直感的に気分のいいほうを選ぶようにすることが大切だ。
実際に両方を試してみて、
気持ちのいいほうを選べばいい。
そして大抵は、
その気持ちのいいほうが正解だったりするのだ。
気持ちのいいところ、
明るいところに「ラッキー」
がやってくるのは、
その人が正しい選択を続けた結果であるとも言える。
by. 桜井章一氏
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悩みや不安を抱えているとき、
人はどうしても暗くなりがちである。
そんな暗い状態だと、
夜道と同じで進むべき道が見えづらくなってしまう。
そんな状態では正しい選択などできるわけもない。
明るければ道はよく見えるし、
間違いにも気づきやすい。
by. 桜井章一氏
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明るさは正しい選択に通じるのだ。
このイソップ寓話(金の斧)は、
悪い人間がいい人間のフリを真似たからといっていい結果は起こらず、
むしろ災いを招くかもしれないことを教えてくれている。
「人がやってラッキーだったから自分も」
という邪な気持ちで何かしたとしても、
それがうまくいくことはあまりない。
なるべく毎日を気持ちのいい状態で過ごすには、
自分の中のずるさ、
汚さをできる限り薄め、
自然体で生きていこうと意識することが肝心だ。
by. 桜井章一氏
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自分も気持ちよく、
まわりも気持ちよく。
義務感ではなく、
自然と周囲を明るく楽しくできればなおいい。
「幸運を招こう」とするとどうしても人は目に見えるものばかりを意識するが、
「ラッキー」は目に見えない思考や正しい選択によって導かれるものである。
ありのままの自然体で気持ちのいい空間をつくっていくことが、
いい結果を運んでくる秘訣なのだ。
by. 桜井章一氏
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私はよく太古の人類に思いを馳せることがある。
複雑化した今の社会で、
問題解決の糸口を探すには、
物事をシンプルにとらえる必要がある。
だから私は太古の時代にいったん立ち返り、
問題の本質を理解する。
現代を生きる人たちは太古の世界の人間より自分たちのほうが優れていると思っているかもしれないが、
それは勘違いも甚だしい。
by. 桜井章一氏
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むしろ、人間の本質的な生きる能力というものに関しては、
現代人の能力など太古の人々に遠く及ばないと思う。
結局のところ、
市場主義に則った競争社会の中で繰り広げられている争いは単なる
“分捕り合戦”である。
他から少しでも多くのものを分捕ってくることができる人ほど、
“能力がある”と社会から高く評価される。
このように現代社会では
“能力”というものは、
自分で一生懸命努力して磨いていくもののように思われている。
by. 桜井章一氏
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しかし私の考える”能力”
とはまったく別ものである。
先述したように太古の人々が持っていたもの、
もっと突き詰めれば自然が持っている力こそ本当の能力だと思っている。
科学がいくら進歩したとはいえ、
人間の技術で台風のような風は起こせないし、
太陽のように大地を温めることもできない。
知識に偏重した能力は経済社会を生きていく上ではとても重要なのかもしれないが、
あまりそれに頼りすぎるとあとで手痛いしっぺ返しを食らうことになる。
by. 桜井章一氏
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この社会で評価される能力が最終的に人間にとって
「いい結果」をもたらすものなのか、
いま一度真剣に考えるべきだろう。
科学はこれからますます進歩し、
人類にさまざまな恩恵をもたらしてくれるのかもしれないが、
そんな時代だからこそ自然から本当の能力を学び、
身につけていくことが大切だと思う。
本当に強い人間は自分の力を誇らない。
強さを内に湛えたまま、
しなやかに、流れるように生きている。
by. 桜井章一氏
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