■結果を出す技術 -宝島社-
選択肢を少なくすることは結果を出す近道なのだ。すなわち人は、”他から入ってきたもの”に惑わされて生きている
対象物を凝視してものを取りにくのは自然な動きではない。
結果にとらわれすぎる人は、
対象物をしっかり見つめながら手を伸ばす人に似ている。
人間は見えているものにとらわれすぎるから、
自然界の動物たちのような流れる動きができなくなってしまったのだろう。
明るくあるためには、
目線はちょっと上を向いているくらいがちょうどいい。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
目線が上を向いているから自然と姿勢がよくなるのである。
だが、私は今までの人生で、
あるいは戦いの中で退いたからこそ、
その後いい結果を出すことができた経験を数多くしている。
八方塞がりだと感じたとき、
ちょっと引いてみたり、
退いてみたりすることで思わぬ道が開けることは勝負の場においてよくあることだ。
そもそも、私の人生そのものが
「一歩退いた生き方」
をしてきたように思う。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
この社会とは距離を置いておきたいがために、
一歩退いた生き方をずっとしてきた。
権力者たちによってつくり上げられた今の社会を私は認めていない。
権力者たちによって形作られたシステムに染まるような生き方はまっ平御免である。
相手の動き、相手の力を吸収してしまうような感覚とでも言えばいいだろうか。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
自分が相手の中に入ってしまうような感覚。
だから相手が圧力をかけてきたとしても、
私は相手の中にいるから何も感じない。
勝負の場で退く感覚を持っていると、
相手の圧力に屈することなく、
そのまま戦い続けることができるのだ。
私のように退く感覚を持てば、
相手が圧力をかけてきたとしても
「勝手にやってれば」
と冷静でいられるし、
その戦いを俯瞰することもできる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
結果を出せる人は圧力をかけるだけでなく、
このように退く感覚も持っている人なのである。
絶対絶命のピンチのとき、
そこから逃げ出したくなるのが人情というものだろう。
とくに自然の猛威に対して人間は無力である。
逃げ道を探しながらベストの選択を模索していくのである。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
でも、普段の生活の中でも逃げ道を用意しておくのと、
していないのとでは結果は大きく変わってくる。
私が道場生たちに
「専門家ではなく万能家を目指しなさい」
と言っているのも、
ひとつには逃げ道をたくさん用意しておけば何かあったときに次の一歩を踏み出しやすいことを伝えたいからである。
専門家は往々にして脇目もふらず結果に辿りつこうとするが、
万能家であれば結果にとらわれない柔らかい動きができる。
逃げ道をつくることばかりに気を取られてしまうのは本末転倒だが、
人生を生きる上でいくつかの逃げ道を用意しておくことはとても有用である。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
私からすると、
今の人たちは要らないものを持ちすぎているように思う。
情報や物質的なものだけでなく、
世の常識や仕事のしがらみから派生した人間関係、
さらに努力して積み上げてきた実績や肩書など、
私の感覚では要らないものばかりである。
それらは却って人の生き方を不自由にするものだと思うからだ。
けれども、私がこの年まで臨機応変にいろんなことに対応してやってこれたのは、
不要なものは捨て去り、
シンプルに生きてきたからである。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
複雑になりすぎて不自由になってしまったこの時代を身軽かつシンプルに生きていくには不要なものは捨て去り、
選択肢をひとつでも少なくしていくことが肝心だ。
選択肢を少なくすることは結果を出す近道なのだ。
決して選択肢が多い中で結果を早急に求めてはいけない。
本当に必要なものだけを残していくと、
自分の中から生まれたものより、
他から入ってきたもののほうが多いことに気づくだろう。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
すなわち人は、
“他から入ってきたもの”
に惑わされて生きている。
しかし、その
“他から入ってきたもの”
のほとんどは、
人が生きていく上であまり必要のないものばかりなのだ。
そんな不要なものを捨てていき自分の中に残った数少ないものが、
等身大の”本当の自分”である。
そうなって初めて選択に悩まないシンプルな生き方ができるのである。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
人を熱くする最古のもの。
それは宗教だと私は思っている。
「熱くなる」ということは、
多かれ少なかれ自分を見失っている状態である。
そんな状態にあるときに正しい判断、
決断をくだせるわけがない。
道場生たちにも私は常日頃から
「熱すぎず、冷たすぎず、”温かい”程度が一番いいんだよ」
と教えている。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
雀鬼会では熱くなりすぎている道場生がいたら、
私がそこにちょっと水を足して適温に戻してやる。
逆に冷たくなっている道場生がいたら場の雰囲気を明るくして温めてやる。
体温に”適温”というものがあるように、
心の温かさにも”適温”というものがあるのだ。
「熱い」ほうに偏りすぎている人はバランスが悪いゆえ、
いったん「冷たい」ほうに振れるとその反動で極端にブレてしまうのだ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
その人が熱心だったことを急にやめてしまったのは、
あまりにも熱くなりすぎたからに他ならない。
熱くなって正しい判断が下せず、
しかも長続きしないのであれば目標を達成することも結果を出すことも困難になる。
人生のゴールはひとつではない。
目標や目的を達成した後に、
また新たなゴールが目の前に現れる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
熱くなるとしても強弱をつけ、
常に適温に戻れるようにしておく。
それが長い人生で結果を出していくコツなのだ。
勝負の世界で”勝負強い”
と言われる人は、
負けない戦い方を知っている。
だから最後までしぶとく戦える。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
逆に”勝負弱い”と言われる人は、
肝心なところでポカをして自ら墓穴を掘り、
あっさり負けてしまったりする。
私の考える勝負強い人と弱い人の差。
それは準備している”矢”の数が違うということである。
勝負弱い人は「ここぞ」
という勝負どころで焦ったり、
緊張して目の前のことしか見えなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆