■結果を出す技術 -宝島社-
あらゆる物事に共通していることは、そこに意味を見出すのも、無駄だと感じるのも、結局はその人の考え方次第ということである
ラインを挟むようにして立っているほうが、
どちらにもとらわれず、
シーソーのようにバランスを保っていられるのである。
自然の摂理に則って考えれば、
この世に無駄なものなど存在しない。
無駄なものが存在するようになったのは、
あるいは”無駄”という概念が生まれたのは、
人工的なものがつくられるようになってからである。
無駄なことに「無駄だ」と思って取り組むのと、
「無駄なものの中にも何か意味があるかもしれない」
と思って取り組むのとでは、
結果に雲泥の差が出る。
by. 桜井章一氏
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あらゆる物事に共通していることは、
そこに意味を見出すのも、
無駄だと感じるのも、
結局はその人の考え方次第ということである。
私が相反するものを意識して生きてきたのは、
それを組み合わせたり、
交わらせたりしていくことがより面白い結果をもたらすからだ。
善と悪、常識と非常識、
緊張と弛緩、熱血と冷血など、
この世の中にはいろんな相反するものがあるが、
その両方を出していくと、
新たなものがポッと生まれてきたりする。
明るい人と暗い人、
熱い人と冷たい人、
真面目な人といい加減な人、
そういった相反する組み合わせが多ければ多いほど、
そのチームの彩りは増し、
新たなものが生まれてくる。
by. 桜井章一氏
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1色しか使わない絵よりも、
12色を使った絵のほうが彩りが豊かになるように、
ひとつの集団にいろんな色が揃っているほうがそこにいろんな色彩が生まれ、
人と人が触れ合うことで次々と変化が起こる。
私たちはいつもその変化を楽しんでいる。
マイナスの人間もいるからこそいろんな味に気づくことができるし、
学びがある。
偏った生き方、
考え方をしていたらこの楽しさは味わえない。
by. 桜井章一氏
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つまり”結果”は素人にも分かることであって、
本当に味わいがあるのは”経過”のほうである。
仮に結果がよかったとしても、
経過がよくなければ意味がない。
卑怯なこと、ずるいことをして”よい結果”を得ようとするのは、
結果にとらわれてしまった人のすることである。
麻雀にしろ、将棋にしろ、
勝負というものは経過にこそ味があり、
その人の生きざまが出る。
by. 桜井章一氏
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であるならばなるべくいい生きざまを示していきたい。
経過と結果の両方に足を置きつつ、
その都度最善の道を探っていく。
たとえそれがいい結果に結びつかなかったとしても、
経過がよければそこから気づきや学びを得られるはずだ。
経過と結果をまったく別ものとして分けるからどちらかに偏ってしまうのであって、
そのようなバランスを崩した状態ではいい戦い方もできないし、
いい結果を得ることもできないのだ。
by. 桜井章一氏
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脱力したところからフッと身体を動かしたほうがとてつもない力を生み出せる。
もっとも、この脱力した状態、
弛緩した状態というのは、
たんに力がゼロの状態とは違う。
力を抜いて緩めているものの、
身体全体がどこかしなやかな弾力性に満ちて一つにつながっているのだ。
「がんばる」ことがいいこととされる今の世の中では、
日々の仕事、生活の中で心身ともにどうしたって力んで張った状態になってしまう。
by. 桜井章一氏
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肝心なのは張ったり弛めたりしながら
“緊張と弛緩”のバランスをうまく保っていくことである。
これは肉体的にも精神的にも大切なことだ。
あなたの重ね合わせた手の上に位置しているのが右手だとしたら、
まずはその右手に目一杯力を入れ、
逆に下の左手、
左腕は脱力した状態にしてみてほしい。
そしてその状態のままで両手のタイミングを合わせて両腕を上に上げると、
押さえつける力を簡単にはね除けられるはずである。
by. 桜井章一氏
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このように、相反する力を組み合わせることで筋肉に頼らない、
人間が本来持っている力を発揮できるのだが、
ほとんどの人は押さえつける力をはね除けるために
“筋肉”をつけようとする。
だが、それでは”緊張と弛緩”のバランスが緊張のほうに偏るばかりで新たな力は生み出されない。
どちらかに偏ることなく、
相反するもの間でうまくバランスをとっていくことで、
人間が本来持っていた力が開花する。
海に入って感じる波や潮の流れ、
そこに息づく生き物たちなど、
そのすべてが私の本能を刺激し、
「人間は生き物としてどうあるべきか」
という人間の原点を私に教えてくれる。
by. 桜井章一氏
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私なりの解釈では、
大胆→力を抜いている状態
無謀→力が入ってしまっている状態
である。
「ここぞ」というときこそ、
力の抜けた状態で大胆に臨まなければならない。
力んでしまってはその人の本当の力が発揮できるわけがない。
サメのいる海に飛び込むとき、
私の身体は海という大自然とシンクロしている。
by. 桜井章一氏
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サメの邪魔をしないように、
姿を消すような気持ちで海に入っていく。
“大胆”な気持ちを持ちつつ
“細心さ”も忘れずに持っておく。
私がサメのいる海に入っていくときも大胆に海と同化しつつ、
五感をフルに使って周囲の気配を感じ取るようにしている。
大胆さは細心さがあってこそ初めて成り立つものであり、
それが組み合わさることで”勇気”が生まれる。
by. 桜井章一氏
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細心さのない大胆な行動は勇気ではなく、
単なる”無謀”でしかないのだ。
そういった大胆さを持っている人は何事にも余裕があるので、
仕事などでもいい結果を出すことが必然的に多くなるはずである。
臆病になってしまうのは、
すでに気持ちが負けている証拠である。
気持ちが負けているので身体が動かない。
だから石橋をたたいても渡れない。
by. 桜井章一氏
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臆病さを克服するには、
自分の中にある不安を薄めていくようにしたらいいと思う。
ほんの僅かでもいいから動くことで不安は薄まる。
ちょっとでもいいから動く、対処する。
不安を薄めるにはそれしか方法はない。
細心さは臆病さから派生するものではなく、
大胆さと組み合わさることでいい結果をもたらす、
いわば大胆さと表裏一対の存在である。
by. 桜井章一氏
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確かに私は自分に自信を持っている。
ただ、その自信と同じくらいに”不信”を持っている。
「自信を持ってやったほうがいいな」
というときはそっちにちょっと重心を置く。
逆に「自信がないな」「苦手だな」
というものが出てきたときには、
それをそのまま受け止める。
by. 桜井章一氏
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私にだって自信のないときもあれば、
苦手なものもたくさんある。
人間であれば自身のないことがあって当たり前だし、
苦手なものがあったって何の問題もない。
人間には自身のないもの、
苦手なものがあって当たり前なのに、
それを隠そうとするからいろんな問題が生じるのである。
自信満々の鎧を着けて自信のないところ、
苦手なものを隠す。
by. 桜井章一氏
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