■結果を出す技術 -宝島社-
自然の中ではその人間の真の姿が露わになる。今、何をすべきかちゃんと分かっているセンス。瞬間的な動きを可能にするそのセンスを本物の能力と言うのではないだろうか
続ければ見えてくるものがある。
「合わないな」と思いながらも続けることで学んだものは数限りない。
結婚生活から学んだものは私の人としての幅を広げてくれたのは間違いないだろう。
続ければ見えてくるものを見ず諦めてしまうから
「再婚してまた離婚」と、
同じようなことを繰り返すはめになるのだ。
by. 桜井章一氏
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人生にはいろんな壁が現れる。
そしてその壁を前にすべてを諦めてしまったら、
せっかくの”人生の気づき”
も見落としたままになってしまう。
結果を残すことにばかり気を取られ、
壁を越えようとせず進路を変えてしまうのは本末転倒である。
壁と思えば乗り越えようという発想になるが、
壁を壁と意識せず、
「とりあえず続けてみよう」と思えば、
その壁はいつの間にか消え去っていることもあるのだ。
by. 桜井章一氏
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それはつまり壁に思えたものが、
いろんな気づきや学びを得ることによって成長し、
壁が壁でなくなっていたということだ。
「3年我慢すれば何かしら見えてくるものがあるよ」
という先人の知恵はシンプルだが、
極めて本質を突いている。
結果を残そうと必死になるあまり、
引き際を見失い失敗してしまう人を私は昔からよく目にしてきた。
欲を張り、より大きな成果や報酬を求めるあまり、
自ら墓穴を掘ってしまうのである。
by. 桜井章一氏
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引き際を見極めるためには
「見切り」ができなくてはならない。
ただ、この「見切り」には
「いい見切り」と「悪い見切り」
があるから注意が必要だ。
勝負事でいえば、
戦いの中でミスを重ね「もうダメだ」
と早々に見切りをつけてしまう人がいる。
また、それとは逆に勝負を優勢に進め
「もう勝ったな」と見切ってしまう人もいる。
by. 桜井章一氏
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これらはいずれも「勝負を途中で投げ出している」
という意味では同じことである。
どちらも自分の可能性の幅を自らの手で狭めてしまっている。
「もうすぐ頂上だ」
というときに天候が悪化したとする。
ここで「撤退」の判断を下すことはある意味、
とても勇気のいることだ。
by. 桜井章一氏
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でもそんな「あきらめのつかない」
ときでも瞬時に撤退の決断を下せる人が
「いい見切り」のできる人である。
「いい見切り」をするためには、
勇気が必要なのだ。
仕事に一生懸命なのはいいが、
「絶対に成功してやる!」
などと結果を出すことにとらわれすぎたり、
あるいは身の丈に合わない大きな結果を求めすぎると冷静さを失い、
事象の流れや全体像をつかむことができなくなってしまう。
仕事で結果を出すには、
できる限り客観的な視点で全体をとらえていく習慣を身につけていく必要がある。
by. 桜井章一氏
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人は時間をかけて考えるとどうしたって計算が働いてしまう。
そしてその計算には必ず損得が絡む。
経済社会の中で生きる現代人は数字に囲まれた世界で生きている。
このような環境で生き抜いていくには必然的に計算高い人が有利となる。
by. 桜井章一氏
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確かに、計算高さはその人を社会の中で優位にしてくれるかもしれない。
でもそれはあくまで短期間に限っての話である。
時間をかければ人間の計算などいつかどこかで必ず狂ってくる。
計算する数字が大きくなればなるほどその狂いも比例して大きくなっていく。
by. 桜井章一氏
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だが、高学歴を絵に描いたような道場生はいったん計算が狂うとそれを自分で修正する術を身につけていない。
計算が狂ったら狂いっぱなし。
私が道場生を海に連れて行くのは
「社会の中で通用する計算高さなど自然の中ではまったく通用しないんだよ」
ということを肌で感じてほしいからでもある。
自然の中ではその人間の真の姿が露わになる。
by. 桜井章一氏
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計算高い人は「損か、得か」
を考えてから動くので、
動きに間がある。
努力を100個しても
「それだけかい、無理してんな」
と思う者もいれば、
「瞬間力」を持っている者は
「ここぞ」というときや、
みんなが見落としたことをだまってすましている。
計算高さが抜けない道場生たちは、
学問では点数を取れただけにことごとくミスや失敗を恐れ怖がる。
シャボたちがすいすいこなすことも計算しているうちに間に合わなくなり、
泡を食って焦り、ミスを重ねて落ち込み、
ミスを恐れてまた落ち込む。
by. 桜井章一氏
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計算高い人間の動きは総じて固い。
しかし、損得を抜きに
「自分を二の次」
に置ける人間は動きに力みがなく、
柔らかいから臨機応変な動きも可能になる。
計算高さにはその人の持つ欲やずるさ、
汚さが必ず入り込む。
私はそんなものは本物の能力だとは思わない。
by. 桜井章一氏
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そんな偽の能力によって導き出されたものが、
正しい結果に行き着くとは私には到底思えない。
今、何をすべきかちゃんと分かっているセンス。
瞬間的な動きを可能にするそのセンスを本物の能力と言うのではないだろうか。
結果は、計算によって導き出されるものではない。
本当の結果は、後から付いてくるものなのである。
by. 桜井章一氏
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でも、「いいからこそやろう」
ではなく
「あまりよかねぇからこそやろう」
が私の性分である。
「あまりよかねぇからこそやろう」
これは自分との約束である。
みなさんは誰かと交わす決まり事が
“約束”だと思っているかもしれないが、
私の場合”約束”は自分以外の他人と交わす以前にまず自分自身と交わしている。
「約束は自分とするもの」
これが約束の本質である。
by. 桜井章一氏
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私は自分に嘘をつきたくないし、
裏切りたくもない。
だから自分と交わした約束は死守する。
それが私の生きざまでもある。
「あまりよかねぇ」
からこそ道場に誰よりも早く行ってやろうという気になる。
「約束は誰かとするもの」
と思っている人は、
そこで相手の信頼を裏切ってしまったと感じるのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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