「考える」という行為は人を重くし、弱くするものだと認識しておいたほうがいいだろう。危険なことに挑むことは、何よりもその能力を刺激し、開花させる。結果を恐れずにリスクを取りにいく

■結果を出す技術 -宝島社-

「考える」という行為は人を重くし、弱くするものだと認識しておいたほうがいいだろう。危険なことに挑むことは、何よりもその能力を刺激し、開花させる。結果を恐れずにリスクを取りにいく

物事は考えれば考えるほど重くなる。
気持ちが重くなれば当然体も重くなる。

「考える」という行為は人を重くし、
弱くするものだと認識しておいたほうがいいだろう。

プロスポーツの世界でも一流のアスリートは苦労を表に出さない。

「結果を出す」ということにとらわれ、
考え過ぎるのは結局自分を重くしているだけなのだ。


by. 桜井章一氏

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一流アスリート、勝負師たちのように、
苦労をまったく感じさせない
「身軽な人」こそが強い人であり、
結果を出せる人なのである。

「おとなしい鬼なんて、もう鬼じゃない」
無茶もできないのでは私らしさがどこかにいってしまう。

私が幼いころから続けてきた「無茶」とは、
ミスを犯すかもしれぬ領域に挑んでいくことである。

私は誰もができそうなことにはまったく興味がなかった。


by. 桜井章一氏

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誰もできっこないようなことをやりたくなる。

私の本能が危険なほうへ、
危険なほうへと私を導いていく。

私はそんな自分の感性に素直に従っていたまでなのだ。

でも、そういう性分があったからこそ、
私は危険と隣り合わせの世界でいろんなことを学び、
成長することができたし、
そのお陰で今の私があると思っている。


by. 桜井章一氏

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人間の本来の能力は自然にとても近いところに位置している。

危険なことに挑むことは、
何よりもその能力を刺激し、
開花させる。

ミスをするかもしれない領域、
「できないかも」と思う領域に飛び込んでいくのは、
とても勇気のいることだ。

だがその勇気があれば、
いつしかリスクを楽しめるようになる。


by. 桜井章一氏

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そしてその結果、
自分の奥底に眠っていた思いもかけぬ潜在能力を引き出すことにも繋がるのだ。

結果を恐れずにリスクを取りにいく。

それがその人の成長につながり、
自然と結果もよくなっていく。

肝心なのはその渦中にあるときに必要以上に浮かれたり、
また落ち込んだりせず、
その時々の調子のよさ、
悪さとうまく間合いを計っていくことである。


by. 桜井章一氏

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■手離す技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」~ -講談社- 負けが込んでいるような状況でも、 円の感覚を持ち続け...

だからそこにはあまり手を加えず、
その調子のよさがどのくらい続くかを計ってみる。

そうやって調子のよさを計っていけば、
ポジとネガの関係で調子が悪くなったときもそれがどれくらい続くか、
そこからいつ抜けられるかといったことが大体わかるようになる。

しかも調子の悪いときはやるべきことがたくさん生まれてくる。

つまり調子の悪さから脱するには、
その悪さときちんと間合いを計り、
その中で「どれだけ気づくか」
「どういう対応ができるか」
が問題になってくるのである。


by. 桜井章一氏

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だから私は調子の悪いときこそ、
自らの置かれた立場をなるべく楽しむようにしている。

逆に調子の悪いときに
「お、何かやることがいっぱいあって面白いな」
と感じる。

自分の力が試されることが、
この上ない喜びなのだ。

前にも述べたが、麻雀のみならず、
遊びも生き方もすべてがそのような姿勢なので私は人生からいろんな気づき、
学びを得ることができた。


by. 桜井章一氏

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そうやって調子の悪いときも楽しめるようになると、
それまで見えなかったものが見えてくるようになり、
結果も自ずとついてくるようになる。

反対に調子がいいときは流れに身を委ねていればいいが、
それも必ず崩れるときがくる。

そのとき逃げることなく、
手間を厭わず余裕をもって対応していけるかどうかが大きなポイントになるのである。

失敗の許されない環境は、
人間らしさを奪い、
思考や動きをどこかぎこちないものにさせる。


by. 桜井章一氏

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■見えない道の歩き方 -竹書房- この世の中のすべてのものは、 連動して影響し合って生きています。 その結果、状況は変...

人間ならばミスはあって当たり前である。

それなのに今の社会は失敗を許してはくれない。

そんな環境にあるからか、
今の人たちの口から飛び出すのは
“言い訳”ばかり。

“言い訳”はその場から逃れようとする気持ちから生じるものだ。


by. 桜井章一氏

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ミスをし、その悪い立場を受け止められないから逃げたくなってしまう。

私のように「ミスはあって当たり前」
と思って生きていれば、
いい結果も悪い結果もそのまま受け止められる。

「俺ってこんなミスをするんだな」
と失敗を受け止めればその後の修正が効く。

そうやって修正を繰り返していくことが人間の幅を広げ、
その積み重ねが”いい結果”
につながっていく。


by. 桜井章一氏

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私が主宰する雀鬼会の麻雀道場では、
そこで起こったいいことも悪いこともすべて私の責任である。

むしろ、悪い結果が出たときこそ、
それは私の責任だと思っている。

指導的立場にある人間は、
せいぜい教えられる側が学んだり成長できるための気づきやヒントを与えることしかできないと常日頃感じているからだ。

今の社会では自分の身を上に置いてしまうと必然的に失敗の許されない環境となり、
それが責任回避にも繋がっている。


by. 桜井章一氏

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■シーソーの「真ん中」に立つ方法 -竹書房- 体に触れ、 心にも触れる。 どちらか片方だけではいけません。 それが本...

私は”土に還る”という言葉をよく使う。

すべての源は”土”にあるのだから、
上ばかり見ることなく、
下にある大地を意識して生きていきたい。

常に心は地に這った状態にある。

地に這った状態なのだから、
立場は下の人間とまったく同じ。


by. 桜井章一氏

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土の上にいれば失敗も許せるし、
あるがままの自分を受け止められるようになる。

生きざまにしろ、仕事のやり方にしろ、
「ここだけは絶対に譲れない」
という自分なりの領域を持つことはとても大切なことである。

「自分なりの領域」とは、
言い換えれば「自分の軸」と言ってもいい。

身体を動かすとき、
軸がしっかりしていなければ身体がブレてしまうのと同様、
精神にもしっかりとした軸は必要だ。


by. 桜井章一氏

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自分の中から湧き上がってきたものによって形作られた軸はしなやかさを持っている。

ところが他から感化されてできあがった軸は硬く、
ちょっとしたことで折れてしまったりする。

世の中の常識やルールにとらわれやすい人は、
往々にしてこのように軸が硬くなりがちである。

しなやかな軸を持っている人は
「譲れない」と「譲る」
のバランスがいいから柔軟さがあり、
何事にも対応できる。


by. 桜井章一氏

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