勝負に弱い人というのは、自分で限界を勝手に設定してしまう。マラソンも人生も、苦しいその先に勝負どころが待っている。そしてその勝負どころで戦ってこそ、人としての可能性が広がっていく

■修羅場が人を磨く -宝島社-

勝負に弱い人というのは、自分で限界を勝手に設定してしまう。マラソンも人生も、苦しいその先に勝負どころが待っている。そしてその勝負どころで戦ってこそ、人としての可能性が広がっていく

そして私が勝って得たもの自体、
いつかは何らかの形で失われていく宿命を持っている。

勝ったり何かを得るということには、
すでに見えざる修羅場がその中に潜んでいるのである。

多くの人は修羅場を経ることで
「何かを失う」と思っているはずだ。

成功者たちは、
自分たちが成功するためにたくさんの修羅場を作り出す。


by. 桜井章一氏

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成功者たちの作り出す修羅場は、
「得るための修羅場」ともいえる。

それなのに、社会では
「失う修羅場」だけを修羅場とし、
「得る修羅場」は努力といって評価したりする。

失ってからその事実に気付くのでは遅すぎる。
現代社会はまさに修羅の社会である。

社会人になるということは、
紛れもなくそのような
「修羅の世界」に入るということなのである。


by. 桜井章一氏

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言ってみれば、
裏の麻雀は権力者同士のケンカを代打ちと呼ばれる者たちがその身代わりとなってやっているようなものだ。

しかし麻雀の世界はいくら勝ったとしても世間から褒めたたえられることもなく、
敵が増えていくばかりなのだ。

裏の麻雀は大勝負になればなるほど、
自分の命をかけて戦わなければならない、
それはまさに修羅場だった。

結局のところ、
いつの時代も権力者というのは何かをかけて戦うことが好きなのだ。


by. 桜井章一氏

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人間には、多かれ少なかれ
「戦う血」が流れている。

生きとし生けるものすべてに
「攻撃性」があり、
その攻撃性があるから地上の生物たちは生き残ってきた。

そういった人間の本質を理解しなければ、
修羅場というものに対して真っ向から向かっていくことはできないだろう。

戦いや攻撃性というものを忌み嫌っているばかりでは、
人間の進歩はない。


by. 桜井章一氏

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自分の中の戦う血を確認してこそ、
修羅場で生き抜いていく力が育まれるのである。

平坦な人生などあまりないだろうし、
私から見れば「平坦な人生」
ほどつまらないものはない。

私は「人生は思い通りにならないから楽しい」
と思って生きてきた。

修羅場をくぐり抜け、
壁を乗り越え、
そうやって人生の数々の障害を克服してきた人というのは勝負強い。


by. 桜井章一氏

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勝負に弱い人というのは、
自分で限界を勝手に設定してしまう。

私も今まで巡り合った修羅場の中で、
このランナーズ・ハイのような状態になったことが何度もある。

苦しい状態をしのいだ後に感覚が研ぎ澄まされ、
いろんなことが見えてくる
(「見えてくる」といってもそれは視覚的なことではなく、
五感の「感じる」領域が広がっていくという意味である)。

そんな感覚の冴えによっていくつもの修羅場をしのいできた。


by. 桜井章一氏

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勝負に弱い人は、
先程のマラソンでたとえるとすると、
苦しくなったらそこで走るのを止めてしまう人だ。

本当はその苦しさの先に自分を成長させてくれる領域があるのに、
その手前で走るのを止めてしまっては、
いつまでも代わり映えしない自分がそこにいるだけである。

マラソンも人生も、
苦しいその先に勝負どころが待っている。

そしてその勝負どころで戦ってこそ、
人としての可能性が広がっていく。


by. 桜井章一氏

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勝負どころで勝負を仕掛け、
本当は2着だったのに4着になってしまうというようなこともあるかもしれない。

けれども、勝負どころで出したその勇気は決して無駄ではない。

その勇気が勝負強さを生み、
限界をぶち破る力となるのだ。

修羅場に巻き込まれたらまず、
その状況を第三者の目で俯瞰して見ることが大切である。


by. 桜井章一氏

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それと同時に軸を立て自分をしっかり持っていれば、
「主導権をとる」ことができ修羅場はよりくぐり抜けやすくなる。

修羅場に巻き込まれたとしても、
主導権を握っていれば先手をとることができる。

全体を俯瞰して捉えると同時に、
置かれている状況、
状態が見えてないと主導権をとることはできない。

逆に言えばそうなれば向こうがどんな策を使って来ようとも、
次の動きが分かっているわけだから慌てて対処する必要も無くなる。


by. 桜井章一氏

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状況や状態をしっかりつかんでいないと、
主導権もとれないし、
次の動きも分からず、
結果として攻められることになる。

どんな状況であろうが、
相手に先に動かれたらその人はもう動けない。

仮に動いたとしても、
それは悪あがきとなるだけである。

修羅場とはこのように、
主導権をとってくぐり抜けていくものなのだ。


by. 桜井章一氏

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慌てふためいた状態でいくら脱出法や突破口を探しても、
修羅場は抜け出せない。

そしてその主導権をとるコツのようなものは、
場数を踏むこと、
つまり修羅場に慣れることで見えてくるものでもあるのだ。

修羅場もそこに関わる人数が増えれば増えるほど、
くぐり抜けるのは困難となる。

1対1の修羅場であれば状況も把握しやすいが、
10人、20人といった大人数が関わる修羅場となれば、
状況は目まぐるしく移り変わり、
それだけ瞬時の判断も必要となってくるからだ。


by. 桜井章一氏

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ただ、いくら人数が増えたとしても、
置かれた状況、
状態をしっかりと捉えていれば、
それほど慌てる必要はない。

場数を踏めば、
人数が何人であろうが、
修羅場で主導権をとれるようになる。

何事も「先手」
をとることはとても大切なことなのである。

考えてみると、
世の中というのは理不尽なことだらけである。


by. 桜井章一氏

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とくに人の発する理不尽さというのは尽きることがない。

人が発する理不尽さは、
ひとつの武器でもある。

私はどんな理不尽なことをされても、
決して手を上げるようなことはしない。

理不尽なことにとことん付き合う。


by. 桜井章一氏

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そうすると理不尽なほうもスタミナが切れて、
理不尽な球を放ってこなくなる。

だから私は、
理不尽な球を受けるフリをして受けない。

すべて後ろに逸らすようにしている。

そんなことを続けているとやがて相手のほうが勝手にダウンしてくれるのだ。


by. 桜井章一氏

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