人間というのは自分勝手なもので、人にしてもらったことはすぐに忘れ、人にしてあげたことをずっと覚えていたりする。正しい選択とは、現代社会に横行する効率主義や損得勘定だけで測ることのできないものである

■修羅場が人を磨く -宝島社-

人間というのは自分勝手なもので、人にしてもらったことはすぐに忘れ、人にしてあげたことをずっと覚えていたりする。正しい選択とは、現代社会に横行する効率主義や損得勘定だけで測ることのできないものである

自分に運がないと考えてしまう人は、
修羅場に対して受け身になってしまっている。

修羅場をいい方向に変化させたいのであれば、
自分から動いていくしかない。

私は常々「負けの90%は自滅だ」
と言っているが、
修羅場を悪化させてしまう人も自滅の道を辿っているだけだと思う。

修羅場で自滅しないためには、
決して受け身にならず、
攻めの姿勢を貫くことが大切となる。


by. 桜井章一氏

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家庭というのは夫婦ふたりで作り上げるものだ。

自分ひとりで作ったものであれば怒りもそれほど大きくならずにすむが、
ふたりで作り上げてきたものだからこそ、
怒りの他にも悔しさや情けなさといった感情が入り交じり、
修羅場と化してしまうのである。

私はまず最初に、
その夫婦のどちらか一方が本当に嫌で別れを切り出しているのか、
好きなのに許せなくてそうなっているのか、
そこを見極めるようにしている。

一方が本当に嫌になってしまっているのであれば、
残念ながらその関係を修復することはできない。


by. 桜井章一氏

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片方が「離婚したくない」
と思っていたとしても早めに踏ん切りをつけたほうがいいだろう。

そうではなく、
お互いにまだ気持ちがあるのであれば、
それは必ず解決する方法がある。

その解決法をそれぞれの形を踏まえた上で探していけばいい。

私は相談を受ければ、
それぞれにふさわしいアドバイスを贈りはするが、
解決法を示すようなことはしない。


by. 桜井章一氏

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解決法というのは、
私が決定することではなく、
当事者同士で決めるべきことだからである。

だから私はアドバイスしたとしても、
その後は当事者に任せるような形に持っていくようにしている。

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」
とはよく言ったもので、
お互いにまだ気持ちがあるのであればわざわざ仲介役などを立てずとも、
何かをきっかけにして夫婦は再び元の鞘に収まっていく。

「過去にこんな人もいたよ」
「こんなパターンがあったよ」。


by. 桜井章一氏

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そんなことを聞かせながら、
ふたりが進むべき道の方向をおぼろげに示してあげるのだ。

別に覚悟というほどのものではないが、
浮気をするならば、
その後最悪の事態となったとしてもそれを淡々と受け止められる度量は必要だろう。

常日頃からそういった根っこの部分をぶらさずにしっかりと持っていれば、
仮に浮気がバレたとしても夫婦間の関係修復は可能なのだ。

現代社会における「金」
という存在は、
地球上の生物の中で人間だけが持つ
「欲」と密接につながっている。

人間だけの本能ともいえる欲と直結している存在なだけに、
金が絡むとその人間の本性が露になったりすることもある。

金は人を惑わせる。
金が人を悪くするといっても過言ではない。


by. 桜井章一氏

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■ツキの正体 ~運を引き寄せる技術~ -幻冬舎- ピンチのときこそ、攻めるべきです。そういう姿勢が勝負どころでの強さを生み出し、流...

人間というのは自分勝手なもので、
人にしてもらったことはすぐに忘れ、
人にしてあげたことをずっと覚えていたりする。

遺産相続で「私が一番親の面倒を見た」
と言っている人は、
確かにそうなのかもしれないが、
自分がどれだけ親の世話になったのかということを忘れてしまっているような気がする。

私は親にしてもらったことは、
何をもってしても返せないものだと思っている。

親からもらったものは、
金やモノで返せるものではないのだ。


by. 桜井章一氏

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私はそれほど両親に対して感謝している。

法律というのはそもそも修羅場を収めるために作られたようなところもあると思う。

知ることの怖さ、
情報を得ることの怖さというのはこんなところにも顔を出す。

知識というのは時に凶器にもなり得る。


by. 桜井章一氏

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そのことを今一度、
肝に銘じておくべきだろう。

そんな体験(究極の飢え)のない私は想像で語るしかないのだが、
そういった状況で人肉を食べるという行為は
「善でも悪でもない」
と言うことはできる。

我々は普段の生活の中で「死」
というものを身近に感じることはほとんどない。

しかし死体が常に身近にあるとするならば、
死というものも身近に感じ、
日常の生活とは明らかに違う感覚が派生してくるはずである。


by. 桜井章一氏

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■マイナー力 ~「負け」が「勝ち」になる生き方~ -竹書房- 人間がいかに自然の摂理の中で、無駄に生命力を浪費して生きているかが分かり...

死を身近に感じるということは、
自分の死をも身近に感じるということだ。

人間の善悪で判断するならば、
「死ぬ時はみんな一緒だ」
というような感覚でいるのが一番いいのかもしれない。

しかし、アンデスの遭難事故のように切迫した、
生死の境界線ギリギリのところまで追い詰められた状況というのは、
人間の善悪や道徳、
倫理といったものでは測れない、
まったく別次元の世界だと思う。

戦争のような修羅場と、
平和な日常というのはその存在の次元が異なる。


by. 桜井章一氏

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そして人は、
そんな次元をも飛び越えて、
環境次第でいかようにも変化できる、
あるいは変化してしまう生き物なのである。

生物が「生きる」ということは、
まわりの環境に合わせて変化するということでもある。

人間が生きるこの世界には、
善悪でくくれない変化もあるということ、
修羅場の中にはそういう修羅場もあるのだということを、
覚えておいて損はない。


by. 桜井章一氏

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そして、この攻めの姿勢を貫いていくためには、
正しい選択をしていかなければならないことも忘れてはいけない。

正しい選択とは、
現代社会に横行する効率主義や損得勘定だけで測ることのできないものである。

普段から欲に振り回されてしまっている人は、
欲で曇った目でしか物事を判断できない。

修羅場で自滅を防ぐには、
欲を排した「澄んだ」
状態である必要があるからだ。


by. 桜井章一氏

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■この世の掟をぶち破れ! -李白社- 多くの人がリスクを避けよう避けようとするが、逃げていたら学ぶことはできない。そうではなくて悪いこ...

ということは人生そのものが修羅場であるともいえるし、
ないともいえる。

であるならば、
「人生そのものが修羅場なんだよ」
と思っているほうが、
修羅場に対して心構えができているわけだから、
自滅を避けられる可能性は高くなる。

「私が、私が」
と自己の中に閉じこもれば閉じこもるほど、
結局は自分を追い詰めることになっていく。

これからの時代はそんな「善良」
を装った人にこそ注意を払う必要がある。


by. 桜井章一氏

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社会で認められるには、
いい学校を出て、
いい会社に入らなければならない。

そんな思考に囚われてしまった人たちは、
本来の自分というものを表には出さない。

そういった人たちは本当は違うことがやりたいのに、
社会に認められるために自分を曲げて生きている。

自分の姿勢を正して生きているつもりでも、
本来の自分が曲がってしまっているので、
そこに歪みができる。


by. 桜井章一氏

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狡さ、卑怯さというのは、
そういった人間の歪みを見逃さず、
音も立てずにその隙間に入り込む。

誰かに認めたもらいたいなら、
本当は自分のいいところもダメなところも曝け出さなければならない。

いいところ悪いところ、
その両面を出すということは、
「素」になるということでもある。

他人に素を出せる人は、
素直に自分を見つめることもできる。


by. 桜井章一氏

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