■修羅場が人を磨く -宝島社-
今の不利な状況よりももっと過酷な状況をイメージすることで、物事は徐々に好転していく。私は幼い頃から「すべては自分の責任」と思って生きてきた
「自分だっていつ加害者になるか分からない」。
そんな風に気持ちを常日頃から少しでも持っていれば、
周囲に気を遣えるようになるし、
当然そこには譲りの精神も生まれてくる。
国政を担っているのは国民の代表なのだから、
自分が投票した、
しないにかかわらず、
「政治のミスは自分たちのミス」
という加害者意識をちょっとでもいいから持つようにすればいい。
人は自分が不利な状況となると、
調子のよかった頃を思い出し、
そのイメージに少しでも近づこうとする。
by. 桜井章一氏
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しかし現実はそれほど甘くなく、
よかった頃のイメージにはなかなか近づけない。
過去の栄光を引きずっているだけでは、
物事は進んでいかないのである。
修羅場であえて楽観的なことを考えても、
その状況は打破されない。
私は自分が不利な状況となった場合は、
それよりももっと酷い状況をイメージするようにしている。
by. 桜井章一氏
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その時の不利な状況のレベルが5であるとするならば、
「10でなくてよかった」
と思うようにするのだ。
今の不利な状況よりももっと過酷な状況をイメージすることで、
物事は徐々に好転していく。
人間はミスをする生き物である。
ということは、
日々の暮らしの中で人は必ずミスをし、
「あ、ヤバい」と思うことにもしばしば遭遇しているということだ。
by. 桜井章一氏
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しかしそんな緊急事態の時こそ、
修羅場を生き抜く本当の
「人間力」が試される。
その時、私が一番
「ヤバい」と思った瞬間は、
滝壺に落ちた時ではなく、
滝壺に落ちる直前だ。
足を滑らせ「下に落ちる」
となった瞬間に「あ、ヤバい」
という意識があった。
そして水面に落ちる間際には多分もう覚悟ができていた。
by. 桜井章一氏
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しかし、私には滝壺に落ちる時にはもうすでに覚悟ができていた。
だから滝壺の水流に巻き込まれた時も冷静でいられたのである。
けれども人間はコンマ何秒かの瞬間にも状況を判断し、
覚悟を決める(あるいは決断を下す)力を持っている。
ただ、多くの人がその力を眠らせてしまっているだけなのだ。
by. 桜井章一氏
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端から見ればコンマ何秒の世界でも、
そういう瞬間の私はゆったりとした時間の流れを感じている。
だから自分の状態、
まわりの状況といったものを瞬間的に感じることができるし、
その場、その場にふさわしい的確な判断が下せるのである。
大自然の力、
大自然の「ヤバさ」に比べれば、
人間の起こす「ヤバさ」
など取るに足らない。
人間関係の修羅場に揉まれ、
悩んでいる人がいるとしたら、
そんな人は一度大自然の中で本当の
「ヤバさ」を体験してみるといい。
by. 桜井章一氏
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by. 桜井章一氏
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倒れてきたセイルの柱とボードの隙間に右足の脛のあたりから先が挟まれてしまったのだ。
仰向けの状態でセイルに覆いかぶさられてしまっているので、
海面に顔を出すことはできない。
当然、息も吸えない。
ただ、この時私は慌てることはなかった。
足を抜くために、
考え得る範囲でいろんな動きを試してみたが、
どうやっても足は抜けてくれない。
by. 桜井章一氏
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挟まれているだけでも痛いのに、
足を抜こうとするとさらに痛みが走る。
次の段階として
「足の骨が折れてもいいから抜こう」
と思った。
でも、足を抜くことはできなかった。
どのくらいの時間が経ったのか。
だんだんと私の意識も遠のき始めた。
by. 桜井章一氏
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その時は痛みもなく、
とても楽な状態。
もしかしたらあの時、
「死」というものが近づいてきていたのかもしれない。
その時、風なのか、
潮の力なのか、
何かの力がボード全体を揺らしてくれた。
その瞬間、私の右足はすっと抜けたのである。
by. 桜井章一氏
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死が隣に見えた時、私は
「意外と楽だなあ、死んでいくのは」
と感じた。
とても静かな状態でそれを確かに感じた。
この時の私は「生」を放棄したのではないし、
「もういいや」と投げやりになったわけでもない。
あの時、私は死を受け入れたのだと思う。
だから恐怖感のようなものもまったくなかった。
by. 桜井章一氏
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私は幼い頃から
「すべては自分の責任」
と思って生きてきた。
そうやって何か事があってもすべて自分の責任だと思って生きてきたので、
海中で足が抜けなかった時も死を受け入れられたのだろう。
「修羅場」を克服するには、
その状況を「受け入れる」
ことも必要なのである。
そのためには、いつ、何時でも
「自分にも責任がある」
という覚悟を持たなければならない。
by. 桜井章一氏
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ただ、「狂」の世界に入ってしまった人間の起こす「ヤバさ」には、
気をつける必要があるだろう。
私は昔から対人関係で恐怖を感じたことはあまりない。
狂に何度遭遇しても、
免疫ができることはない。
戦争も言ってみれば狂の世界である。
by. 桜井章一氏
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狂の世界に対しては、
手の打ちようがない。
狂に長い間触れていると、
人間のすべての感覚は麻痺していく。
その麻痺した感覚の間をすり抜けて、
狂は人間の中に入り込んでくるのである。
その時代、彼ら(ヒトラー、ポル・ポト)をとりまく社会が、
多くの人々が狂の世界に入り込んでしまっていたのだ。
by. 桜井章一氏
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