■修羅場が人を磨く -宝島社-
そんな質問の一つひとつに考え込まされるだけ、私はどんどん正義から離れていっているような気もしている。私を放っておいてくれたら、私はもっと私らしく歩けるかもしれない
イコールの関係を求めて他人を責めるのは、
結果として自分を責めているのと同じだと言うことに多くの人が気付いていない。
イコールの関係を求めると、
結局は自分自身が苦しくなっていくだけなのだ。
イコールの関係を捨てれば自分自身が救われる。
誰もやらないのなら自分でやってしまえばいい。
プラスとマイナスのバランスをとりながら生きていけば、
嫌な思いも苦しみも減っていくし、
暗くならずに生きていくことができる。
by. 桜井章一氏
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ただここで勘違いしてほしくないのは、
「バランスのとれた状態」は
「支え合う関係」
ではないということだ。
支え合おうとするから両方に無理が生じる。
そうではなく、
ダメならばもう一方に寄りかかったり、
ぶら下がってしまえばいい。
支え合うのがいい関係ではなく、
そうやってプラスとマイナスのバランスを図っていけるのが最良の関係なのだと思う。
by. 桜井章一氏
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私の場合、今までの人生がずっとそうだったが、
苦しい道を選ぶ生き方をしてきた。
楽な道より、
苦しい道のほうが私を引きつけるのだ。
数々の困難を乗り越え、
目的地に到着したほうが達成感、
喜びというものが明らかに違う。
平坦な道に私の胸を踊らせるものは存在しない。
by. 桜井章一氏
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でも困難な道には私をワクワクさせてくれるものが存在する。
私はそれを求め、
自分の道を切り拓いてきた。
根っからの苦境好きとでもいうのだろうか。
それが私の生き方なのである。
でも、やはり持ち前の性分から
「痛いならもっと痛くしてやろう」
という気になってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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人間はひとつの困難を克服すればその分だけ強くなることができる。
足が痛くても
「しゃらくせえや」
と思って外出してしまうこの性分があるから、
私はたとえ修羅場に遭遇したとしても冷静でいられるのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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けれども、それ(神経がすり減る)以上にそこ(修羅場や試練)から得るもの、
自分の身になるもののほうが多いはずである。
他の人たちはどうか知らないが、
私は「生」というものにしがみついていたくない。
そもそも、人は寿命のために生きているわけではないのである。
しがみつかない生き方をするには、
「自分の責任は自分でとる」
という姿勢が大切になってくる。
by. 桜井章一氏
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しかしながら、今の時代は多くの人が責任を他に転嫁するばかりで、
自分で責任をとろうとしない。
「しがみつく」ということは、
想像以上に体力を使う。
何かに「つかまっている」
くらいの感覚であれば、
自分の中に軸がしっかりとあるのでそれほど疲れることはない。
軸がない状態で何かに必死にしがみつき、
そこから離されないようにしているだけでは疲弊していくばかりだ。
by. 桜井章一氏
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修羅場に慣れていない人は、
すぐに何かにしがみつこうとするから必要以上にエネルギーを使うことになる。
ちなみに海で溺れている人を助ける場合は、
背後から腕を回すのが鉄則だ。
正面からいったらしがみつかれ、
先述したようになる。
人間関係にしても、
しがみつくのではなく、
軽くつかまえるくらい、
あるいは触れるくらいの感覚でいるのが丁度いい。
by. 桜井章一氏
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普段から、起きたことの責任は自分でとる、
そういう姿勢を保っていれば、
リストラされてもその次の動きにスムーズに移れる。
責任をきっちりとれる人は、
日々の暮らしの中で起こる一つひとつのアクシデントから何かを学び、
それを身につけていくことができる。
諦めでもなく、
開き直りでもない。
起きた事態をしっかりと受けとめられるようになれば、
修羅場に巻き込まれたとしても慌てずに対処できるようになるのだ。
by. 桜井章一氏
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代打ちを引退するちょっと前くらいから、
私の中で「勝ちは正義ではない」
という考えが芽ばえてきた。
代打ちを始めた頃は勝つことがすべてだった。
しかし、裏の正解で命を削るような厳しい戦いを続ける中で勝負の本当の意味を考えた時、
ある日ふと、「勝つ」
ということに悲しさと虚しさを覚えた。
勝つことがすべてではない麻雀とはどういうものなのか。
by. 桜井章一氏
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私はそれを実践し、
追究してみたくなった。
そんな考え(勝つことがすべて)に囚われてしまうと、
汚いことや卑怯なことも平気でするようになる。
狡いことや卑怯なことをしてしまうのは、
その人が弱いからである。
本当に強い人はそんな汚い手を使う必要はない。
by. 桜井章一氏
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強い思い込みは、
人を誤った道へと進める力がある。
つまり、ひとつの考えに囚われてしまうと、
人間というのはどんどん弱くなっていくものなのだ。
だからこそ、その思い込みに自分から気付くことが大切で、
その気付きによって人は自分を修正し、
強くなっていくことができるのである。
(いろんな取材者)そんな質問の一つひとつに考え込まされるだけ、
私はどんどん正義から離れていっているような気もしている。
by. 桜井章一氏
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私を放っておいてくれたら、
私はもっと私らしく歩けるかもしれない。
しかし世の中には、
こんな雀荘のオヤジでも必要としてくれる人がいる。
それがありがたいから、
来た仕事は極力受けるようにしている。
私は世の中で「正しい」
とされるものに常に疑問を感じながら生きてきた。
by. 桜井章一氏
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疑うことで見えてきたもの、
そこから導き出された答え、
それらすべてが私の人生を支えてくれている。
とはいえ、私の言ったこと、
書いたことに不正な部分があるのではないか、
間違ったことを言っているのではないか、
そんなことをいつも考えているのも事実だ。
「正しいとされるものほど疑ってかかる」。
これは私の性分である。
けれども、この性分があったお陰で私は世の中の変化に対応しながら生きてくることができた。
by. 桜井章一氏
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