■修羅場が人を磨く -宝島社-
いにしえから続く、修羅場をくぐり抜けるための血というものが、我々一人ひとりの中には残っている。自分に与えられたハンディキャップをどうやって克服するか
ただ、この狂というものを特別な存在とみなし、
自分とはまったく関係のないことだと思っているのは大間違いである。
人間一人ひとりの中に狂は必ず潜んでいる。
私の中にも、
あなたの中にも狂というものは存在する。
だから私たちは自分の中にある狂を、
それ以上大きくしないように気をつけなければならない。
by. 桜井章一氏
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狂信とか盲信とかいう言葉に表されるように、
人間は信じすぎて狂うこともある。
その事実をしっかりと認識することが、
自分の狂を大きくしない唯一の方法なのである。
いにしえから続く、
修羅場をくぐり抜けるための血というものが、
我々一人ひとりの中には残っている。
現代人はその力を眠らせてしまっているだけなのだ。
by. 桜井章一氏
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それには(修羅場に巻き込まれない)、
修羅場という状況が修羅場となる前に、
ことを収めていくようにすればいいのである。
日頃からいろんなことに気付き、
正しい対応や選択を心がけていけば、
トラブルやアクシデントが起きる確率は非常に少なくなる。
『男は外に出ていけば、七人の敵がある』
という言葉があるように、
日常の感覚として、
外に出れば7つぐらいの修羅場があると思っていればそれが心構えとなり、
ひいては修羅場に対する心の余裕にもつながる。
修羅場に対する心構えができていれば、
その被害は最小限に抑えられるだろう。
by. 桜井章一氏
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修羅場はあって当然だ、
と思っていれば状況、
状態が的確につかめるようになる。
「外に出ていけば7つの修羅場がある」
と思って生きていれば、
その人は間違いなく強くなる。
経験を積んでいっても細い神経を太くするのはなかなか容易ではないが、
しなやかな強さを培うことは可能だと思う。
この場合の「神経」
とはその人の
「性格」のようなものだ。
by. 桜井章一氏
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性格を直すには
「自分で気付く」ことが大切で、
この「気付く」という作業がなかなか大変なのだ。
この「学問ができる」能力の優れた人の中に
「神経が細い」と言われる人が多かったりするのも事実だ。
海千山千の経験がなければ人間は図太くはなれない。
本来であれば、
そういった経験をする中で、
「ああいう風にはならない」
「ああいうことはしない」
と反面教師的に物事を捉えていかなければならないのだが、
図太い人たちは、
それらの経験から図太く生きていくことがこの世を渡っていく術だと勘違いしてしまっている。
by. 桜井章一氏
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世間ではこういう人たちのことを
“すれっからし”と言う。
すれっからしは確かに逞しく生きていけるのだろうが、
人としての大切なものを切り捨てた生き方をすることになる。
もっとも繊細な神経と図太い神経とを比べた場合、
修羅場を生き抜いていくのはやはり図太い神経のほうが有利といえるかもしれない。
人を傷つけても、
人に迷惑をかけてもまったくお構いなし。
by. 桜井章一氏
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私も数々の修羅場をくぐり抜けてきたが、
そんな図太さを持った生き方だけはしたくなかった。
図太いほうが有利かもしれないが、
修羅場をくぐり抜けていく方法は他にいくらでもある。
私はそれを模索しながら生きてきた。
しかし、ちょっとしたことにも響きやすい体質を、
響きにくくすることはできる。
by. 桜井章一氏
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修羅場で戦うには、
心身ともにタフでなければならない。
修羅場をボクシングにたとえるならば、
しのいでもしのいでも、
いろんなところからパンチが飛んでくる状況が修羅場といえるだろう。
つまり、修羅場では自分のパンチ力も求められるが、
その一方で持久力、
打たれ強さといった人間としてのタフさも必要となるのである。
攻撃を受ける中でパンチの避け方、
ガードの仕方といったものをボクサーは学んでいく。
by. 桜井章一氏
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私は戦いの中で「守る」
という姿勢は必要ないと思っている。
必要とされるのは
「守り」ではなく「受け」。
しかし「受け」の姿勢でいれば、
その次の自分の攻撃にも移りやすい。
私のいう「受け」
とは攻撃に移るための準備といってもいい。
by. 桜井章一氏
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麻雀というのは攻めだけでは成り立たない。
「振り込み」と「和り」
のバランスがとれて初めて美しい麻雀となる。
バランスのとれた麻雀を続けていけば、
攻めるだけではなく、
「ここは一歩引いて受けておこう」とか
「ここは与えて(振り込んで)もいいな」
ということが感覚として分かってくる。
そういったことを繰り返していくと、
いろんな場面で気付きが生まれ、
それが麻雀の余裕にもつながる。
by. 桜井章一氏
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同様に修羅場であっても攻撃から逃げるのでなく、
「受ける」という姿勢でいればいろいろな気付きを得られる。
逃げている時には見えなかった相手の弱点や隙、
あるいは修羅場から抜け出すヒントといったものが見えてくるのである。
自分の攻撃力を磨くだけでなく、
打たれ強さも同時に鍛えていく。
修羅場で戦っていくには、
攻めと受けのバランスがとても大切なのだ。
by. 桜井章一氏
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何かひとつ責められただけで全否定されたように思い込んでしまうのは、
若い世代が痛みに弱くなっているということでもある。
痛みに弱くなった人たちは、
1の痛みを自ら10に広げてしまうのだ。
物事の捉え方、
考え方の視野が狭くなってしまっている。
左腕が折れたとしても、
右腕がある。
by. 桜井章一氏
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両腕が折れてもまだ足腰がある。
このように「ひとつがダメでも他がある」
と思考の転換ができれば、
1の痛みを10に広げてしまうことは防げる。
痛みに弱い心を強くするには、
先ほど体にたとえたように、
何回も骨を折って慣れるしかない。
高いところから落ちて骨折したとしても
「骨折で済んでラッキー」
くらいの認識だった。
by. 桜井章一氏
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同じところを二度折るのはとてつもなく痛い。
けれども私はその不自由を楽しんでいた。
自分に与えられたハンディキャップをどうやって克服するか。
そこに楽しみを見出し、
「右手が使えなくたって左手でどうにでもならぁ」
というような思考の転換をしてきた。
骨折をすれば体の動きは当然鈍くなる。
by. 桜井章一氏
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