■みっともない男にならない生き方 -フォレスト出版-
つながっているという連鎖の感覚を取り戻すこと。そうして波長を合わせることで、相手は自然にあなたを受け入れている。人は脳を使い出した瞬間から感性を失っていく
しかし、私は逆に休日なら海や山、
小川などが無性に見たくなる。
というのも、
そうした場所に小さい生物を発見するのがとても楽しいからだ。
人が見落とすような小さな生物をパッと見つけて、
「ほら、あそこがメダカがいるよ」と、
子どもに教えたりする。
何てくだらねえことを大人はしているんだろうと思っただけだ。
by. 桜井章一氏
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私が海や山、
小川などで生物を見つけるのが楽しいのは、
そこに「つながっている」
という感覚を感じることができるからだ。
コンクリートで打ってあるようなものは、
もう自然とはいえない。
自然を見ると、
すべてが循環しているということに気づかされる。
川だけでとどまっているのではない。
by. 桜井章一氏
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必ず何かほかの部分とのつながりが見えてくる。
この「つながっている」
という感覚を感じることが大事で、
多くの人がこうした感覚を忘れてしまった。
なぜつながっているという感覚が大事かといえば、
これが社会の中でのつながりに通じるからだ。
つながっているという感覚があれば、
もし知らない人が困っているのを見たら、
頭で考える前にすぐに動いてしまう。
by. 桜井章一氏
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それは善意とか好意とかやさしさではない。
つながっているという感覚があるから助けるだけで、
やさしさとは別の感覚が働く。
やさしさとはこういうものだという定義は、
たんなる固定観念にすぎず、
これに縛られている限りさっと動くことなどできない。
しかし、感覚で動けば勝つとか負けるとかという判断とは別の部分で、
すでに体が動いている。
by. 桜井章一氏
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つながっているという連鎖の感覚を取り戻すこと。
これは自然の中に身を置くことで体に染みついていく。
それもとくに、
人間では太刀打ちできないくらいの自然の力が好きだ。
なぜ最初、
私が平然としていられたかといえば、
実は写真を撮る前に私は海の中でサメと遊んでいて、
サメの波長に合わせていたからである。
by. 桜井章一氏
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相手の波長に合わせれば、
サメでさえ仲間になれると思っている。
それは私が強いものに対する畏怖と親しみを持っているからだ。
恐れるのは自分の身のまわりの環境だけ。
しかし、畏怖の念を持つことは人間死ぬまで必要だと思っている。
by. 桜井章一氏
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もし自分が自然には勝てないということを常に意識して生きていたら、
己のまわりに起きる現象などちっぽけなものにすぎないと実感できるはずだ。
そして、自分よりも強いものの存在に対して、
それに近づこうとする憧れを持ち続けることで、
自分に振りかかるリスクもたいしたことがないと思えるようになる。
しかし、それよりも大事なことは、
私の場合はサメであったが、
相手の波長に合わせるということである。
相手は自分に波長を合わせるものに対して、
けっして敵意を抱かない。
by. 桜井章一氏
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強いものであれ弱いものであれ相手が自分の波長を感じ取ったら、
言葉がなくても互いが通じていく。
その人に畏怖の念を持つ必要はないが、
自分の考えを捨て、
ただその人にゆだねればいい。
そうして波長を合わせることで、
相手は自然にあなたを受け入れている。
しかし、年を取ったからといって人生に変化はない。
by. 桜井章一氏
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多くの人は、
つき合う人は同年代がほとんどだと思うが、
私は同じ年代の人とつき合うのではなく、
自分よりも若い人たちとつき合うほうがいいと思っている。
とにかく若い人の中に溶け込むということだ。
そこには年齢というプライドが左右するはずだ。
それは当たり前で、
金もない地位もない彼らに溶け込むには、
己のプライドを捨てなければ認めてくれるはずはない。
by. 桜井章一氏
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私は麻雀を通じて若者の中に溶け込んでいるが、
それは自分がバカになれるからだ。
しかし全員、
私よりもバカな大人はいないという。
by. 桜井章一氏
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これは何よりの褒め言葉だ。
では、なぜ若い人たちの中に溶け込まなければならないのか。
それは、頭が固まらないからだ。
頭が固まってしまうということは、
私にとっては死んでいるのと同じことを意味する。
by. 桜井章一氏
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だからこそ、私は彼らに感謝している。
私はいつまでも若い人や子どもの中にいたい。
そのうち、彼らも大人たちの中に引きずり込まれてしまうだろうが、
それがきたら、
もうそこには私の姿はないような気がする。
年を取れば取るほどやわらかく生きる。
by. 桜井章一氏
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そのためにはプライドを捨ててバカになれるか。
ここに本当の大人かどうかが試される。
子どもが成長して知恵がついてくることを、
親は賢くなったと喜ぶ。
しかし、子どもが持っている貴重な感性がどんどん削られていくことは、
実はとても残念なことだ。
それまでは感覚や感性で私と接してくれていた子が、
ポンと脳を動かした時に、
「ああ、これからこの子は脳を使って生きていくのか」
と、がっかりしたのだ。
by. 桜井章一氏
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人間は脳みそなど使わない時のほうが素晴らしい。
人は脳を使い出した瞬間から感性を失っていく。
私がいつも大事にしている古い感覚というのは、
そういう赤ん坊が持っているような原始的な感覚で、
生命の根源的なものだ。
しかし、「葉っぱ」というものに宿る感性は大事に取っておいてほしいと思う。
なぜなら、花というのは、
見かけのキレイさでいい悪いが選ばれてしまう。
by. 桜井章一氏
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しかし、葉っぱというのは雑草まで含まれているわけで、
葉っぱを見ていい悪いということはない。
また、花というのはある意味で浪費の象徴だ。
桜の花は一週間で散ってしまうから格好いいというが、
結局は枯れてしまう一瞬のものを愛でているにすぎない。
観賞用の花も同じで、
いつかは枯れてしまうもので、
私にいわせれば浪費の象徴にすぎないのだ。
by. 桜井章一氏
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葉っぱよりも花に憧れてしまうというのは、
前の世代、そのまた前の世代から、
花というものに騙されて感化されてきたからだ。
花はもともとそんなあつかいではなかったと思う。
ケガした時にどの草がいいかとか、
毒草だってちょっと使えば薬になるとか、
この葉は食べられるか食べられないかとか、
生きるうえでは花よりも葉のほうがどれほど重要だったのか。
人間の根源はこんなところから始まっている。
だから、孫が葉っぱが好きだという感性はずっと大事に取っておいてほしいと思うのだ。
by. 桜井章一氏
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