■みっともない男にならない生き方 -フォレスト出版-
本人が気づけるような別の物語を用意するのだ。気づきや学びは、こうした非常識な場面で現れることがある。世間で常識と思われる場面では何も起こらない
相手に「直せ!」
と直接いうのではなく、
「お前もよくやるよね」と、
その人の癖の部分を注意してあげるといいのだ。
それは愛であったり、
やさしさだったり、
教えの形であっても同じことで、
しつけも形を変えた攻撃であるということに気をつけないといけない。
上の立場の人間は相手に何かを諭す時、
すべて攻撃性とともにあるということを忘れてはいけない。
つまり、怒るとか怒らないという形式の問題ではなく、
自分の攻撃力がどう出ているかということを自覚しておかなければいけないということだ。
by. 桜井章一氏
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だからこそ、子どもが自分で気づくしか方法はない。
そこに叱るのも褒めるのも大差はない。
自分の攻撃性を自覚していない限り意味がない。
叱られた相手も変わるはずがないのだから。
by. 桜井章一氏
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とくに男の世界だから、
けじめというか掟のようなのがあって、
それはそれで大切なことだ。
しかし私は、
当然と思えるそんな掟さえ自分から崩して遊んでみる。
ルールはあっていい。
それは社会の中で必要なものだ。
しかし、そのルールさえ絶対ではない。
by. 桜井章一氏
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たまにはルールを崩してみることで、
人と人の距離が近くなる。
仕事は管理社会である。
だからこそルールは絶対だという固定観念がある。
ルールは絶対という考え方を捨てない限り、
人間の距離は縮まることはない。
しかし私は逆に
「いいよ。
すぐにはやめられねえよな。
わかった、わかった。
じゃあ、おまえが働いている間、
俺たちがタバコを買ったら、
そこからおまえ用にタバコ税を納めてやるよ」
といった。
by. 桜井章一氏
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そういってみんなから一本ずつタバコを集めていったら、
たちまち箱にいっぱいになってしまった。
軽く一〇〇本以上ある。
「会長も含めてみんながくれるタバコだから申し訳ない、ありがたくて吸えない」
といって、
タバコを吸う本数がだんだん減ってきている。
私の雀荘はお酒禁止なのだが、
彼が仕事をして夜遅くやって来ると、
彼だけはビールを飲んでいいということにしている。
by. 桜井章一氏
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「飲むな」ではなく
「飲ませてあげる」というと、
やはり申し訳ないと、
本人が気づいてくる。
マニュアルでは、
人の心は動かせない。
一流の商売をしている人がマニュアルで人を使わないのと同じだ。
ルールとは厳守するためにあるのではない。
それを壊すためにわざわざきちんとルールがある。
by. 桜井章一氏
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いつかは誰かのために破らせるために存在する。
仲間の中で一番ダメな人間のために、
そこで一番大切にしているルールをポンと壊してやる。
そういうチャンスを与えてあげる。
ダメな人は、
何をやってもダメなのではない。
by. 桜井章一氏
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本人が気づけるような別の物語を用意するのだ。
その一つが「ルールを破らせる」
という機会を与えたことにすぎない。
ある日、暇を持て余していた私は、
夜の九時半頃、
突然孫の声が聞きたくなって電話をした。
そして、電話口に出た孫に
「スポーツ新聞を読みたい」
といってみた。
by. 桜井章一氏
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まさか本当に届けに来るとは思っていなかったのだが、
一〇時頃、
自転車に乗った四歳の孫が、
かごにスポーツ新聞を乗せて届けに来た。
私はうれしくなって
「ありがとう。えらいなあ」
と孫を褒めたのだが、
孫は照れ臭かったのか、
新聞のことは触れようとしない。
私はこの瞬間、
孫に男を感じたのだ。
なぜなら、彼は私の頼みに使命感のみで答えてくれたからだ。
by. 桜井章一氏
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そこには、新聞を届けたら褒められるだとか、
新聞を届けるといい子に思われるというような、
頭で考えた行動ではない。
ただ、頼まれたことを果たすという使命感で、
コンビニでスポーツ新聞を買い、
一人で自転車に乗って届けに来てくれた。
しかし、非常識だからこそ、
そこに現れる光景は常識では見ることはできない。
孫の家は坂を何度も上り下りしなければならないところにある。
by. 桜井章一氏
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そして、褒められるためにしたのではなく、
使命感のみで行動した。
孫も一人で届けたという達成感を味わったはずだ。
実は親たちは、
息子一人を自転車で行かせることに心配で、
走ってあとをついてきていたのだ。
私から電話があった時、
孫は自分一人で行くからと、
新聞代一三〇円をもらうために母親と喧嘩してきたのだ。
by. 桜井章一氏
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孫の使命感と親の心配がぶつかっての喧嘩。
気づきや学びは、
こうした非常識な場面で現れることがある。
だからこそ、
常識のみで考えてはいけない。
世間で常識と思われる場面では何も起こらない。
by. 桜井章一氏
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たまには常識を逸した行動をしてみるといい。
そこで気づくものが必ず存在する。
というより、
友人というものをつくらない。
しかし、私はある時から、
友人はいらないと決めた。
なぜならば、
親友とか友人というものは、
互いにとって都合のいい、
打算的なものであると感じたからだ。
by. 桜井章一氏
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「親友なんだから何とかしてやろう」
「友達なんだから許してやろう」
というような都合のいい関係が出来上がる。
それよりも私は、
「仲間」をつくることを大事にしてきた。
みんなで何かを一緒にやる、
生きている仲間だと思っている。
しかし、仲間には都合の悪いやつも入ってくる。
by. 桜井章一氏
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「こいつがいたら、俺がまたやらなきゃなんねえなあ」
とか、
「こいつまたヘマするだろうなあ」
とか、そういうやつがいっぱいいる。
こんなやつとは、
とてもじゃないが一対一でつき合えない。
しかし、仲間としてなら、
都合の悪い人間もみんな手をつなぐから離れないし、
どうにかうまくいってしまう。
仲間と思っているから、
私のやっていることを一緒にしてくれているという感覚だ。
by. 桜井章一氏
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彼らもそれがわかっているから、
都合の悪い”仲間”がいても、
みなで何とかしようとする。
しかし、嫌な人間も仲間だという感覚でいっしょくたにつき合えば、
みんなで解決していくしかなくなる。
そして、その人が何か問題を起こしても楽しいと思えるし、
あなた自身も不愉快な気持ちにならなくてすむ。
とにかく仲間をつくるほうが、
人生は楽しくなる。
by. 桜井章一氏
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