■みっともない男にならない生き方 -フォレスト出版-
とにかく、遊びとは真剣勝負だったのである。新しい変化にすべて対応しよう、追いついていこうという考えは、逆に多くのものを失うことになるのだ
人は長く生きていれば生きているほど、
さまざまな不安や恐怖が増えてくる。
それは知識や情報が蓄積された結果だといってもいい。
私は古い感覚を失ってしまうほうがもっと恐いことをわかっているから、
意識的にそちらの世界へは行かないようにしている。
古い感覚の世界は、
実は現代社会よりも便利な世界である。
by. 桜井章一氏
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なぜならば、無駄な力がいっさいいらないからだ。
彼ら(格闘技の選手)が努力して体得した技術を、
私は何の努力もなしにできてしまうのだ。
だから、努力なんていらないと思っているのだ。
しかも、もともと遊びだから努力したというものでもない。
by. 桜井章一氏
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私は普段から遊び心を大事にしているのは、
不安や恐怖は努力で克服するものではないと思っているからである。
しかし、遊びといっても子どもの頃は、
それは真剣なものだった。
遊びたかったら自分の力で遊びを覚えていくしかない。
その頃から、
メンコで勝つにしても、
それを守るにしても真剣そのものだったから、
どんなことにも負けない体の軸というものがわかっていたのだ。
by. 桜井章一氏
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とにかく、遊びとは真剣勝負だったのである。
そうはいえ、
私も恐怖心がないわけではない。
しかし、そういう時(やばい連中五、六人に囲まれる)は逆に、
「この野郎、汚ねえなあ」
という気持ちになって、
ますます力が湧いてくる。
恐怖心がないわけではないが、
その恐怖心をかつての遊びで真剣だったように、
さっと変換させることができる。
by. 桜井章一氏
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多くの人が恐怖心を克服できないが、
もともと恐怖心を克服しなければならないという考え方じたいが違っている。
一の恐怖がきたら、
自分でわざわざ一〇にすることはない。
一は一でいい。
それは「恐怖心の膨らみ」
という思い込みの一種で、
自分で恐怖心を大きくしてしまっているにすぎない。
by. 桜井章一氏
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いいかえれば、
等身大のごとく受けるのである。
不安や恐怖心はいったん捨ててしまう。
そのうえで、遊び心に転換させてしまう。
子どもの頃の真剣な遊び心を呼び戻し、
降りかかる出来事をそのままの大きさで受けとめることでしか、
不安や恐怖心は消すことができない。
コンプレックスを持ち続け、
そこにずっとしがみついている人がひねくれてしまう。
by. 桜井章一氏
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コンプレックスという根っこが残ったまま。
実はこの状態が一番怖い。
なぜなら、最終的にコンプレックスは消えないからだ。
そういう人は、
たとえ何かを得てもコンプレックスは消えない。
別の形でコンプレックスを持ち続けることになる。
by. 桜井章一氏
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つまり、コンプレックスはそういう負の方向に注がれるエネルギーとして増幅される。
ハングリー精神とは、
たとえば貧しさの中から生まれる豊かなエネルギーであって、
コンプレックスのようにどこかひねくれているものとは違う。
ハングリー精神は直接何かに作用するのではなく、
間接的に内側に抱える問題なので、
似ているようで両者は微妙に違う。
ハングリー精神で頑張ってきた人というのは、
大人になってもハングリーでいられる。
by. 桜井章一氏
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コンプレックスはあなたの人生に直接作用をおよぼす。
それを捨て去らない限りいつまでもコンプレックスのほうから追いかけられるのだ。
コンプレックスよりハングリー精神のほうがまだましだといったが、
私は麻雀に対しては、
特別にハングリーな気持ちでやってきたわけではない。
強いものが勝つ。
by. 桜井章一氏
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勝てば正義だということを小さい頃から教わって育ったからだ。
それが今では、
何でもかんでもドラえもんみたいに便利な世界になってしまった。
しかし、ドラえもんを見て育った大人たちは、
ああいうロボットがいたら便利だという思いで育ったために、
世の中に便利さだけを求めて生きてきたように思う。
私の子どもの頃には便利さなんてなかった。
by. 桜井章一氏
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それよりも、力がある善の人間が悪を滅ぼすという世界観で育ってきた。
だから、自分の中でもそうなりたいと思ったことが、
自分の中の生き方の根っこにあった。
彼ら(政治や経済)は、
勝つことが使命であると、
勝つためなら汚いことも何でもする。
それを勝つことは善であるという大義名分を与えてきた。
by. 桜井章一氏
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そうした偽善が世の中の風潮であることがわかったからだ。
勝つことが善という考え方は、
最終的に何が善かを見失ってしまう。
私も過去に恨みの感情を持ったことがある。
今に見ていろという気持ちもあった。
しかし、そんな状態の自分がまったく気分がよくないことに気づいた。
by. 桜井章一氏
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仮に相手を見返しても恨みの感情でなしえたことには、
何の楽しさもなかった。
世の中は何でも変化する。
それと同じで、
相手の心も絶えず変化しているのだと思えば不思議なことではない。
ただ相手の気持ちが変化しただけ。
by. 桜井章一氏
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そう思えば、
裏切りは裏切りではなくなる。
季節が変わるように人も自分も変わっていく。
その変化をすべて受け入れていく。
そして、相手の変化をすべて受け入れたうえでどうしようと解決策を練れば、
恨みの感情で対処しようとしなくなるのだ。
人を恨んで生きていたら楽しくない。
by. 桜井章一氏
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自分の中に被害者意識を増大させてしまうだけだ。
気づいておかなければならないのは、
変化は悪い方向に行くこともあるということだ。
それに順応してしまうと自分の首を絞めてしまうことになる。
たとえば、新しい変化にすべて対応しよう、
追いついていこうという考えは、
逆に多くのものを失うことになるのだ。
by. 桜井章一氏
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とにかく、恨みの感情は捨ててしまったほうがいい。
そんな感情に囚われているくらいなら受け入れてしまったほうがいい。
その受け入れた変化に順応するのかしないのかは、
失うものの大きさを考えれば、
おのずと答えは見つかるはずだ。
by. 桜井章一氏
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