あなたが今の生き方に楽しさを感じていないのなら、子どもに同じ生き方を強いることはおかしいと感じないだろうか。その素の姿から、あらゆるものの根源的な考え方を私はいつも教えられている

■みっともない男にならない生き方 -フォレスト出版-

あなたが今の生き方に楽しさを感じていないのなら、子どもに同じ生き方を強いることはおかしいと感じないだろうか。その素の姿から、あらゆるものの根源的な考え方を私はいつも教えられている

自分が「既製服を着た生き方」をして、
お決まりの生活をしていることが、
それほど楽しいのかということだ。

私は今の人たちは、
案外豊かさとか楽しさを感じていないのではないかと思っている。

だったら、
なぜ自分と同じ道を子どもにも歩かせようとするのか不思議でしかたがない。

既製服とは自分らしさを失った生き方だ。


by. 桜井章一氏

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そしてそれは、
子どもにとっての自分らしさとは
「感性」というものにほかならない。

子どもというのは、
大人が忘れてしまった楽しさというものを覚えているもので、
それを成長の過程で大人がだんだんと削ってしまう。

この感性を削ることがしつけだとか教育だとかいっているのだ。

そして、子どもに「勉強しなさい」とか、
「これはしてはダメ」といって、
つまらない人間に矯正してしまう。


by. 桜井章一氏

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このつまらない人間の代表が実は大人だ。

私はよく感性という言葉を口にするが、
子どもはもともといい大学に入って、
いい会社に就職して、
お金をたくさん稼いで、
他人よりもいい生活をするということを幸せだと思っていない。

それよりも自分は何が楽しいかということを第一に考えている。

子どもはおもちゃなどなくても、
たとえば棒きれ一本あれば、
それを遊びの道具にしてしまう。


by. 桜井章一氏

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それが感性だ。

大人が考える立派な大人なんて私にいわせれば既製服を着た今の大人の姿だ。

あなたが今の生き方に楽しさを感じていないのなら、
子どもに同じ生き方を強いることはおかしいと感じないだろうか。

もし子どもの感性を削ることがしつけなら、
しつけなんていらない。


by. 桜井章一氏

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子どもの感性を大事にして、
その感性を良い方向に導いてあげること。

あなたは一日のうちで、
どれだけ他人から新しい発見をしているだろうか。

なぜなら、誰もが装ったり、
嘘をついたり、
それが知識であったり、
立場であったり、
いろんな姿でごまかしているからだ。

そんなものから何も発見はできない。


by. 桜井章一氏

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すべて素でやっている。

その素の姿から、
あらゆるものの根源的な考え方を私はいつも教えられている。

すべてを「感覚」で判断する子どもにとって、
いいも悪いもない。

それを親が「しつけ」
という形で、
おかしな価値判断を植えつけてしまう。


by. 桜井章一氏

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私は子どもに対しては、
しつけなど偉そうなことをいうのではなく、
親が一緒に遊ぶような感覚で子どもとつき合えばいいといつもいっている。

実は子どもを変えるのではなく、
大人のほうが考え方を変えないと無理なのだ。

しかし、こうした既成の価値観はあなたを腐らせていき、
子どもをも腐らせていく。

あなたが子どもと素直に遊んでみれば、
あなたが忘れていた発見があるはずだ。


by. 桜井章一氏

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子どもはあなたにいろいろなことを教えてくれるはずである。

しかし、私のいう子どもと遊ぶとは手段のことではない。

あなたがどれだけ本気で遊んでいるかということだ。

向こうも楽しんでいるし、
自分でも一番楽しいことをやっているからいい。


by. 桜井章一氏

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■人は八割方悪である -竹書房- 強さと温かさを求め、何よりもそれを実践するため、心で気づき鍛錬を重ねる 人...

私が葉っぱを一〇〇個描いてあげても二〇〇個描いてあげても、
孫はまったく許してくれない。

だから、それこそ孫がいいというまで、
一〇〇〇でも二〇〇〇でも葉っぱを描き続ける。

私は子どもと遊ぶ時、
けっして手を抜かない。

道場生と遊ぶ時も本気で遊ぶ。


by. 桜井章一氏

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私が本気で遊ぶのは、
子どもが持っている感覚、
いいかえれば生命に対して、
本気で向かい合わなければ恥だと思うからだ。

だから本気で遊ぶ。

しかし、私は子どもがわからないと思うからこそ、
逆にごまかしてはいけないと思っている。

本気で遊ぶとは、
むしろ子どものためにそうするということではなく、
自分自身が生命に対して本気に向かい合っているかどうかということなのだ。


by. 桜井章一氏

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その時(孫が遊びに来る)には、
私は何をやっていても自分のことをストップする。

まずやめる。

そして、孫が何をしに来たのかなとじっと様子をうかがう。

そうして孫が遊び始めたことを、
私も一緒になって遊ぶ。


by. 桜井章一氏

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■人は八割方悪である -竹書房- 感性を大切にする意識を育て、感じることに信頼をおき、感じる力を増す、流れるままに身を任せる ...

もちろん孫のレベルに合わせて孫と同じことをして遊ぶ。

そうした孫の行動を、
大人はほとんど見逃してしまう。

そうすると、子どもというのは遊んでほしいのに相手をしてくれないと、
そこに淋しさ、いいかえれば、
壁を感じてしまう。

子どもにとって、
実は一歳から三歳くらいまでの時代が一番大切である。


by. 桜井章一氏

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だから、子育てには「旬」がある。
その旬を外さないようにする。

「旬」という感性は、
人と人がふれ合うこと、
人間関係の根っこにある大事なことなのだ。

孫という生命が自分のところへ来たのだから、
何でそれを無視できるのだろうか。

仕事なんかよりも大事なことが目の前にあるではないか。


by. 桜井章一氏

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孫の生命に対して、
大人の生命を真正面からぶつけてやることが、
孫にとって一番うれしい。

その旬の出来事を見逃したら、
あとになってからでは遅いのだ。

子どもが第一に求めているのは、
楽しくて、いかに自分を満足して遊ばせてくれるかということだ。

その旬の一瞬を逃し続けていたら、
子どもは大人に対して壁をつくってしまう。


by. 桜井章一氏

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旬を忘れてしまった大人。

仕事を理由に大事な瞬間を見逃してしまうことが、
子どもとの関係を壊していく。

いずれにしろ、
そうした大人の感覚が子どもをダメにしてしまっている。


by. 桜井章一氏

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