■みっともない男にならない生き方 -フォレスト出版-
その無駄が勝負の流れを変えているといってもいい。人の体の微妙な動きの中に、その人の考えていることは全部出てくる。ただその変化に身を任せるだけで変化に対応できてしまう
多くの人が、
まだ若いものには負けないと張り合おうとするが、
張り合おうとすることじたいが愚の骨頂である。
年を取ったら、
体力以外で若い人に対応できる手段があることを知らないだけだ。
私は無駄な動作はいっさいしない。
彼らと麻雀を打つ時でも、
動いているかいないかという動作で牌を運んでいる。
by. 桜井章一氏
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若い時はどうしても力みが入り、
牌をつかんで場に捨てる動作に無駄が出る。
その無駄が勝負の流れを変えているといってもいい。
私は牌を握っていない。
牌にふれる感覚といったらいいだろうか。
おそらく牌にふれた瞬間に場に捨てられている。
by. 桜井章一氏
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その際に体も揺れることはない。
若い時は力任せに素早い動作をしようとするが、
これは意識すればするほどぎこちなくなっていく。
体力に対抗できるのは、
ゆったりとしたしなやかな動き、
自然の動きである。
どんな分野でも優れている人、
強い人というのは体の使い方がうまい。
by. 桜井章一氏
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一流の大工さんは道具さばきが違う。
大事なのは姿勢やしなやかな動き。
つまり、年を取ったら力なんていらないのだ。
私は力で何とかしようとする動き方を見ると、
何でそんな体の使い方をするのか逆に不思議でしかたがない。
しかし、私が力を抜いて勝負すると誰も私にかなわない。
by. 桜井章一氏
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みな相手を倒そうとする時、
まずは頭で考えて、
理論的にここを押せば相手は倒れると考えて挑む。
物を動かすには力が必要だと勉強で教わったことが正しいと思い込んでいる。
しかし実際は、
物を動かすのに力はいらない。
まったく力を入れないでも相手を倒せるというのは、
いわば感覚のようなものだ。
by. 桜井章一氏
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この感覚を得るためには、
自分を過去へと戻さないとならない。
先端の便利なほうへ行こうとしたり、
知識に行こうとすれば感覚は取り戻せない。
原点へ原点へと戻ろうとする。
先端の技術のほうへ取り込まれないで、
過去へ過去へと戻っていく。
by. 桜井章一氏
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人間というのは、
物事の原点、
いいかえれば自然から学んでいた。
つまり、体の感覚は動物の動きを学びながら、
取り戻すことができる。
そうした過去の感覚を取り戻すことだ。
子どももいつしかそれを忘れ、
何かやるにもだんだん力が出てきてしまう。
by. 桜井章一氏
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しかし、力を入れるということは、
むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。
力は捨ててしまったほうがいい。
生まれるもっともっと前、
それこそ人間が発生する前くらいの根源の感覚にまで戻ろうとする意識だ。
私はそんな世界に自分を旅させている。
by. 桜井章一氏
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人の体の微妙な動きの中に、
その人の考えていることは全部出てくる。
人の心の中を読むのは、
心をそのまま読むのではない。
人の動きの中に現れたものを読むのだ。
だからこそ、動きというか、
体そのものがものすごく大切になってくる。
by. 桜井章一氏
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おそらくあなたは頭で考えているつもりなのだろうが、
そうではなくて、
逆に体から考えていかなければ、
心の動きは見えてこないのだ。
麻雀にしても、
実は頭脳ゲームではない。
体一つで打つもので、
頭で打ったってこんがらがってしまうだけだ。
本当は体で微妙に判断しているということに気づいていない。
by. 桜井章一氏
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私が人の心の動きを読む時というのは、
実際には心を読んでいない。
体の微妙な動きを見ている。
この動きはものすごく微妙で、
よく観察していないと気づかない。
わかりやすくいってしまえば、
その人その人の癖というのがある。
by. 桜井章一氏
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しかし、体のマズさ悪さというのは、
ほとんど自分では気づかない。
なぜなら、体の動きは無意識の世界だからだ。
だから、なかなか直らない分、
こちらとしては無意識の動きを観察すれば、
その人の心の中がわかってしまうわけだ。
私が感じるのは、
今の人は本当にロボット化された動きをしている。
by. 桜井章一氏
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人はもともと体を動かして生きてきた。
そうした思考で仕事をしていてもうまくいくことはない。
しょせん頭で考えたことなど、
何の役にも立たないのだ。
体の感覚を取り戻すこと。
by. 桜井章一氏
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これは心の動きをも左右する大切なものだということを忘れてはならない。
麻雀に限らず、
この世の中というものは、
ありとあらゆる変化がある。
だから、そうした変化に動じないために、
私は頭の中も体の使い方も極力やわらかくしている。
とくに大事なのは、
頭をやわらかくしようというよりも、
体の使い方をやわらかくすることだ。
by. 桜井章一氏
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私は麻雀牌を持つ時、
ものすごくやさしくやわらかくしている。
なぜならば、変化に対応するためには、
それが一番楽だからだ。
当然、体がやわらかければ、
頭の中はもっとやわらかいといっていい。
そうした千変万化する世の中に対して固定観念を持っていたら、
その一つに囚われてしまうだけ。
by. 桜井章一氏
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力なんて入れていたら、
一瞬の変化についていくことなんてとてもできない。
頑張ったり、踏ん張ったりしていたら、
変化に対応なんてできない。
多くの人が間違っているのは、
たくさんの変化に気づくということは、
大変なことではなくて、
むしろ楽なことだということ。
なぜなら、そうした変化に気づいたら、
そのまま素直に身を任せたらいいのであって、
こんな楽なことはない。
by. 桜井章一氏
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逆に変化を面白いなあと楽しむ余裕さえ生まれてくる。
そのためには、
頭をやわらかくしようというよりも、
体を柔らかくしたほうが楽で、
体がやわらかければ、
頭の中は何も考えなくてもいい。
ただその変化に身を任せるだけで変化に対応できてしまう。
こういうことは頭だけで理解しているのではなく、
自分の体でわかっているからいえることで、
実際に硬さを捨てることでわかってくるはずだ。
by. 桜井章一氏
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