■みっともない男にならない生き方 -フォレスト出版-
古い感覚というものは、生命の根源にまでつながっていると考えているからだ。私がそれを失わずにいるのは、文明の便利さを受けないようにしていることもあるが、小さい頃からそれを探していたからだ
でもそれは、
時代やまわりの流行という「箱」
に入っていないと不安でしようがないからで、
自分自身に何にもないからにすぎない。
私はそもそも、
そんな「箱」に入ろうとも思っていない。
私は最先端の便利なものを取り入れたら、
自分がせっかく持っている貴重な古い感覚がなくなってしまうと思っている。
私にとっては、
そちらのほうがすごく貴重なものだと思っている。
by. 桜井章一氏
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これまで生きてきて、
自分で身につけたことが私にはたくさんある。
なぜなら、古い感覚というものは、
生命の根源にまでつながっていると考えているからだ。
手積みという不便な時代で培った貴重な感覚は今も自分の中で大事にしている。
手積みの麻雀時代は、
牌を職人のような気持ちで触っている。
by. 桜井章一氏
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だから牌を積む時もその人の癖というのが出てくる。
だからこそ、
牌に触れればその人の気持ちが入るのだ。
便利すぎると古い感覚を失ってしまう。
とくに機械化はそれまで身につけてきた感覚までも奪う。
by. 桜井章一氏
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機械化は人の気持ちまでも奪ってしまうのだ。
機械化は便利さをもたらすと同時に、
人間的な感覚を捨ててしまうものだ。
むしろ、これまで身につけてきた古い感覚で勝負するほうがいい。
そうして古い感覚を残しておくほうが、
自分自身を失わないですむ。
by. 桜井章一氏
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とてもじゃないが歩けるようなところではないでかい石がごろごろした道を、
彼らは裸足で平気で歩く。
おそらく靴を履いていても歩けないそんなところを、
ずんずん歩いている。
肉眼では見えないような場所に人がいるのも簡単に見つけてしまう。
何となく米粒くらいに見える人間に向かってしゃべったって、
どう考えても聞こえるレベルじゃない。
by. 桜井章一氏
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私は彼らのように、
本来人間が持っている感覚=古い感覚を普段の生活でも大事にしている。
しかし、知識やテクニックはあやふやで、
古い感覚を信じたほうが、
どんなことでもだいたい当たっている。
私の場合も感覚を基準にしたほうが、
九〇パーセント以上当たっているから生活していて楽なのだ。
しかし、私のいう古い感覚と直感は違う。
by. 桜井章一氏
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よく「直感を信じろ」というが、
信じた直感はすでに知識やテクニックを信じたうえでの直感で、
それはもう直感ですらなくなっている。
だから、今の人には本当の意味での直感はないといっていい。
ふつうはありえないのだが、
相手が何を出すかほとんどわかってしまう。
直感で次に何を出せば勝てるというものではなくて、
相手が次にパーを出すかグーを出すか、
イメージが湧いてくる。
by. 桜井章一氏
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それに対して、
私が勝つほうを出せばいいだけだ。
これが古い感覚である。
今の人たちがこうした古い感覚を失ってしまったのは、
近代的な科学文明の便利さと引き替えに感覚を捨ててしまったからだ。
私がそれを失わずにいるのは、
文明の便利さを受けないようにしていることもあるが、
小さい頃からそれを探していたからだ。
by. 桜井章一氏
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そして、自然とふれ合ううちに、
古い感性というものがその中に存在するということを実感したからだ。
本来はすべての人間が持っていたもので、
私はそれを掘り起こしただけにすぎないと思っている。
つまり、小さい頃から持っていた感覚を、
いろいろな分野で使ってみたら通用しただけなのだ。
あなたもなぜかわからないが、
考えたりしないで行動した時にうまくいってしまったという経験があるだろう。
by. 桜井章一氏
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それは時折出てくる古い感覚なのだ。
だから、生活していて何か感じるものがあれば、
その時のいい感覚を大事にしたほうがいい。
もしかしたら、
古い感覚を自分の中で取り戻そうという動きが起きたかもしれないからだ。
私の道場でも麻雀を感覚で打たせているが、
すぐに技術に戻ってしまう。
by. 桜井章一氏
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人生二〇年生きていれば二〇年の知識やテクニックを身につけてしまうし、
四〇年生きていれば四〇年の知識やテクニックを身につけてしまっている。
そういったものはなかなか拭い去ることができない。
しかし。気づいてほしいのは、
古い感覚というものは誰でも持っているものだし、
そうした感覚が出る瞬間を大切にしてほしいということだ。
感性を失った大人は、
子どものような楽しさを見いだすことができなくなってしまった。
by. 桜井章一氏
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子どもには、そもそも道楽なんてない。
道楽というのは大人たちの発想だ。
子どもは本当に純粋に楽しいものだけで遊んでいる。
大人は、これはお金がいくらかかると考える。
打算的な交際だったら、
初めからつき合わなくていいと私など思ってしまう。
by. 桜井章一氏
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だから、遊びにも春夏秋冬の旬が息づいていた。
そうすると、遊びながらも自然観というのを学ぶことができた。
その場、その場で楽しみを発見できるわけだ。
本来の遊びというものは、
仲間がいて成り立つ。
by. 桜井章一氏
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遊びは絶対に自分一人ではできない。
電子機械相手に遊んでいたら、
自分が”電子人間”
になってしまうということに誰も気づいていない。
自分が機械と遊んでいたら機械化されていくことに気づかない。
体を動かして仲間や子どもと遊ぶことでしか、
感性を取り戻すことはできないと、
私は思っている。
by. 桜井章一氏
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