■すこやかな生き方のすすめ -廣済堂-
好き嫌いを言える自由もあるけれど、決して言えない瞬間があるということですね。ところが「感じる力」があれば、問題の的を正しく射ることができる
まあ、簡単に言ってしまえば、
自分にウソをついて生きているヤツは、
ウソをつき通せばいいだけのこと。
そうやって世の中を渡ってきたんだという証でもあるわけ。
だから、それもお前の味だからとっておけって言うんです。
なぜかといえば、
そういうクセはそいつには治らなかもしれないけど、
まわりのヤツが「これはダメだ」とか、
「俺にもそういうところがあるから、治そう」
と思うじゃないですか。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
だから、流れって大切なんです。
でもね、もっと大事なことは、
気づいたら、観客ではなく、
舞台に乗る。
見てちゃダメ、
実際にプレイヤーにならなけりゃ。
「踊るあほうに見るアホウ。
同じアホウなら……」
ってあるでしょ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
あれ、ひとつの真理ですよ。
バカができないのはダメ。
世の中には先生面して、
上から目線でいつも偉そうなことを言ってる人がいるけれど、
自分を自分の考えで、
人より下に落とすことができる人っていないよね。
いわゆる、バカになれる。
バカに徹する。
人に嘲笑される。
自ら進んでバカになる。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
要するに、プライドが邪魔をしている。
それを捨てられるかどうか。
完全に捨てた人は、
カッコいいよ。
それも、人間がつねに自然体でいられるか、
どうかで決まりますね。
だって、ウソはできるだけ少なくしたいから。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
ただね、じゃあ、
嫌いなものを食べられるかっていう勝負になったら、
食べます。
でも、いざ、勝負になって、
「桜井、ここにあるイチゴを食べられるか」
と言われたら、
私、イチゴ、
ひと箱でもふた箱でも、
勝負に勝つまで食べますよ。
ひと言で言ってしまえば、
ダメなことがわかっていても、
嫌いなイチゴを食べている自分が好きだってことでしょう。
根性ですね。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
好き嫌いと食べるか食べないか、
これって、とても似ているようですが、
命がかかっていたら別問題ってことでしょう。
好き嫌いを言える自由もあるけれど、
決して言えない瞬間があるということですね。
そうすれば、
嫌だから逃げるのではなく、
負けるから戦わないのではなく、
嫌だから向かっていく、
負けるから挑んでいくという気持ちになれますからね。
嫌なことから目をそらすのではなく、
突っ込んでいく気持ちが、
仕事でも人生でも大事なんだと思いますよ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
それが、困難に立ち向かう心につながっていくんですよ。
私は、そういう気持ちが強い。
誰かの誕生日祝いでローソクを立てるようなちょっと大きめのケーキを買って入ってきたんですよ。
でも、なんか、
様子がおかしいんです。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
箱が歪んでたり、
持ち方がおかしかったり。
それで、彼は台の上に気まずそうにそっと置いたんだ。
私はすぐにピンときた。
(あっ、これはどこかで一回、落としたな)
って。
だから、とっさに彼のそばに行って、
ちょっとケーキにぶつかったふりして、
もう一度、その箱を床に落としてやった。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
その時、私は「箱をくれ」
とわざと言ったんだよね。
そして、もらって、
箱についたケーキのクリームをペロペロ舐めたら、
みんな笑った、笑った。
だから、食べましたよ、
大嫌いなイチゴを。
それが、遊びですよ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
だから、それだけじゃつまらないから、
自分で自分を遊んで楽しんでいるわけ。
そういうのをカバーするのがボスの役割でしょう。
小さい時から、
「あれ?」って感じでわかっていた。
察する力、
感じる力が異常に強かった。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
そのうち、いつの間にか映像として浮かぶようになったんですね。
だから、自ら見ようとしないように、
いつもスクリーンを閉じてきた感じって言ったらいいのかな。
私のその時の気持ちは、
遊びですよ、遊び。
みんなが楽しく推理ゲームに入っているから、
私もそれにスーッと入っていっただけ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
理由もなく、
自分の中で確信のようなものが出てくるんですよ。
こうした何か当ててしまったり、
こちらの願いがスッと実現したりする時っていうのは、
だいたい気分がすごくよかったり、
心に遊びがある時なんですね。
あえて言えば、
自分と他人を分ける感覚がはっきりしない。
自分と他人がお互いにはっきりと存在するのではなく、
なんだかひどくその人が近くにいる感じがするわけ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
麻雀を知っている人ならわかってもらえるかもしれないけど、
麻雀でいうと、
相手が何を次に捨てるか、
それがわかってきて、
自分もそのなかに混ざっていく感じですよ。
これは、麻雀だけではなく、
自然の感覚なんです。
「なんだか、このままではよくないことが起こる」
という感覚がまずあって、
それでどうしたらいいか考えるならいいんですけど、
まず理性を大事にする教育、
それがおかしいですよね。
それにね、考えてばかりいたら、
現実が間に合わないでしょう。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆
いまの政治もそうですけど、
考えるほどに迷いが生じ、
選択肢が増えていく。
情報がありすぎて、
新たに、また迷ってしまう。
ところが「感じる力」があれば、
問題の的を正しく射ることができる。
もっとも「感じる力」が強くなると、
実際にムダな思考はしなくなるし、
こんな知識いらない、
なんてこともわかってくるものですよ。
by. 桜井章一氏
☆*:.。. *・゜゚・*:.。..。.:*・’*゚▽゚*’・*:.。. .。.:*・゜゚・* .。.:*☆