■人は八割方悪である -竹書房-
真の強者は自立した存在である。いかなる時も自分の感性と感情を捨てない
かつて俺自身が打ってきた麻雀を含め、
世の麻雀は虚しい欲望を追求するゲームでしかなかった。
ならばいくら勝ち続けたところで、
いや勝とうが敗けようが、
そこには汚いものしか残らないのは当然なのである。
自分では強さを追ったつもりでも、
俺は弱さや裏切りを求め続けていただけなのだ。
そこに虚しさや苦しさが満ちてくるのは当たり前のことだったのだ。
by. 桜井章一氏
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進歩や発展というものは、
人間の幸福を追求する手段のはずである。
だが開発を主導する立場の人間が、
実は私欲のために無用な建設を行っているだけだとしたら――
もはや取り返しの付かないレベルにまで来てしまった、
自然や環境破壊の深刻な実情を見ていると、
それは建設という名の破壊というほかないのではないか。
by. 桜井章一氏
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俺は日頃、
「政治経済の論理」を拒んで生きているつもりだ。
だが実は、
能力のある人が弱いものを助ける手だてとなるためにあるのが、
政治や経済の真の本質なのかもしれない。
今俺たちが目の当たりにしているのは、
支配者や権力者の欲望に乗っ取られた政治や経済の姿なのだ。
by. 桜井章一氏
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ただ、少しでも麻雀の本質に近づくための創意や工夫を重ね、
それを若い人々と共有していくこと。
それが俺にとっては麻雀への恩返しであり、
新たな麻雀の道だと思っているだけである。
by. 桜井章一氏
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今の世間の麻雀は、
世の中の汚さをそのまま反映しているから、
世間同様に汚い麻雀でしかないというのが俺の考えだ。
そして、そうした麻雀と決別し、
麻雀の真の強さを求め本質を追求して生み出されたのが雀鬼流麻雀なのだと俺は公言している。
by. 桜井章一氏
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それこそどんなひどいことをやっても平気なのが、
世の多数派の人が打つ麻雀だ。
どんな打ち方をしてもいいし、
麻雀を打つ心構えや考え方など持ち出す人間は馬鹿者扱いとなるのがオチなのだ。
もちろん世間の麻雀では、
そんな麻雀を打った方が、
結果として勝ち組になれるのだろう。
政治家や悪徳商人が権力や富を手にしているのと同じことだ。
by. 桜井章一氏
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むしろ基本を磨き、
無駄を省いてこそ、
本物の個性は出てくるものなのだ。
雀鬼流のペナルティーの原点は、
「人としてやっていいこと悪いことを考え、よくないことはやめよう」ということに尽きる。
そのため勝ちを貪る方便や政治経済的な策略を極力除いていこうというのが、
その趣旨なのである。
by. 桜井章一氏
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すべてのことに意味があるのだ。
麻雀とは経過の中に修正を加えていくゲームである。
結果から学ぶことももちろん大事だが、
打っている最中に、
しかもなるべく早く自分の状態に気づくことができれば、
よりよい麻雀を打つことができるものだ。
by. 桜井章一氏
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切り飛ばした方が逆目に出れば、
自分の勘がさえていないことが早くわかることになる。
当然立て直しにも早く着手できるのだ。
損得の感情が残っていれば、
誰でも先に字牌を切って数牌をとっておきたくなるだろう。
しかし決めは決めである。
雀鬼流の選手にとっては、
ペナルティーをとられるからではなく、
自分を裏切りたくないから、
損得を捨てて切る牌を選択するのだ。
by. 桜井章一氏
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自分を裏切らず、
約束を守る人間には強さが身についてくる。
打つ人間が強くなれば麻雀自体も必ず強い麻雀になるものだ。
裏切り行為は思考や行動の弱さから発するものである。
弱さを出し心が揺れれば、
それは敗けの始まりだ。
by. 桜井章一氏
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世間の人々は勝利を望みながら、
敗けの方へ敗けの方へと自らを運んでいるのである。
それでもずるさの勝った人は、
他人の足を引っ張って、
より敗ける人間を作って点数上の勝ちを漁っているのである。
つまり、弱い人間でも結果として手元に点棒をため込むことはできるのだ。
by. 桜井章一氏
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真の強者は自立した存在である。
そういう人はいかなる時も自分の感性と感情を捨てない。
世俗の勝者という奴は、
実は弱者に依存しなければ成り立たないものなのである。
by. 桜井章一氏
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麻雀にとっていちばん大切なものは流れである。
いい流れがあれば、そこにはいい麻雀ができる。
そのためにも人に迷惑をかけてはならない。
四人がしっかりと打てば、清流が回っているような勝負ができるのだ。
その醜さに気づいた者は、
その次には無駄な動作や心の揺れも流れを乱す元になることに気づくはずである。
by. 桜井章一氏
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いい流れがあり、
いい麻雀があるのならそれを実践したいと考えているのだ。
そのためには打つ人間が心身を鍛えて強くなることを心がける。
雀鬼流では人様に迷惑をかけてるペナルティーを起こすことを最も恥とする。
強い男は損得ずくで動くことを恥だと思うものである。
損とわかっていてもやるべきことはやる。
自分を捨てずに生きざまを貫くのだ。
by. 桜井章一氏
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