■人は八割方悪である -竹書房-
人間の本質とは、外部の変化にかかわらず平衡を保てること。内部を心という
ただし、的の位置すらわかっていない者が放った屋が的を外したからといって、
それはミスとはいえない。
その場合は方向性も何もなく飛んでしまった矢であり、
ミス以前というほかないレベルの話なのだ。
そして麻雀でも上級者ともなれば、
もちろん的の位置をきちんとはかり、
方向を定めてから矢を放つ。
とはいえそんな時ですら、
矢が的を外すことはザラである。
ただ、この場合はミスではなく「心と精神の微妙なズレ」が生じた結果である。
by. 桜井章一氏
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麻雀というのはけっして頭だけで打つゲームではなく、
身体も頭脳も精神も使って打つものである。
だから麻雀では肉体的な疲労が打牌に影響を及ぼす場合もあれば、
精神的な事故や故障が関係がして、
思考のズレが生じて的を外してしまうこともある。
もっとも、
そんな時でも自分の悪い要素をつかむことができれば、
不調や微妙なズレを感じ取ることはできるのだが、
中にはなんだかわからないけれど、
とにかく調子が悪いという状態になることもある。
by. 桜井章一氏
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脳から発信するものが一〇〇であったとしよう。
ところが他の要素が作用して、
それが六〇になったり一二〇になったりすることがある。
それがズレなのです。
by. 桜井章一氏
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麻雀というゲームには、
激しさや興奮を引き起こす要素が多分に含まれている。
極論だが、
役満が出れば和了った者も振り込んだ者も校風の極地に至る。
そんな時、
意識して身体の力を抜こうとしても、
リラックスしようとしても、
その興奮は三〇分ほどは続き、
元には戻らない。
つまりどちらも平常心とバランス感覚を失った状態のまま打ち続けることになる。
by. 桜井章一氏
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俺が麻雀を打つ時は、
いつもその微妙なズレの感覚を「かげり」という形で感じ取ってきた。
ただしこれは決して人が引き起こしたミスではなく、
その領域の外にあるものである。
俺は道場で、
どんな強豪の選手に対しても、
基本動作を大切に教えることにしている。
俺は、イチローのすごさは「微妙なズレ」の自覚と修正力にあると思っている。
by. 桜井章一氏
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彼(イチロー)は守備位置についていようがバッターボックスに立っていようが、
終始身体を動かしストレッチをやっている。
柔軟運動をすることによって身体に流れを作り出すストレッチこそ彼(イチロー)にとっての基本動作であり、
それを大切にすることで、
ズレが生じた時に心身を元に戻す能力を早めに発揮することができている。
それがイチローが名バッターたるところなのです。
by. 桜井章一氏
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俺も麻雀を打とうとする時は、
まず牌を手にして柔らかく柔らかく扱うことから始める。
麻雀を打っていて、
なんだかわからないけど調子が変だなあと思う時も、
俺はまず自分を基本動作だけに戻している。
そうすることで、
和了りたいという気持ちは消え去り、
危ない状態もいつのまにかなくなってしまう。
ただ基本動作を正確に繰り返していると自然に自分を取り戻し、
少し前まで感じていた「なんか変だ」という状態から脱出できているのである。
by. 桜井章一氏
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「愛は地球を救う」とかいうテレビがあったが、
麻雀においては基本動作こそが我が身を救ってくれるものだったのだ。
もし麻雀にマナーというものがあるのだとしたら、
それは間違いなく基本動作のことだと、
俺は思っている。
by. 桜井章一氏
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麻雀を始めてすぐの頃、
俺が生涯和了るまいと心に決めた手役が一つだけあった。
長い麻雀人生の中で捨てちまった役である。
一つくらい、
捨てることにこだわってもいいだろうと思い続けてきた。
その役も何度となく俺の手牌に顔を見せたが、
常にチンイツという小さい役に戻すことで、
俺は自分の掟を守り通してきた。
by. 桜井章一氏
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自由も平等も正義も平和も、
闘争して勝ち取るしかないとでも言いたいのだろうか。
世の中で起きる犯罪にはすべて動機がある。
そこに誤った手段を取り入れることで犯罪が生まれるのだ。
だが犯罪行為は処罰できても、
その動機の根底にある思想に処罰を加えることはできないはずだ。
思想とまでいわなくても、
考え方や意見の違いで気分を害したり、
争いごとが起きたりするのは普通である。
by. 桜井章一氏
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なにごとも「器」が大きくなればなるほど不条理・理不尽になり、
わかりづらくなるのが真理なのだろう。
それでも日本人は必要以上の競争を重ね、
夢や希望すら人間の欲望にすり変わっていることにも気づかず、
人間の目標が「大きな器になること」になってしまっている。
by. 桜井章一氏
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マザー・テレサの思考と行動の素晴らしさは、
多くの人のためにという以前に、
まず一人、
たった一人の困った人のために働くというところにある。
一歩からの広がりという観念が素晴らしいのです。
by. 桜井章一氏
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昔、まだ人がシンプルだった頃、
人は「常に均一に保つ」という機能を持っていた。
人間の本質とは、
外部の変化にかかわらず平衡を保てること。
それが大切なことだった。
外の環境に左右されない内部のことを、
心というのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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我々が身を置く社会が進歩するにつれ、
人間は次第に競争という外部環境に身を任せるようになってしまった。
そして恒常性や平衡感覚を失い、
大きくバランスを崩してしまい、
心の病が多く出てきた。
競争意識が強いため、
緊張したり不安になったりして、
ストレスや神経症を引き起こすことが、
きょうびの人間には当たり前なってしまった。
バランスの崩れから生まれる不安ならば、
人間の防御本能が正しく機能するためにも必要だろうが、
そうでなければそれは不安症となり、
大きな病となる。
by. 桜井章一氏
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