■人は八割方悪である -竹書房-
自然を忘れてしまった人は、愛をも忘れた人である。愛とは一方的に与えるもの
自然は常に形を変える。
自然は一瞬たりともとどまってはいない。
常に流れながら形を変えている。
ただし自然がすなわち愛だというには、
もうひとつの要素を見落としてはいけない。
それは、絶えず変化を続けていながらも、
自然の本質自体は決して変わることがないという事実である。
by. 桜井章一氏
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荒れていようと穏やかだろうと、
風は風、海は海、空は空なのである。
変化するものには、
本質そのものがコロコロ変わってしまうものもある。
いや本質を持たないから変わり続けていくものがある。
経済活動には本質などない。
だからこそ愛とはかけ離れたものとなってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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みんなが夢中で追いかける流行というやつは、
決して自然の流れで動いているわけではない。
現代は文明の発達した便利な時代だというが、
ひとたびその裏をのぞいてみれば、
空虚な変化、悪循環を繰り返す、
愛のない時代であることがまざまざとわかるのだ。
ものだけではない。
人間関係ですら同様である。
by. 桜井章一氏
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自分が愛していると思い込んでいる相手は、
単に自分にとって便利な人、
利益をもたらしてくれる人でしかないのではないか。
愛とは一方的に与えるものである。
見返りを求める気持ちの混じった感情など、
決して愛ではない。
by. 桜井章一氏
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俺が愛そのものだと感じる自然はだれにも見返りなど求めない。
欲とも得とも関係なく、
風は流れ雨は降り注ぐのだ。
自然を忘れてしまった人は、
愛をも忘れた人である。
by. 桜井章一氏
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日々刻々変わっていくのは自然も人間も同じである。
元々、人間は自然の一部だったのだ。
「変わらぬ愛」を相手に押しつける人は、
愛することを知らない人だ。
by. 桜井章一氏
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自然が素晴らしいように、
愛のある人も素晴らしい。
愛ある人間になりたかったら、
愛に経済を持ち込むな。
そして自分の都合のよい一部分ではなく、
よいも悪いもきれも汚いも含めた相手の全体を愛せるかどうか、
もう一度自分に問い直してみよう。
by. 桜井章一氏
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俺はいつも雀鬼会では心を込めて麻雀を打てと指導しているが、
世の中の麻雀ファンの大部分は「心を込めて麻雀を打つだって、バッカじゃねえの」くらいの感想を持つのだろう。
「麻雀は卓についてからいくら勝とうと思っても、それではとても間に合うものではない。まず普段の生活から勝ちに向かって…」と答え始めると、露骨な言い方でこそないものの、まずほとんどの人間は「そんなキレイゴトやタテマエはいいから、手っとり早く勝てるテクニックを伝授してくれ」と言ってくるのである。
by. 桜井章一氏
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スポーツであれ職人の世界であれ、
プロや一流を目指す人は、
常日頃から研鑽を積むのが当たり前だと俺は思う。
そして他の分野と同様に、
麻雀の道もまたそうだというのが俺の考えだ。
by. 桜井章一氏
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この社会では、
知識や情報を先取りできる立場にいる少数の人間が、
残る大半の人間の上に立っている。
高級官僚や大企業の幹部や政治家など、
エリートとか権力者といわれる人たちがその最たるものである。
支配者の側に回ることこそが人生の勝利だという論理がそこにある。
by. 桜井章一氏
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二〇年間の現役時代、
一度として敗けたことのなかった勝負の道は、
決して俺を幸福な気持ちにさせるものではなかった。
俺の人生は強さを求める人生である。
幼い頃から現在に至るまで、
その思いはまったく変わっていない。
by. 桜井章一氏
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麻雀という勝負の道に足を踏み入れて間もない頃は、
たしかに勝つことが楽しかった。
自分がさらに強くなっているという嬉しい実感もあった。
だが、勝ちが続けば続くほど、
俺の心に次第に広がっていくのは、
なぜだかどうしようもない虚しさなのだ。
by. 桜井章一氏
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勝てば勝つほど自分は強くなり、
麻雀の本質へ近づける。
かつての俺はそう思っていた。
本質へ、本物の強さへ近づければ、
待っているのは真の「楽」の境地であるはずではないか。
なのに実際は苦しみが募ってくるばかりなのだ。
by. 桜井章一氏
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それがなぜなのか、現役時代の俺にはついにわからず、
結局は自らの意志で牌を置くことになった。
そして修羅の勝負の道を離れて初めて、
巷の麻雀に巣食う勝ちを貪る欲や、
政治経済的な論理など、
麻雀にくっついた不純物の存在が見えるようになった。
そうしたものを取り除いていくと、
最後に残るものこそが本当の強さであり、
麻雀の本質なのだということが、
俺にもようやくわかってきたのである。
by. 桜井章一氏
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