■人は八割方悪である -竹書房-
人間は勘違いを犯しながらも、それを修正して甦ることが大切なこと
人の世は妄想と現実で成り立っている。
生きとしいけるものはすべて、この中で生を全うする。
人が生きる道には過去と未来があり、
そして今がある。
未来はいまだ体現していない世界であるがゆえ、
妄想であるとだれも知り得る。
だが俺にとっては自分が通ってきた道、
実際に体験した過去も、
妄想の世界でしかなかったような気がしている。
by. 桜井章一氏
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そして現実ですらその実感が薄いことがある。
人の世は幻なのか――
このごろ特にそんな思いがしてならない。
(俺らの周りに集まってくる若者)彼らが持っているのはこの世の中が生み出した病ばかり。
三分の一ほどの子は、
世界津に悩むのではなく、
心の病を抱えてやってくる。
その子たちにしたって、
この世が作り出してしまった妄想の中に浸り、
それを追いかけて続けて悩むことになってしまった。
by. 桜井章一氏
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ひと昔前には、
俺の元にはドロップアウトしたような子が、
強いものがいるぞと集まってきたものだが、
今は確実に変わってしまい、
心の病を持った子らが救いを求めてやってくる。
俺にそんなものを求めること自体が妄想なのかもしれない。
そういうふうに考えると、
今俺のやっていることすら妄想にすぎないのではないかと思える瞬間もある。
by. 桜井章一氏
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だが現実は、
俺は俺の周りに集まった子たちと、
毎日楽しく充実した時間を過ごさせていただいている。
それもこれも、
麻雀における勝ったも敗けたも捨てしまったおかげで、
まったく違った世界が自分の前に出現したのだろう。
妄想は妄想、現実は現実として、
俺の生きさまってえらくいろいろあったもんだ――
今の俺にはそう思えている。
by. 桜井章一氏
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今期も、俺が与えたテーマである「的を外さない」ことに向かって、
それぞれがそのテーマを学び、体現しながら、
熱い戦いを繰り広げる。
前期のテーマは「修正力」であった。
完全な人はいない。
また完全になる必要もない。
完全は神だけに許されるものであって、
人間は勘違いを犯しながらも、
それを修正して甦ることが大切なことなのである。
by. 桜井章一氏
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今期のテーマである「的を外さない」ということは、
人が生きるべき要素としてかなり必要な部分であろう。
そしてそれができる男の証でもある。
麻雀だって的外れの行動や思考で打つと必ず敗れる。
的を外さないのができる男、
強い男ということになるのだ。
by. 桜井章一氏
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人間はミスを犯し、
危機に直面し、
調子にのると頭が真っ白になり、
通常考えられることもおぼつかなくなる。
そしてとんでもない手を打ってしまう。
頭が真っ白という状態に瞬間陷ることは、
狂いを引き起こすことになるのだ。
by. 桜井章一氏
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人の中には善悪の他に狂の部分が棲む。
狙っていたことが狂えば、
人は的を外すことになる。
人間の「病」や「狂」というものは、
方向の狂いが引き起こさせたものだろう。
by. 桜井章一氏
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雀鬼流、雀鬼会は、
ただ麻雀の技や力量を競っているだけではまったく意味がない。
社会の通念や常識、
方向性の間違いに気づく力を身につける。
そして自力や自立した思考を少しでも身につけることが麻雀の裏側になければ意味がない。
by. 桜井章一氏
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俺自身、
すでに麻雀の勝ち負けは捨てた身だ。
勝ち敗けだけにこだわり、
執着しているようでは、
若い者を指導することに情熱をそそげず、
価値もおけなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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知らぬ間に悪い要素が浮き上がり、
少しずつ自分で自分を壊す打ち筋を見せていた。
日頃、道場である「牌の音」へ通う者は、
まず基本動作を教わり、
修正させられる。
和了ることより勝つことより、
それが第一歩の大切さとして優先されるのだ。
by. 桜井章一氏
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大概のものには基本があるのに、
麻雀の世界にだけはその導きがなかった。
それが最低限のマナーであるはずなのに、
基本動作があることすら知らずして麻雀を打つものばかりだからこそ、
そこから生まれるものも少なかったのです。
by. 桜井章一氏
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基本動作ができぬ者は、
必ず他の打ち手に迷惑をかけているからなのです。
俺の目には選抜クラスの者の打ち方に歪みが見える。
それはすべて人間の弱さから生まれてくることも俺は知っている。
牌は柔らかく扱って、鋭く刺すように打つ。
そうすることで無駄な思考と動作が抜けるのだ。
自分の手牌、相手の切り牌にすら、
執着したり依存してはならない。
それでは本物の麻雀は打ち切れないのである。
by. 桜井章一氏
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じっと見る、
しっかり確認するというのは本当のところまったく逆の行動で、
打てるということは見ないことなのです。
見ないことで執着や依存心がなくなり、
自立した麻雀が打てるのです。
by. 桜井章一氏
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