強さと温かさを求め、何よりもそれを実践するため、心で気づき鍛錬を重ねる

■人は八割方悪である -竹書房-

強さと温かさを求め、何よりもそれを実践するため、心で気づき鍛錬を重ねる

人としての強さと温かさを求め、
何よりもそれを実践するため、
心で気づき鍛錬を重ねる。

そんな人間が集まっていることが大切なのだ。


by. 桜井章一氏

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その日も、
感性を昔に戻してしまった俺が卓に着く。

俺の指が牌をツモって切るふたつの動作は一体化されたものとなり、
上家に座る選手が牌を切ると同時に、
俺の打牌も既に河に置かれている。

下家の多田も俺の動作の素早さ、
というよりもはや動作が消えた中、
いつのまにか俺が河に打ち据えた打牌を見落としてしまうような状態となり、
ただツモる動作を繰り返すのみ。


by. 桜井章一氏

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昔、俺が現役の頃、
かなりの内手と打ち合った時、
「あんたの麻雀はかげろうのようだ」と指摘されたことがある。

その相手はこうも付け加えて。
「打っていると、あんたの姿はぼんやりとした残影でしかなく、存在が消えてしまったようだった」と。


by. 桜井章一氏

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俺の打ち筋は確実に球を拾い、
確実に卓上に直球を投げていく。

三人はだれ一人その直球を受けられず、
卓上に沈んでいく。

俺の体はいつしか少し前傾姿勢となり、
俺の視点は卓上の自らの捨て牌が並ぶ一点に置かれ、
自らの手牌や相手の捨て牌には少しも気を取られなくなっている。


by. 桜井章一氏

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そして俺の気持ちからは、
すべての弱気と迷いが消え去っていた。

そうなると不安っとか恐怖といっったものも消え、
闘う姿勢だけが残るから、強い。

俺の手牌はほとんど三色型となって現れる。

相手の和了はたまたまという形で現れるだけだから、
たとえ相手が選考の打点をあげたとしても、
それはまったく眼中になく、
俺はすぐに追いつき、
並ぶことすらなく追い抜いてしまう。


by. 桜井章一氏

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昔体験し続けた一人麻雀の領域にいた。
俺の打った麻雀を目指せというのではない。

彼らの持つ技量を、
たとえわずか一歩でも前へ進める麻雀打つ。

俺はこれからも彼らをそう導いてやればよいのです。


by. 桜井章一氏

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雀鬼流では盲牌は御法度である。

なぜならもう牌をすることで力に頼り、
力が入りすぎてしまうからである。

力の強さというものは、
外に表すものではなく内に秘めるものなのです。

「本物の力とは、見えぬものなり」なのです。


by. 桜井章一氏

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麻雀において力強く打てるということは、
勝つためには絶対に必要な要素である。

だが勝負というものの本質、
仕組みがわかっていないも者が力強く打とうすると、
牌をツモる時や切る時に、
ただ闇雲に力を入れればいいという思考が生じ、
実際にそう行動してしまうものだ。


by. 桜井章一氏

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人間というものは、
わからないものや未知のものと遭遇したり、
どうにかして勝ちたいという欲が強すぎたりすると、
どうしても心と行動に力が入ってしまう。

俺から見れば、
そんなものは無用の長物以外の何者でもない。


by. 桜井章一氏

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力を入れた状態では、
人間には必ず支点が残ってしまうものだ。

見る者が見れば、
その支点がすべてスキとして映ってしまうのである。

牌に描かれている絵柄は、
男のツラと同じである。

人さまのツラをいちいちゴシゴシこすっていては、
命がいくつあっても足りないだろう。

盲牌とはそんな無礼な行為なのである。


by. 桜井章一氏

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牌をツモる動作は、
力を極力抜いて柔らかく行う。

そして山から自分の手牌の横まで、
ツモ牌は最短距離をいわば低空飛行で持ってくる。

次に身体のどこにも支点を残すことなく、
再びそのまんまの動作で低い軌道を描いて、
捨て牌を河へ滑らせるように切り出すのである。


by. 桜井章一氏

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牌をツモって切る動作は、
直線的に最短距離をとることで自分の無駄な部分が消え、
自分の状態がしっかりとつかめるようになる。

上家の動作にムダがなくスムーズだと下家も打ちやすい状態になり、
結果として四者の麻雀が生き生きしてくるのである。

そんなふうに打つことで、
卓上にはリズム感が生まれる。

そうなれば清流のような流れも生まれ、
内容のある麻雀が打てるようになるものだ。


by. 桜井章一氏

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弱気や迷いという支点を、
テクニックでどうにか埋めようなんていう打ち手には、
麻雀の持つ「流れ」を実感することは決してできまい。

支点を残すことなく、
風や水のような自然の流れにまかせて打てる麻雀こそ、
最強の麻雀だと俺は思っている。

「動でも静でもなく流れ」なのである。


by. 桜井章一氏

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それは常に流れている自然の強さに通じる強さである。

精神も肉体も流れの中にあれば、
その人は精神的な問題と無縁でいられるし、
肉体もいつも健康でいられるはずである。

「押してもダメなら引いてみな」という闘いの格言がある。
いわゆる引き技である。

俺はこの引き技というものにあまり感心できない。

そうではなくて「力を入れてもダメなら抜いてみな」という方が、
勝負の本質に通じる言葉なのではないかと思う。


by. 桜井章一氏

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