■人は八割方悪である -竹書房-
真の実力とは、見えないものを持つ力をいう。人間は自然の力には決してかなわない
のしかかられた相手が俺を撥ね飛ばそう、
逃れようと力を入れば入れるほど、
その力は俺に向かわず自分の身に加わってしまう。
そうなると自分の力で自分を攻める状態に入り込み、
俺の身体が相手の身体と同化してしまう感覚になってしまうのだ。
俺が脱力したことで相手の力が抜けてしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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そうなると今度は自分の思考と身体の方向が乱れて、
まるで海で船酔いをしたようなフラフラとした状態に陥ってしまうのである。
脱力という身体の変化を身につけることで、
力学的にはうまく説明のつかない、
いわば一種の「術」をかけるようなことが本当にできるようになってしまうのだから不思議なものである。
by. 桜井章一氏
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勝負づけ、勝負の本質というものは、
力学など人間の知識の追求とはまた別のところに存在しているような気もする。
慎重であれ豪快であれ、
過ぎてしまえば人間はそこにのみ込まれ、
我れを見失い、バランスを崩してしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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人間の身体も麻雀も、
調和を保つことがとても大切である。
調和が崩れれば、
人間の身体はいともたやすく病になってしまうし、
それが麻雀なら敗けの道に進むことになってしまうのだ。
人間はここぞという場面では、
放っておいても心身に力がはいってしまう。
そんな時こそ、
バランスをとるためにもそっと力を抜いてみることが大切である。
by. 桜井章一氏
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俺の体験から言っても、
まず全身に力を目一杯入れ、
そこから身体の力をスーッと抜くと、
普段より倍加した「力が抜けた力」が出るものである。
無力は脱力とはまったく違うものなのである。
無力とは元々力が絶対的に不足した状態で、
脱力というのは力強い力を通り越したところに存在するものだ。
巌のような力が砕けて、
砂のようなサラサラとした状態になったようなものである。
by. 桜井章一氏
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積み重ねた力ではなく、
動でもなく静でもない、
流れのような力。
それが脱力なのだ。
いってみれば、
脱力とは人間が編み出した人工的な力ではなく、
自然そのものに近い力のことなのです。
人間は自然の力には決してかなわない。
by. 桜井章一氏
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人の心が病んでくれば、
邪念にとらわれて真実ではないものを真実と信じ込んでしまったり、
方向性を見失って自ら歩むことを忘れてしまい、
自分そのものを他人にゆだねてしまうようになる。
現在の世の中は、
普通の人が生きているはずの領分にまで、
そんな心の病を持った人々が入り込んでくるようになっている。
そして、社会全般が病んだ姿を現しているのだ。
妄想を抱き、
洗脳されてしまったような人々を見るたびに、
俺は社会の病理を感じ取る。
by. 桜井章一氏
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自立した行動や思考をすることができる者が知恵のある者だとするならば、
きょうびの人々は知識や情報に侵されてしまった、
動きの鈍い、肥満化した生き物に過ぎない。
一部の宗教や思想の世界の歪んだ部分に存在する洗脳や妄想といった魔物が、
いまや社会のどこにもはびこってしまっていることに、
人々は気づいていない。
自分たちがそういう状態におかされていることにさえ気づかないことが、
もうすでに心の病に侵されているということなのです。
by. 桜井章一氏
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知識や情報に頼らず、
心の目で何が正しいのか少しでも真実を見極める勇気を持たなければ、
人の世は病に侵され、
次第次第に狂の時代に突入してしまうのです。
子どもたちが通る道である教育の場や家庭においてすら、
その本来の姿はすでに失われており、
洗脳されてしまった人々によって、
長い間「数」を価値とする競争の論理が善とされてきた。
そのため家庭や学校は、
真の教育の場からはかけ離れた妄想の世界となり、
いまやどちらも争いの場となって、
荒れ果ててしまっている。
by. 桜井章一氏
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人の世に病が少なければ、
人は妄想というものに寄りつくこともないのだろうが、
今のように多くの人の心が病に陷ると、
真実のあり方を追うよりは妄想の世界に浸りきる方が当たり前となっている。
俺はそれにも、
生きとし行けるものとしての不自然さを感じ取っている。
人を洗脳する手段として、
人を操る能力が威力を発揮する。
by. 桜井章一氏
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俺から見れば、
そういった洗脳力は宗教に限らず、
多かれ少なかれどこの世界にも存在するような気がする。
困ったことに、
そういうものが夢や希望や進歩や向上、
目的意識といったものに擬せられているものだから、
つい見落としがちになってしまう。
by. 桜井章一氏
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人は大切なことを感じることができたり、
そういうものが身近にあると張り合いが生まれ、
生き甲斐を感じる。
逆にいえば、
長い時間をかけて育て上げた大切なものを失うことはつらい。
by. 桜井章一氏
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「やっている者が勝ってやれ」
「やっている者は勝てるはずだ」
という空気が湧いて出ていた。
とはいえやったからといって急に勝てる力が出るとは限らない。
いつかそのうち、
能登がいまやっていることが力となって現れる。
by. 桜井章一氏
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勝負では、
時によって力以外のもので敗け、
そして勝つことがある。
その見えないものこそ、
本物の力であり真実であるような気がする。
真の実力とは、
見えないものを持つ力をいうのであろう。
見える力ではかないはしない。
それが二連勝。
何かが確実に動いている。
そういう力を人は神というのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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