■人は八割方悪である -竹書房-
力を出せば、力は失われる。見えるものを追うと、見えなくなる!
麻雀を打つための目というものがある。
打てている者は全体に目が行き届き、
打てない者たちは部分的なもの、
個にとらわれている。
俺は普段から道場生に、
集中力とか無心とかいうものは、
個に依存や執着せず、
限りなく拡げることから生まれてくるのだと指導している。
そうすることで今起きている状態を的確につかみ、
何をすべきかという判断力も起き、
次々と生じる変化にも瞬時について行けるようになるのです。
by. 桜井章一氏
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「とにかくイチローだけを見ていなさい。
彼がベンチにいる時、そこから守備位置に走る姿、
その位置で何を準備し行動しているかをしっかり見てごらん」
「彼は守備についている時、
すでに流れるようにバッターボックスにいる姿につなぎ、
バッターボックスに立つと、
投手に執着せず球場全体を見ている。
だからこそ、彼は一流の野球ができるんだよ」
by. 桜井章一氏
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彼(イチロー)は野球を仕事にしているというよりは、
野球に愛情を持っているのだろう。
日本では、他の競技に比べると少し才能や素質に恵まれたものがプロとなって野球をやり続けてきた。
イチローは言う。
手抜きをして存在できるものが成立することがおかしいと。
他の者よりちょいと素質や力がある程度の者たちが、
普段の生きざまや試合の場において、
手を抜いても成り立ってしまう日本のプロ野球の環境が許せず、
彼は大リーグへ旅立ったのであろう。
by. 桜井章一氏
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その日その時不調の者は、
例えば本来の五〇パーセントでしかない、
その日与えられた力を一〇〇パーセント出して精いっぱい闘う。
そうすることで、
勝者だけでなく不調ゆえ敗者となった者の姿にも、
凄味や美しさが感じ取れるのです。
彼らは会社に勤め、学問を学びながら、
俺の目から見てもとてつもない努力や苦労をして道場で鍛錬の日々を送っているが、強い者ほど努力や苦労の姿を見せず、
楽しそうな面構えをしている。
そうすることで意識を改革し、
さらに強い打ち手に育っていく。
by. 桜井章一氏
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どんなに強者になろうと、
手を抜き心を折り、
厳しさをなくしたところから落ちていくことも彼らは知っている。
少しでも長く強くあるために、
彼らは逃げることを拒絶し、
本戦の闘いの中で互いに尊敬し信頼し合える麻雀を打つために、
競い励まし合っている。
by. 桜井章一氏
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雀鬼会の上のクラスの打ち手の試合は、
一打一局に勝った敗けたと騒ぐことより、
次の一局につなげるために、
リャンシャンテンをイーシャンテンにと、
一歩でも前へ進むことを心がけ、
簡単にはそこで止まったり後へ下がったり、
誰かの後ろへ隠れたりしない。
決して和了を求めて前に進むのではない。
一局一打、ただバットにボールを当てていく気持ちを大切にすることで、
その延長線上に和了があるのだということを、
彼らは肌で教え込まれ、それを体現している。
だからこそ彼らは一歩でも前へ向かって進むことを競い合う。
そうすることで自然に他の者たちよりも早く大きく和了りうる地力を身につけられるようになっている。
by. 桜井章一氏
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相手のリーチや攻撃に対しても、
彼らは自分たちのヒッティングゾーンを狭めるのではなく拡げることで、
どんな相手にもひるまず、
前へ手順を進めていけるのです。
麻雀には読みというものが存在しているらしい。
確かにそれは情報という形で現れてくるのだが、
こんなものにとらわれているようでは、
まだまだ二流か三流であろう。
一流の打ち手は、
情報という他人の作り出しものに、
決して振り回されたりはしない。
なぜならその情報さえ、
不確実な人間が作り出していることを知っているからなのです。
by. 桜井章一氏
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「力を出せば、力は失われる」
「見えるものを追うと、見えなくなる」
by. 桜井章一氏
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麻雀牌と俺の約束を裏切ることは金輪際できないのだ。
あの時、俺は麻雀牌と、
「もう刺激のある場所で刺激のある麻雀は打ちません」と約束した。
by. 桜井章一氏
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[その一]
麻雀卓は相撲の土俵と同じ。
自分の手牌は徳俵とみなしてツモったり切ったりする。
だから動作の中でツモ牌が手牌を超えて外に出たら、
それは「勇み足」となって敗北である。
また卓上は土俵なのだから、
ツモって切る動作も一打一巡を重ねるごとに、
前へ前へともっていく。
相手を土俵の外に寄り切るごとく、
牌さばきには前へ向かっての変化を加えていくべし。
by. 桜井章一氏
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[その二]
牌はツモって切るのではなく、
切ったらツモるという感覚がいい。
勝負は瞬間で決まるのだから、
スピード感覚は絶対必要な要素である。
by. 桜井章一氏
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[その三]
何事もすませておけば間に合う。
先にすませておけば、現実はすでに終わっている。
現実の先に見えぬものが存在している。
by. 桜井章一氏
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[その四]
チーは上家からするという行動、
処置では間に合わない。
チーをする時には対面の打ち出す牌に商店を合わせる。
そうしておけば上家の牌に瞬間的に反応し、
正しく動くことができる。
by. 桜井章一氏
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[その五]
集中力とは全体感の子どもである。
全体が見えなければ子は乱れる。
集中とは一点にとらわれるものではなく、
自分の状態を拡散したものである。
一点にとらわれると逆に縛られ、
身動きが不自由になり変化についていけず、
極度の緊張、頭が真っ白の状態を作り出してしまい、
修正が効かなくなってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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[その六]
時間は気分で異なるものである。
嫌なことや気分が悪いことがあると、
そんな状態の人間には時間は長く感じられる。
そして楽しいことや喜びの時間は短く感じられる。
したがって楽しい麻雀は、
各々の努力と工夫によって時間が短縮された時に生み出されているものだ。
by. 桜井章一氏
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