麻雀の強い者には確実に再生能力や修正力があり、復活してくるものである

■人は八割方悪である -竹書房-

麻雀の強い者には確実に再生能力や修正力があり、復活してくるものである。

「先にすんでいることを間に合うという」
これが、麻雀以外のすべてにおいても大切な要素なのだろう。

まさに人との触れ合いの最高の喜びは、
最良のメンツに恵まれることである。

決して大きな組織だとか能力集団に属することではなく、
よい仲間に囲まれることであると思う。


by. 桜井章一氏

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俺は岩場に降りると岩の先端に立ち、
「楽しみをください、遊んでいただけますか」と海に尋ねる。

そのうえで決して自然をなめることなく、
勇気を持って行動することを自分に誓ってから、
ゆっくりと静かに海に浸かる。

初めて潜る者や海を怖がる者は、
一日かけても成果は上がらない。

俺が麻雀打ちとして現役の頃、
「うそ」「本当かよ」「信じられねえ」といったことがしばしば起きたものだ。


by. 桜井章一氏

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疲れ切った精神を癒やすためには、
ただ気を休めるだけではそれほど効果はない。

楽しいこと好きなことに肉体を使って運動する。
するとその分だけ、精神の疲れがとれている。

「再生」である。

再生することで修正力が生まれ、
復活する。


by. 桜井章一氏

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一見、海と山は別物のように感じられるが、
弱った海を再生させるためには山の木が豊かであることが必要な要素だったのだ。

この逸話から、
共生とバランス感覚の大切さを教えられる。

麻雀の強い者には確実に再生能力や修正力があり、
復活してくるものである。


by. 桜井章一氏

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運に与えられた配牌のよさやツモや手順の進みのよさという優良な資源も、
さほど長くはもたない。

すぐに尽きて、
逆の効果が我が身にふりかかることになる。

人はそれをついていないとかダメだとかいって、
あきらめたり逃げ回ったり、
ただ静観したりする。

そういすることで、
なおいっそう敗けの道を進むことになる。


by. 桜井章一氏

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「人とは矛盾という粘土細工である」。伝説の雀鬼・桜井章一氏が説く、人間の本質と社会構造の真実。答えのない実生活を生き抜くため、そして心を売らずに「自分の流れ」で生きるための哲学とは?矛盾を受け入れ、調和とバランス感覚を大切にすることの重要性を深く洞察します。

だれしも都合のよくない、危ない、
マズいことは起きるものだ。

そう思うと、
その危ないマズい状態からさらに大きく崩れることはなく、
次に打ったボールは危機から脱出するナイスショットとなり、
修正し再生し復活を果たすことができた。

ただ、こんなことも起きるもんよというのは、
何も悪い状況ばかりでなくよい状況でも起こる気持ちなのです。

それがバランス感覚なのかもしれない。


by. 桜井章一氏

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俺の得意分野の麻雀だって、
確かなことはわからない。

というよりそのミステリアスな部分が面白いのだ。

だが確実にいえることは、
俺は麻雀に関しては人に比べて修正力や再生力が強かったのだろう。

だから復活の日々を重ね続けて来られたのだ。


by. 桜井章一氏

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トカゲは切れた尻尾が再生され、
プラナリアという下等動物は身体のどこの部分を切断されても再生が始まって、
それぞれが完全に元の個体に復元するという。

ということは、
俺はトカゲほどではないだろうが、
人間としてはかなり下等な部分に属する生き物なのだろう。

他人には言われたくないが、
雀鬼は下等な動物であることが実証されたのだ。


by. 桜井章一氏

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苦しい状況で「開き直り」と「覚悟」を分けるものは?雀鬼・桜井章一氏が語る、不安や雑用(仕事の基礎)への正しい向き合い方、そして運を掴むための人生哲学を解説します。

人間が心身の健康を損なえば治療を試みる。

麻雀を打っても、
それに近い状況はしばしば起きる。

その損なわれた部分を修正し再生し復活することが雀力だといえるのだ。


by. 桜井章一氏

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人間は必ず、
心身に脆い部分を抱え持っている。

そして身体の回復は目に見えてわかるが、
心の状態は見えにくい。

子どものころに体験した大きなショックは長い間心の中に残り、
大人になってもトラウマとなって存在する。

それほど大きなショックでなくとも、
多かれ少なかれ生きることの中で、
人々はそういう体験をする。


by. 桜井章一氏

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麻雀でも、
振り込みという現象は和了という現象と相対して生まれる。

人によってはそれ(役満)を大きなショックとして実感する。

満貫やハネ満ぐらいの放銃でも、
ショック状態やパニック状態になる人もいるらしい。

トラウマになるほどではないにしろ、
人は多少のショックを受けると、
三〇分くらいは元に戻すことが困難になる。


by. 桜井章一氏

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20年間無敗の雀鬼・桜井章一氏が語る、勝者となるための「忍耐」の哲学。「耐える」ことを楽しみに変え、「受身の忍耐」を「攻めの忍耐」へ転換する極意。勝負強さを培うリスクテイクの条件や、体の全てを使い、心まで柔らかくする「全身の動作」の重要性を説きます。

ということは、
ほとんどの人が一度のショックで三〇分も立ち直れず、
メンタルの回復をできぬまま卓上の闘いをしていることになる。

心のバランスがとれずに不安定なままで麻雀を打っている。

これ(揺れない心)も、
だれしも持つ脆い部分が引き起こす不安定な状態から、
少しでも早くバランス感覚を取り戻すための心構えである。

麻雀は「磨耗する心」との闘いでもあるのです。


by. 桜井章一氏

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俺は道場で雀鬼会の選手たちに対し、
いつも正しく「的を射る」ということを指導している。

麻雀というゲームは、
自分を含めた卓上の四人の方向性を見極めていくゲームである。

そしてたとえ自分の方向は定まったとしても、
麻雀はそれだけで充分というわけにはいかない。

他の三者の方向もしっかりとらえていなければ、
麻雀を打てるとはいえないものなのである。


by. 桜井章一氏

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上の選手が自分より下の選手を見れば、
配牌からの構想や手順の選択など、
諸々の方向性における誤りを容易に見て取ることができるものだ。

それをミスという。

ミスが多いということは、
必然的にしっかりと打てていないということだ。

だからミスの少ないものに比べて敗ける要素が多く含まれているということになる。


by. 桜井章一氏

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