感性を大切にする意識を育て、感じることに信頼をおき、感じる力を増す、流れるままに身を任せる

■人は八割方悪である -竹書房-

感性を大切にする意識を育て、感じることに信頼をおき、感じる力を増す、流れるままに身を任せる

今のような甘っちょろい世の中には、
厳しさが大きく欠けている。

それどころか、
人はできる限り厳しさを近づけないように生きている。

人が本物の厳しさに遭遇したならば、
考えている余裕などないはずだ。

その時は瞬間に行動しなければ間に合わないのである。


by. 桜井章一氏

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世間一般と同様に、
邪悪な者、ずる賢い者、
悪巧みに長けた者たちが勝利するような麻雀を極力避けるためには、
そこに瞬間的な思考と動作を入れ、
厳しさの中に身を置く。

そうしない限り、
悪の要素や姿が現れてしまうのです。

人が進歩や便利さを追求した結果、
今の世では負のエネルギーが正のエネルギーを打ち負かし、
勝利者としてその姿を現している。

そしてだれしも負のエネルギーを持って勝利者たらんとして踏ん張っている。


by. 桜井章一氏

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選抜の選手には厳しい試練が待ち受けている。

その厳しさから逃げることは決して許されず、
知識や情報に頼ったりするな、
頭を使うな、
考えるなとされ、
麻雀と一体化するには感性が必要であると教わる。

相手からリーチが入ったら、
逃げることなくそのリーチに飛び込み、
振り込みに行く世界を知ることが大切である。

リーチや振り込みを恐がっていては、
麻雀というゲームに逆らうのみで、
決して麻雀との一体感を味わうことはできないからである。


by. 桜井章一氏

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「相手のリーチの向こうに自分のリーチが生まれ、
相手の当たり牌の向こうに己れの和了がある」ということだ。

知識や理論は真実をとらえるにはあまりに非力であり、
言い訳を残すか逃げの型にしかならないのです。

麻雀が打てる、強いというのは、
リーチや振り込みを恐れず、
それを突き抜ける力があるということなのです。

「麻雀とは感性なり」


by. 桜井章一氏

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考えすぎている者ほど、
その悩みや病が本人に重くのしかかっているのだ。

感性を充分に含んだ雀鬼流麻雀を導いている以上、
俺自身、麻雀を打つ時は考えを極力削り取って感じるままの麻雀を打つ。

考えを捨て、
感じるままに打てる麻雀は確実に強いのである。


by. 桜井章一氏

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■図解でわかる!「ツキをもってる」人になる方法 夢や希望と同様に運はつかめるものと、 多くの人は思い込んでいるかもしれない。...

感じるままに方向性が決まる俺の麻雀は正着を外さない。

人は一生懸命考えることで正着を外すまいと試みる。
ところがその結果はことごとく逆になってしまう。

そして人は外したことに悩み苦しみ、
さらにまた考える。

それを繰り返すのみである。


by. 桜井章一氏

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俺の実体験では、
感じられる力があって感性を取り戻せた時は、
なんにつけても的を射る能力が高まっている。

自然が与えてくれた、
甦った感性と一体化された俺の麻雀は、
触れ合う牌とも確実に一体化していると感じられる。


by. 桜井章一氏

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雀鬼会では厳しさや約束を大切にしている。
ならばマナーやルールに目を向けるのか。

それも違う。

感性を取り戻すことで人間を取り戻し、
掟を守ることで男を取り戻すのです。


by. 桜井章一氏

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■見えない道の歩き方 -竹書房- 「悩む」ということは、 必ずなにかその元となる根本的な障害があるはずなのです。 樫の...

内側を大切にすることで、
男はいざとなれば面と向かって外敵と闘う。

男なら自らリスクの中に飛び込んだり、
危機を買って出たり、
受けて立たなければならない時もある。

男ならテメエがまいた種、
それを始末するためにはひとつふたつ痛え思いをしても仕方がないことなのに、
それを察すると嫌なんですとくる。


by. 桜井章一氏

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俺が彼ら(弟子)の立場なら、
たとえひとつふたつ殴られたとしても、
上目の俺の前に出て奴らを受けて立つのだが、
彼らは動けなかった。

合理主義にどっぷり浸かった世の中に生まれ育った彼らは、
男としての本能であるはずの「掟」を持ち合わせていないがためなのです。

俺はそのことに淋しさを感じ取った。

男は時として、
不条理や不合理の方へ瞬間に行動することができるものなのです。


by. 桜井章一氏

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「感性を取り戻す」

感性を大切にする意識を育て、
感じることに信頼をおき、
感じる力を増す、
流れるままに身を任せる。

そうすることで現代人がどっぷりと浸り身に染みつかせてしまった、
文明が作り出した後天的な価値観を、
自然の中に生きとし生けるもの本来の姿に戻したり近づけたりすることができる。

つまり感性を取り戻すことになるのだ。


by. 桜井章一氏

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■手離す技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」~ -講談社- 負けが込んでいるような状況でも、 円の感覚を持ち続け...

人間は文明が生んだ余計なものを取り除くことで生きていることを実感し、
シンプルにナチュラルになれる。

かつて俺が現役だった頃、
自ら厳しい状態に身を置くことで五感が研ぎ澄まされ、
文明から得た力ではない存在を感じた経験が何度もある。

しかしその力は何も俺だけに備わっている才能ではなく、
遠い昔の人類なら自然なものとして当たり前に持ち合わせていたはずだと思うのだ。


by. 桜井章一氏

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それぞれの分野で極限に挑戦し続けた人間には、
ほとんどの現代人が忘れてしまった凄まじい体験をした人間がいるのも事実だろう。

そういう領域を一度でも体験すると、
現代文明が作り上げた側からは妄想であり幻想であり虚であるとされる世界の方にこそ、人間としての真実が存在していることがわかる。


by. 桜井章一氏

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今道場で雀鬼会の選手たちが必死で行っている基本動作の鍛錬も、
彼らが現代社会で植えつけられた思考や行動や才能や力といったものを一度すべて破壊させ、
新たな思考や行動を再生する行為である。

そうすることで、
人間の持っていたまっとうな力を取り戻せるようになるのだ。

昔の人間には現代人とは違った力があったような気がする。

そしてその力を取り戻すことで人間が人間を取り戻さなければ、
現代の人間の力のあり方は滅亡する方向に進んでいくしかないように思えてならない。


by. 桜井章一氏

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