私は何事も半信半疑の姿勢でいることが大事だと思っている。迷いは己の真の心を見つめる絶好の機会だ

■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所-

私は何事も半信半疑の姿勢でいることが大事だと思っている。迷いは己の真の心を見つめる絶好の機会だ

そもそも私は、
世間でいう麻雀を否定したくて、
勝ち負け以外のところに価値観を置く雀鬼流麻雀をつくったわけだが、
どんな分野の仕事でも自分の専門をどこかで否定するのは大事なことだと思う。

自分が携わっている専門分野に対して何の疑問ももたずにいれば、
その人はその枠からでることができず、
進歩しないだろう。

否定することではじめて、
「これはおかしい」とか
「ここをこうすればもっとよくなる」と感じたり、
見えたりするものがきっとあるはずなのだ。

もっともこうした自己否定には、
同時に肯定も入っている。

否定しながらも自分をそこで活かしているからだ。


by. 桜井章一氏

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私は麻雀に対する格別な自信などないのである。

「下手すれば命がなくなる」
という大勝負もいくつもやったが、
「いや俺は勝つ」という気持ちの間でいつも揺れていた。

「負けたら死のう」とさえ本気で思っていた。

それこそ高校生を相手に戦うなら絶対に近い自信はもてるだろうが、
世界トップクラスの技量をもっているもの同士となれば、
紙一重の差で勝ったり、
負けたりするわけだから、
揺るぎない自信をもって競技にのぞむなどということは、
まず無理な話なのである。


by. 桜井章一氏

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つまり自信というのは、
どれだけ力があろうと絶対的なものとしてもてるものではないということだ。

相対的なものゆえに、
自信というのは簡単なことで引っくり返る。

自信という感情は、
本質的に脆いものと思っておいたほうがいいのだ。

ところで、
私は何事も半信半疑の姿勢でいることが大事だと思っている。


by. 桜井章一氏

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半分信じて半分疑う。

この世のことはすべて変化していくのだから、
信じるということは本来できない話なのだ。

一〇〇%信じるというのは、
その対象が永遠に変わらないといっているのと同じで、
ありえないことなのだ。

それは自分自身に対してもいえる。


by. 桜井章一氏

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それらが絶対に正しいということは、
私には信じられない。

唯一信じることができるのは、
いまここにいる私だけである。

自信とは自分を信じるということだが、
自分自身にも半信半疑である私からすれば、
自分を信じきっているような人はあまり信用できない。

「この人はホンモノだ」と思えるような仕事をする人は、
おそらく、自分をどこかで信じていないと思う。


by. 桜井章一氏

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信じていないからこそ、
自分の仕事を客観的に見つめることができるし、
いまのレベルを否定して、
それを乗り越えていくことができるのだ。

さらに、
そういう人には他人を信じるという他信もあると思う。

これまで周りの支えがあったことへ感謝するという他信があるから、
「自分一人で努力してきたんだ」
という思い上がりをもたずにすむのである。

自分に対する半信半疑と他信。


by. 桜井章一氏

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そんな感覚をもちながら自分と向き合う人だけが、
誰も歩んだことのない道に入っていけるのである。

「不快」なことを避け「快」を求めるのが人の本性なのだ。

ところが、
知識や思考でがんじがらめになっている現代人は、
本能が十分に目覚めていないために、
本能が求める気持ちよさになかなか手が届かない。

こっちを選ぶと得だとか、
損だとか、
頭で計算して前へ進むより、
感覚が気持ちいいというほうに進んだほうが、
ほんとうは気分よく生きられるはずだ。


by. 桜井章一氏

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感覚が気持ちいいときは、
思考や知識によって感覚が閉じておらず、
それが自然な状態にあるときである。

それは感情をも超えている。

もし自然な感覚に触れようとするならば、
自然な感覚を探すより、
違和感を外すことを意識的にやっていったほうが、
結果的に自然な感覚に近づくことができるだろう。

そんな違和感を覚えるものを避けていくのだ。


by. 桜井章一氏

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そうやって違和感をとっかかりにすると、
感覚が気持ちよくなるゾーンがなんとなくわかってきたりするのだ。

もっとも、
感覚はつかめるものではない。

あくまで触れるものなのだ。

自然な感覚に触れるには、
まず体から余計な力を抜かなければいけない。


by. 桜井章一氏

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力を抜くには体を正直にすることである。

体を正直にするには、
思考や知識にあまり依存しないことだ。

体を正直にしようと思えば、
気持ちを正直にすればいいと考える人がいるかもしれないが、
気持ちをいくら正直にしたところで
「ああしよう」「こうしよう」
と目的意識をもって動く限り、
体は正直にはなれない。

何かに対して強くつかもう、
得ようとすることをやめて、
触れるという気持ちをもつ。


by. 桜井章一氏

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何事にもそんな気持ちで接すれば加減のいいところで力が抜け、
自然な感覚のなかで動くことができる。

それが何よりも気持ちよく生きていくコツなのだ。

後悔する。

これは言い換えれば
「過去をひきずっている」ことである。


by. 桜井章一氏

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私にかんしていえば、
基本的にやりたいことを全部やってきたという思いがあるので、
後悔というものが基本的にない。

「過去を振り返ると悔いの残ることばかりです。
どうすればいいんでしょう?」。

そう悩んでいる人は、
まずこれからの人生、
やりたいなと思ったことは極力やるようにすることだ。

たとえ人からおかしな目で見られそうなことでも気にせず、
多少の障害があってもそれを取り除く努力をし、
やりたいことをしっかり心に留めてやっていくことである。


by. 桜井章一氏

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悔いを残さないためには、
何かを決断するときには慌てることなく、
自分の正直な気持ちに照らし合わせて、
いま一度じっくり見つめてみることも重要だ。

迷いは己の真の心を見つめる絶好の機会だ。

その上で
「たとえうまくいかなくても、
結果が出なくても、
自分の責任で選んだことだから後悔しない」
としっかりといい聞かせ、
実行することだ。

また、自分を等身大でとらえられる人は後悔が少ない。


by. 桜井章一氏

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等身大でいるには、
まず背伸びしないことだ。

背伸びして何かをすれば、
失敗する確率は高い。

力がなければ、
強く求めてもそれがかなえられることはなかなかない。

背伸びすることは結局、
後悔を増やす原因になるのだ。


by. 桜井章一氏

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