■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所-
人から信用される人は、面倒というものが人が生きていく上でとても大事なものであることを、本質的にわかっているのだと思う
自然のもつ圧倒的な力と比べたら、
人なんて弱い存在だなと思いだした。
弱さを埋めて自然に少しでも近づきたい、
そんな気持ちが「強くなりたい」という気持ちに変換されたのだと思う。
だが、それはかなわぬ夢だった。
人の世界において強かろうが、
弱かろうが、
最後はみな自然に還るのだ。
そしてそのことだけは誰も悔いることができないのである。
by. 桜井章一氏
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陽気な人周りの人を陽気な気持ちにさせるし、
陰気な人は反対に周りの人を暗い気持ちにさせる。
体を動かすと不必要な思考がなくなり、
そのため感情の流れもよくなる。
陽気というのは感情の通りがよくなり、
前向きな気持にならないと生まれてこないものだ。
脳みそに皺を寄せて損か得かの計算をしたり、
自分についてあれこれ考えてばかりいては、
陽気さなど生まれようもないだろう。
by. 桜井章一氏
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陽気な人は実際よく動く。
よく動くから視界も広くなって明るくなるのだ。
陽気でない人は、
動くということを積極的に日常の生活に取り入れたらいいと思う。
私は粋というものがとても大事だと思っている。
じつはこの粋と陽気とは密接な関係があるのだ。
粋を私が大事に感じるのは、
人の悪い感情や思考の一切がそこから除かれているからだ。
by. 桜井章一氏
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陽気というのは、
いきいきとした「活き」から生まれてくるもの。
生命に活きがあれば、
体は流れるように動き、
感情は滞ることがない。
そこから生まれる振る舞いは澱みがなく、
優美で「粋」なものとなる。
少なくとも陰気なものから粋は生まれない。
by. 桜井章一氏
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いまの人に陽気さがないということは、
世の中が無粋な人だらけということでもある。
もし粋が身に付いてくれば、
結果的に陽気な雰囲気がそれに伴って出てくると思う。
粋を意識して振る舞うことは、
無粋といえば無粋だが、
無自覚に無粋であり続けるよりは、
よほどいいかもしれない。
人はみな面倒くさいことが嫌いだ。
私だってどうでもいいような面倒はごめんだ。
by. 桜井章一氏
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だが、人類が進歩とやらを遂げたのは、
じつはこの面倒くさいと思う感情が鍵を握っているような気がする。
面倒くさいことを逃れようとして、
人は便利で楽なことを求めてきたのではないか。
人間関係にしても携帯電話やネットの発達によって、
かえってややこしい面倒なトラブルが増えていると聞く。
このように人間は、
面倒くさいことから解放されたいと願いながら、
もっと面倒なことにからめたとられていくようなことを結果的にしているのだと思う。
by. 桜井章一氏
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私は反対に面倒なものに向かっていったほうが、
面倒がなくなるという感覚をもって生きてきた。
「面倒だな」と思いながら、
面倒なものをわざわざ拾いにいくのが私の性分なのだ。
トラブルや困難というものは自分の力量がそこで試されるわけで、
どこかわくわくするような緊張感を私に与えてくれた。
そうやってトラブルや困難なことに慣れていくと、
次にやってくる新しいトラブルや困難が次第に楽に扱えるようになってくる。
by. 桜井章一氏
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つまり、「ああ、面倒だな」という気持ちも薄れていくのだ。
自分の欲にいつもとらわれている人は、
自分の面倒をみることで精一杯である。
それに対して、
自分以外の他というものを考えられる人は、
人の面倒をみることができる。
人の面倒を面倒がらずにみることができる人は、
困っている人がいたら面倒くさいということを何も考えずに、
さっと動いたりする。
by. 桜井章一氏
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そして人から信用される。
そういう人は、
面倒というものが人が生きていく上でとても大事なものであることを、
本質的にわかっているのだと思う。
自分の面倒も他人の面倒も正面からいつも引き受けようとする人は、
人間のキャパも広くなるはずだ。
面倒を面倒くさいといってぞんさいに捨ててしまうのは、
非常にもったいないことなのである。
by. 桜井章一氏
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運というのは、
とらえどころのない不思議なものではけっしてなく、
ふだんのさまざまな心構えや行動の仕方で運が来たり、
来なかったりするだけのものだ。
あくまでしかるべき思考と行動を重ねていれば、
その結果として運が来るのであり、
「運よ来い!」とばかり狙って行動を起こしても、
いい結果は生まれないものである。
ポジティブ思考はたしかにある面、
運をもたらすといえるが、
その一方でじつは運を遠ざける要素も多分に含んでいるものである。
私は積極的に何かを求めたり、
欲したり、期待したりしないので、
ポジティブ思考をもつことは基本的にない。
by. 桜井章一氏
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かといってものごとを暗くとらえたり、
悲観したり、絶望したりすることもないので、
ネガティブ思考の持ち主でもない。
なるべくあるがまま、
自然の流れにまかせて生きていたいと思っているだけだ。
このように、
ポジティブ思考とネガティブ思考のどちらでもないところで考えたり、
感じたりしている私からすれば、
ポジティブ思考の強い人にはかなり無理を感じてしまう。
積極的なプラス思考そのものはいいと思う。
by. 桜井章一氏
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だが、精神が強いマイナスの状態にあると、
ポジティブ思考は不自然な圧力をその人の心にかけることになる。
それがポジティブ思考のネガティブな問題点なのだ。
人の心も天気と同じだ。
明るくなったり、暗くなったり、
喜んだり、悲しんだり、怒ったり、
目まぐるしく変化する。
by. 桜井章一氏
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その変化をそのまま素直に受け入れることが、
じつはもっとも心に負荷をかけないのだ。
だが、ポジティブ思考が強いとプラスの感情だけを受け入れ、
マイナスの感情は排除すべき悪いものというとらえ方をしてしまう。
なぜそんなに痛々しいかというと、
上辺だけの元気を装うと虚しく自分を空回りさせることになるからだ。
実際、ポジティブ思考と暗い気分との間に距離があると、
激しい葛藤が生まれ、
心は知らず知らずのうちに消耗してしまう。
by. 桜井章一氏
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そんな緊張が続くと、
ちょっとしたことで心はポキンと折れてしまったりするのだ。
もしあなたがポジティブ思考を習慣にしているなら、
自分の心の深いところで何が起きているかを精緻に観察するといいと思う。
心が深く沈んでいるときにポジティブ思考をもつのは、
辛くて悲しい現実をみまいとする一種の現実逃避ともいえる。
人間の成長は、
自分の弱さやダメなところを見つめることでなされるものなのに、
過度なポジティブ思考をもつと、
そのチャンスを自ら捨てることになってしまう。
by. 桜井章一氏
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