得ることと失うことは目に見えない大きな円環でつながっているのである

■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所-

得ることと失うことは目に見えない大きな円環でつながっているのである

悲しさに浸ってそこからなかなか出ようとしない人は、
悲しさという感情に寄ってしまっているのかもしれない。

悲しさにずっと浸っていると、
辛くて悲しい反面、
どこかで心地よかったりする。

悲しい感情が自分を純粋な存在にしてくれるようで、
触れるものすべてが繊細に響いてくる。

このように悲しさに酔うと、
悲しい状態から早く抜け出ようという発想が弱くなることがある。


by. 桜井章一氏

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哀しみの感情をいったんおいて、
目の前の現実に打ち込むというのは悲しみから抜け出す方法としては理にかなっている。

仕事でも家事でもやるべきことがある人は幸せなのだ。

悲しみの感情を、
マイナスのものとして考えることがそもそもおかしい。

人が悲しくなるのは当たり前のことで、
それはマイナスとかプラスというレベルではかる対象ではないのだ。


by. 桜井章一氏

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悲しいときは素でその感情を受ければいい。

ふだんから素で生きている人は、
ただ素直に悲しさを感じる。

素直に悲しさを感じることができれば、
人の悲しさをもまた素直に感じ、
思いやることができる。

感情というものは自然に変化していくものだから、
素で悲しさを感じていれば、
ゆがてそれは悲しさ一色ではなくなり、
そこに怒りや喜びなど別の感情が少しずつ混じってくる。


by. 桜井章一氏

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そうやって次第に悲しみの感情は、
別の感情にとってかわられていくはずである。

すなわち、
悲しさを否定して別の感情を無理にもってくる必要は、
まったくないのだ。

悲しいときに素でそれを受けなければ、
その悲しみは自覚のないままいつまでも心の底に残り続けたりする。

そして別の悲しいことがあったときに噴き出したりするのである。


by. 桜井章一氏

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そもそも感情は一か〇かというふうにデジタル的に動くものではない。

二次の赤や青や黄といった色が、
それぞれ互いに混じり合いながら徐々に赤になったり青になったりするのと同じで、悲しみ、喜び、怒り……
と順番に特定の感情だけで心がきっちり覆われることはないのだ。

母が亡くなったときは、
「ごめんなさい」という言葉と、
一生懸命育ててくれて「ありがとう」という気持ちの二つだけが出てきた。

母が与えてくれたものを、
私は全然返すことができなかった……。

そんな思いもあっての「ごめんなさい」と「ありがとう」であった。


by. 桜井章一氏

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■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所- 人から信用される人は、面倒というものが人が生きていく上でとても大事...

深い喪失感というものは簡単に埋まるものではない。

そんなときもやはり、
素直に悲しさを受け入れ、
時間をゆっくりかけて感情が変わっていくのを待つしかないと思う。

ただこういうことは、
薄らいでいくと思っていてもいいかもしれない。

それは「終わり」は「始まり」ということだ。


by. 桜井章一氏

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見方を変えれば「終わり」は、
また新たな「始まり」なのである。

「始まり」は希望の芽を孕んでいる。
「始まり」を意識することは、
希望を感じることでもあるのだ。

何かを喪って暗く沈むことがあっても、
どこかで「始まり」というものをイメージしていれば、
それに相応しい現実がやがてどこからともなく導かれてくるものである。

喪失感について先に少し触れたが、
私はふだんから失うことを練習しておけばいいと思っている。


by. 桜井章一氏

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なぜなら人が歳をとるということは、
さまざまのものを失っていく過程にほかならないからだ。

何よりも人生のもち時間が失われていく。

おそらく得るものより、
失うもののほうが歳をとるにつれて増えていくはずだ。

失うことに対して一つひとつ大きく揺れていては、
人は生きていけないのだ。


by. 桜井章一氏

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そういう意味で、
得たものに対して手離れがよくなるとか、
執着をもたないといったことはとても大事なことだ。

そうのためには「失う練習」をふだんからやっておくといいと思う。

何か執着していたり、
大切にしていたものを失ったとき、
「いま、失う練習をしているんだ」と思うだけでいいのだ。

そういうことを感じたり、
思ったりということを重ねていけば、
その人は次第に手離れ上手な人間になる。


by. 桜井章一氏

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どんなことにも必要以上にとらわれたり、
強く執着することがなくなっていくはずだ。

手離れ上手になることは、
すなわち心軽やかに生きていくコツでもあるのだ。

もっとも、失うものは目に見える形でいつもはっきりしているわけではない。

むしろ気付かいないうちに失っているもののほうが多かったりする。


by. 桜井章一氏

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それに気付くかどうかでその人の生き方は大きく変わってくるだろう。

たとえば何かを得たとする。
そのとき裏では何か失われているものがあると思ったほうがいいのだ。

成功と引き換えに失ったものの大きさを後悔してももう遅いというタイミングで、
やっと気付いたりするのである。

得たときには何かを失っているのであれば、
反対に何かを失ったときには、
得るものもあるということだ。


by. 桜井章一氏

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だから何かを失ったときはけっして失う一方でなく、
反対に何かに気付いたり、
学んだりするチャンスがきたと思っておくといいだろう。

「得る」とか「失う」ということに対し、
多くの人は単純に一方向でそれをとらえがちだ。

だが、実際は得ることと失うことは目に見えない大きな円環でつながっているのである。

喪失感に襲われたときは、
そんな環のなかに喪失感を置いてみるといいと思う。


by. 桜井章一氏

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共感能力の高い人は人の気持ちを察することがすぐにできるので、
人から好かれたり信頼されたりする。

上っ面でない本音付き合える人間関係を築き、
仲間も多い。

反対に共感能力が低い人は自分勝手な行動が多いため、
人からの信頼を得ることもなく、
遠ざけられる存在になりがちだ。

相手のことを想像する習慣をつけることだ。


by. 桜井章一氏

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相手の立場に立ってものごとを考えるのだ。

もう一つは、
「考える」のでなく「感じる」習慣をつけることである。

頭で考える人は、
生き方が合理的になって相手の気持ちに寄りそえなくなるものだ。

たとえば「あの人にこんなことをしてあげても意味がない」とか
「こんなものをあげても仕方ない」と頭で判断して、
気持ちが相手に入っていかないのである。

そんな対応をされれば、
相手も当然その人に対して気持ちがなくなってしまう。


by. 桜井章一氏

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