■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所-
幸せな人生をおくるためには、私たちは好き嫌いの感情にもう少し素直になってもいいのである。奇跡を起こすのは、好きという感情だ
「感動」という感情は、
いきいきとして天然の感情をどれだけもっているかの大きな目安となるものである。
「こういう世の中だから……」
「おもしろいことなんか別にないし……」、
そんな気分が自分で感動をつくる力を削いでしまっている面も否定できない。
動かなければまさに感動は生まれない。
何かを感じ動けば周りの人や組織や社会が動き、
そこからちょっとした感動が生まれてくる。
by. 桜井章一氏
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動くことが感動を生み出す一方で、
反対に動かなくなることにも人は感動したりするということを、
最近になって私は知った。
私が思わぬ感動を得た作品とは、
哲学者ニーチェが鞭打たれる馬のクビを泣きながらかき抱き発狂したという逸話に監督が刺激されてつくった、
『ニーチェの馬』という映画である。
登場するのは、
老人とその娘と駄馬のみで、
際立ったストーリーは何もない。
ただ彼らの単調な日常が、
たんたんと描かれているだけなのだ。
by. 桜井章一氏
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質素な石造りの家のなかで起床し、
着替え、ジャガイモ一つきりの食事をし、
馬の世話をし、
井戸の水を汲み、
就寝するという、
それだけの動作を映画はえんえんと映し出す。
家の外は絶えず激しい風が吹きすさび、
作物も何もない荒れた土地が荒涼と広がっているばかりだ。
腕のない父親が服を着るのを娘が手伝ったり、
ジャガイモを茹でて二人で食べるときも、
父娘の間に会話はない。
始めから終わりまで映画は沈黙と孤独に支配され、
そこから何か新しいものが生まれてくる予兆は何もない。
by. 桜井章一氏
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歳をとった馬は水をあげても飲まず、
最後には動かなくなってしまう。
そのうち井戸の水も涸れ水もなくなる。
明かりをつけるための油もなくなり、
食べるものもわずかなジャガイモがあるだけ。
生きていく上で必要なものはほぼ失い、
あとは命の「最期」があるだけという絶望的な終わり方だ。
by. 桜井章一氏
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父親の最期のセリフは、
娘が食べる気も失せたとき、
「食べなきゃだめだ」
そんな食事シーンで終わっている。
絶望のなかでも、
食べるという生き物の原点を示している。
食べることで絶望を回避する。
いま食べなければ、明日はない。
気力とは本来食べることで湧いてくる。
そう伝えているようで、心に残った。
by. 桜井章一氏
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また、誰しも歳をとるとともにさまざまなものを失い、
最期には一切何ももたず死んでいくという当たり前の事実を、
この映画は示しているようで、
私にとってはひどく感慨深かった。
救いようのない世界ではあるが、
人生において人が力を失い、
終わりを迎えるとはどういうことなのか、
監督はそんなことを描きたかったのだと思う。
「喪失」のテーマは、
人生の真実の姿を穿つものだからこそ、
心が動かされるのだ。
こういう感動も世の中にはあるのである。
by. 桜井章一氏
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たしかに嫌いという感情は、
固定されてしまうと、
対象がもっている可能性に気付けなくなる危険がある。
「いまは嫌いだけど、将来そうではなくなる」
可能性だってあるわけだ。
好き嫌いのうち、
こと嫌いという感情にかんしては、
あまりそれにとらわれないほうがいいのである。
好き嫌いの感情だけで決めるなという人とは反対に、
私は理屈だけで判断しようとする人に対しては、
むしろ「好き嫌いで決めていいよ」というだろう。
by. 桜井章一氏
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好きとか嫌いとかといった感情は非常に強いもので、
人間を直接的に動かすもっとも基本的な感情だ。
それを抑えて、
頭だけでものごとを決めるのは、
人間にとって不自然だと思うからだ。
それに好き嫌いで判断すると間違いが多くなるというのは、
まったく誤ったイメージだと思う。
反対に理性で考えて出した結論は正確なのか、
というとそんなことはまったくない。
by. 桜井章一氏
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むしろ好き嫌いで判断して動いていくほうが圧倒的にいい結果になりやすいと思う。
相手を動かそうとするとき、
理屈だけではなかなか人は動かない。
理屈ではなく、
好き嫌いというシンプルな感情に訴えると、
人はいとも簡単に動いてしまうものだ。
子どものときにもっていた好き嫌いの感情は、
じつは大人になってもその強さは変わらないはずだ。
by. 桜井章一氏
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本音ではみな好き嫌いで動けるものならそうしたいと思っているはずだ。
人はほんとうに好きなものには、
多少の困難や障害があっても近づいていきたくなる。
奇跡を起こしたのは神でもなく、
神への信仰でもなく、
ただ好きという強い感情だったわけだ。
好きという思いは、
生きていくためのこの上なく強い力になるのである。
by. 桜井章一氏
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あなたは好きなことを思いっきりやっているだろうか。
どちらかというと、
好きなことは我慢してやらず、
嫌いなことを無理してやる。
そんな生き方になっている人のほうが、
むしろ多いのではないだろうか。
好き嫌いの感情を抑えて理性で行動をコントロールするのは、
けっして立派なことではない。
by. 桜井章一氏
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幸せな人生をおくるためには、
私たちは好き嫌いの感情にもう少し素直になってもいいのである。
奇跡を起こすのは、
好きという感情だ。
軽蔑というのは、
どういう類の人を軽蔑するかによって、
その人の価値観や考え方や品性といったものが如実に表れる感情である。
卑怯な人、利己的な人、騙す人、人に平気で危害を加える人、
人の自由を奪って平気な人、バカな人……。
by. 桜井章一氏
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私も卑怯な人や自分のことばかり考えている人は軽蔑するが、
最後のバカな人にかんしていえば軽蔑の対象にはならない。
軽蔑しないどころか評価さえしている。
世間では、
損得の計算が得意でお金を稼ぐのが上手だったり、
勉強を要領よくしてエリート街道を歩んでいる人を尊敬したりするのかもしれないが、
私のなかではむしろ、
そういう人のほうが軽蔑の対象になる可能性をもっている。
いろいろな競争に勝って上にいくには卑怯なことをしたり、
人を騙したり、
人の権利を踏みにじったり、
汚いことをけっこうやっているものである。
by. 桜井章一氏
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あるいはそういうことをしないと、
なかなか上にはいけなかったりもするかもしれない。
利口な人間ほど上にいくのであれば、
反対にバカな人というのはどういう存在になるのだろう。
定義は難しいが、
私にとってバカな人というのは、
人を蹴落としてまで上に上がろうという欲やエゴや卑怯さがない。
それに利口ぶろうとしない。
私がバカな人を評価するのはこうした点だ。
by. 桜井章一氏
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