■感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 -PHP研究所-
勝つことだけを求めず、いい戦い方をすることだけを自分に課した。目標や目的だけを追いかけるのではなく、一つひとつの小さな過程に納得いく行動を重ねていった
泣くとすっきりするとよくいうが、
それは泣くことで感情の流れがよくなるからである。
感情の整理ができれば感情の流れがよくなって、
悲しさとは別の感情が入ってきやすくなる。
私は素の感情を大事にしているので、
泣きたいときは人前でも我慢することなく泣いてしまうこともある。
プライドというのは厄介なものだ。
by. 桜井章一氏
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厄介だが、人はみなプライドという自尊心をエンジンにしないと生きていけない。
傲慢で、
いつも威張っているような人の自尊心はわかりやすいが、
非常に謙虚で控え目な感じの人でも自尊心はもっている。
自尊心というものは、
なるべくなら軽くもったほうがいい。
自尊心を重くもつ人は、
自分の人生を生きづらくする。
by. 桜井章一氏
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プライドをどういう方向でもつか、
たとえば自分の際限のない欲を満たすためにそれがあるのか、
あるいは納得いく生き方をするためにあるのか、
その方向が少し違うだけでも、
生きざまは大きく変わってくる。
人は満足ということを目標に仕事をしたり、
ふだんの生活を送っているわけだ。
だが、満足したらそこで終わりというわけではない。
人の欲望には限りがない。
生きている限り、
ここで終わりということがないのである。
by. 桜井章一氏
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欲の量が多いほど葛藤もまた増えるのである。
そんな苦しみを減らすには欲を減らすしかない。
たとえば、生き方の軸足を「満足感を求める」ことに置くのではなく、
「納得感を得る」ことに置くのも一つの解決策だと思う。
私自身、勝負でも生活でも仕事でも、
満足感を求めるのではなく、
納得感を得ることをいつも心がけてきた。
by. 桜井章一氏
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勝負においては勝つことだけを求めず、
いい戦い方をすることだけを自分に課した。
生活や仕事においては、
目標や目的だけを追いかけるのではなく、
一つひとつの小さな過程に納得いく行動を重ねていった。
するとおもしろいことに、
納得感がいつもあれば、
心は「あれが足りない、これが足りない」と何か足りないものに反応したりせず、
いまあるもので足りていることに気付きだすのである。
満足感を求めているとき、
一〇のものを求めて四しかないとすると、
四をよく見ないで足りない六の部分に気がいってしまう。
by. 桜井章一氏
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しかし、納得感をもって生きると、
すでにある四のなかに疎かにしていたものがいろいろあることに気付く。
そして、四を大事にすればそれだけで十分に足りることが分かってきたりするのだ。
満足感は瞬間的に満たされてもすぐ別の不満が頭をもたげるが、
納得感があれば足りていないと思われる状態でも十分足りることに気付く。
満足感を求める生き方は絶え間なく心を不安定な状態にさらすが、
納得感は生きることにたしかな手ごたえを与えてくれる。
by. 桜井章一氏
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平常心は何か特別に大事なもののように思えるが、
なんのことはない、
「平常心でやりたい」というのは
「ふだんと同じ気持ちでやります」
といっているのと同じことである。
力がいい感じで抜ければ、
潜在している力がもっとも発揮できることをみな体で知っているのだ。
だが、平常心は、
意識している段階ですでに平常心ではないのだ。
平常心とはあくまで何も考えず自然な状態にある心のことなのだから、
平常心を意識して平常心を保とうというのは矛盾したことなのである。
by. 桜井章一氏
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これは焦りの感情とは対極にある。
焦れば焦るほど”常の心”は遠ざかる。
本番で平常心を保つことが難しいのは、
意識して何かをしようとすれば、
必ず力が入るからである。
ほとんどの人は、
ふだんから仕事でも生活でもなんでも力を込めてやることが習慣になっているので、
力を入れることは簡単にできるが、
抜くことは慣れていないので、
そうそう容易くはできないのである。
平常心とは「常の心」である。
by. 桜井章一氏
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本番も「常の心」でのぞむことができれば、
本番というものは存在しなくなる。
では、本番で力まないようにするにはどうすればいいのだろうか。
それにはまず、
納得のいく練習や準備をちゃんとすることが大前提となる。
満足のいく練習ではなく、
納得のいく練習をしっかり重ねていれば、
本番だからといって、
そう心が強く揺れることはないはずだ。
by. 桜井章一氏
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あとは勝とうという欲にあまりとらわれないことだろうか。
相手と競争するというより、
あくまでいい勝負をつくるということに気持ちの軸を置くことだ。
心の強張りはそんなところからほどけていくはずだ。
平常心とは字の通り、
「心が平らかで落ち着いている状態」である。
by. 桜井章一氏
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心が低体温症になってしまったのは、
やはり経済最優先の環境のなかでみな生きているせいであろう。
経済的な価値観が強いと、
人間の思考や行動パターンは非常に合理主義的、
効率主義的なものになっていく。
「あいつは冷たいな」と感じさせる人は、
たいてい合理的な計算を頭のなかで絶えずしている人である。
熱血漢というのはあまり信じないほうがいいのである。
by. 桜井章一氏
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一番いい心の温度とは、
熱くもなく冷たくもない適度な温度をもっていることである。
「心温かきは万能なり」ということを私はよくいうが、
適度な温かさをもった心というのは力をもっている。
心が適温をもっているときは、
気持ちが落ち着いて心地いい。
感情は水のように柔らかく流れているのが理想だ。
by. 桜井章一氏
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柔らかく流れている感情は、
心が何ものにもとらわれていない状態にあるからだ。
夜空を照らす月が流れてゆく雲にかかって姿が隠れたり見えたりするように、
喜びや悲しみといったさまざまな感情が澱みなく、
現れては消えていくのが自然な感情の姿だ。
心にも強張りがあるほど感情の流れが悪くなる。
ところが、心の強張りを完全に取り除くのは、
体から完全に力を抜くのが難しいように、
そうそうできるものではない。
by. 桜井章一氏
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心の強張りは、
いうまでもなく心が何かにとらわれることから生じる。
とくに何か強い感情が支配しているときは、
心が思いっきり強張っている状態になってしまう。
牌を柔らかく打とうと心が構えると、
その構えが心の強張りになって今度は体に反映されるのである。
仮に意識の上で構えがなくなっても、
人間は無意識のレベルで構えていることが多い。
無意識のレベルで構えている人は、
その構えをなくすことが非常に難しい。
by. 桜井章一氏
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