緊張感や、心の揺れや、欲をなくそうとするのではなく、それらを楽しめる、それらに負けない人間になればいい

■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-

緊張感や、心の揺れや、欲をなくそうとするのではなく、それらを楽しめる、それらに負けない人間になればいい

それから一〇日たって、また王は名人に催促しました。
でも彼はうんといいません。

「まだいけません。
ほかの鶏の姿を見たり、
鳴き声を聞いたりしますと興奮して、
まだそれに向かっていきます」

一〇日たって、王はまた催促しました。
名人はまだ許しません。

「まだです。
傲然と構えていて、
血気盛んでいけません」

相手をにらみつけて気勢を張るから、
まだまだだというのです。


by. 桜井章一氏

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一〇日たって、
王が重ねて催促したとき、
彼はやっと承知しました。

「まあ、よいでしょう。
もうほかの鶏の鳴き声を聞いても平気です。
ちょっと見ると、
まるで木で作った鶏としか見えません。
徳が充実したのです。
これでどんな鶏がやってきても、
天下無敵です」

ほかの鶏で、
立ち向かってくるようなものはなく、
背を向けて逃げてしまいますよと、
名人は答えたのです。


by. 桜井章一氏

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このとき、安岡(正篤)はこう付け加えたそうです。

「戦いというものはこうでなければいけない。
徳が充実してくれば、
戦わずして勝つ、
つまり相手を飲み込んでしまうことが起こるものです」

「木鶏」の話を簡単に要約すると、
真に徳を持った闘鶏は、
敵を前にしてもあわてず騒がず木彫の鶏のようだ、
という意味になります。

以来双葉山は、
「勝っておごらず、負けて腐らず、何があっても動じない心」、
つまり「木鶏」の境地を目指したのだそうです。


by. 桜井章一氏

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連勝中、いつも双葉山の心の中にあったのは、
勝敗のことではなく、
「木鶏」の話だったというわけです。

六歳の頃の怪我が元で右目はほとんど見えず、
また少年時代に船で働いていたときの事故で、
右手の小指の先が一部欠けてしまったのだそうで、
そうしたハンディがあったにもかかわらず、
前代未聞の六九連勝を成し遂げていたのです。

引退して一〇年たってから、
これら自らの弱点を明かしたそうですが、
片目では、
相手のすばやい動きをとらえるのに大変苦労したでしょうし、
小指は、
相手のまわしを下から掴むのに大変な役割を果たす指です。


by. 桜井章一氏

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「力でとる相撲、勢いだけの相撲は、本物じゃない。
窮地の態勢からでも挽回できる心の強さ、
すなわち相撲道の目指すところはの充実なり」

というのが、
双葉山の相撲哲学だったということです。

人間、ムキになればもろいものです。
心の乱れが起こってくる。

その壁を乗り越えると、
さきざき疲れも関係ない、
悪い要素を全部取り出した、
いわゆる「木鶏」になれるのです。


by. 桜井章一氏

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■運を支配する -幻冬舎新書- 劣勢とはそんな可能性をいくらでも 孕んでいるものだと思っていたので、 焦ってピンチと感じる...

そこに、「無(真ん中の状態)」というものがある。

「無」の状態になれば、
相手が和了ろうが和了るまいが、
そんなことはもうどうでもいい。

そういう経験をすることで、
「無」の世界に行ったときに、
凄い自分の力が出てくるというのがわかってくる。

知識で、頭で得たら、
すぐにやってみて身につける。

そうすれば身体から離れなくなるのです。


by. 桜井章一氏

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麻雀は、人と人との戦いですが、
私は他者には惑わされません。

麻雀だけを見つめていればいい。

人を見てしまうから動揺や恐れが生まれ、
悪い結果に陥ってしまう。

ですが、ほとんどの人は、
対戦相手を見てしまう。


by. 桜井章一氏

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たとえば「アイツ強いからなあ」と、
人を見てしまうと、
麻雀との戦いではなく、
人との戦いになってしまう。

それは、
みなさんが知識の中で打ってしまっているからなのです。

だれが相手であろうが、
人が見ていようがいまいが、
己の姿勢を崩さない心を普段から持ち続けなければならないのです。


by. 桜井章一氏

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■運を支配する -幻冬舎新書- 人の生の感情というのは、 理性で都合よくコントロールできるものではない。 そこを無理に...

欲も、緊張感も、心の揺れも、
人間に与えられたものです。

あって困るものではなく、
むしろないと困るものです。

ありすぎるからいけない。
つまり、心は揺れて当然です。

緊張感や、心の揺れや、
欲をなくそうとするのではなく、
それらを楽しめる、
それらに負けない人間になればいい。


by. 桜井章一氏

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揺れない心を作るためには、
これまでの雀風、麻雀観、蓄積された知識、
身に染みついた常識を大幅に改革しなければならない。

揺れない心というのは、
恐怖心を押さえ込んで、
力技に徹する、
というのではなくて、
端的にいえば、
心理的バランスを保つということ。

そのためには、
恐怖心を抱え込んだまま、
打っていかなければならない。


by. 桜井章一氏

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私は麻雀人生において、
「感じる」ということを自分の指針として方向づけしてきました。

感じるということは、
「見えないものを見る」ということにも通じてきます。

世界一の武道家、
柔術のヒクソン・グレイシーはこう語っています。


by. 桜井章一氏

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■勝負の格言 -宝島SUGOI文庫- どんな勝負でもこの円の感覚を持てるかどうかで差が出ます。 円は真理の形です。 ...

「だれでも皆、外見を見て人を判断してしまうだろう。

いい外車に乗っていたら金持ちと思うし、
大きな身体をしていたら強そうに思う。

顔に皺があったら年寄りだと思うはずだ。
でも私には外見は関係ないんだ。

問題は内面だと思う。

たとえば私の父は、今年八三歳になるけれど、
ビーチにも行くし何でもできる。

若者と同じ感覚を持っている。
時間にとらわれなければ『今』を生きることができる。

それが私の哲学なんだ。

もちろん、
私が簡単に相手の内面が見られるというわけではないよ。

でも私は、
見ただけで相手をジャッジしないようにしている。

目に見えるものにとらわれない。

信じるものは、
心に感じられたものだけだ」


by. ヒクソン・グレイシー氏

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私の場合、
麻雀を打っている人のその後の勝負のプロセスや結果までわかってしまいます。

また、自分が麻雀大会に参加したときなど、
「今回は一六位になるよ」
「今日は三位になるよ」
と開始前に宣言しておいて、
そのとおりの順位で終わることができるのです。

いずれの場合もそれぞれの卓の雰囲気が見えてくるから、
そんなことが可能なのです。


by. 桜井章一氏

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もちろん目には見えない。

が、相手の心の動きが見えるといいますか、
感じられる。

一生懸命に集中して見るということは、
執着を強めることともいえるわけで、
執着すると対象の中に入り込んで見えなくなることもあるでしょうから、
逆にそれからスーッと引いた感覚で見ているのです。

心でいえば、頑張ってるんだ、
という意識が消えた真の頑張りの状態のとき、
身体でいえば力みを抜いた状態のときに、
感じられる。


by. 桜井章一氏

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