■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-
終わってから、分析したり、解析したりしてみても、見極める力なんてつかない。また、同じ誤ちをくり返す
両親の身体を借りてこの世に生を得ただけのことで、
親のいいなりになってしまっては、
自分を失ってしまう。
本当の素直というのは、
良い悪いをきちんとわきまえて、
悪いことは悪いと、
自分の気持ちに忠実にはねつけられることです。
自分の心が本当に素直になれば、
悪いことをはねつけられるようになる。
素直ということを、
まっすぐというふうに言い換えてもいい。
by. 桜井章一氏
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親に、大人に、
聞く耳があろうがなかろうが、
殴られようが、
納得がいかないことに対しては、
主張していかなければならない。
すべて親のいうことを聞いているということは、
親に魂を売ってることです。
理科や科学の実験のように、
というのは「教え」であり、
それは必要なことです。
しかし、というのは、
「要求」なんです。
ですから、そこにはストレスが生じる。
by. 桜井章一氏
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換言すれば、世間の親は、
というかたちで、
不安感や恐怖感を子どもに植えつけている。
それは子どもを恐喝していることです。
そういう親に育てられた子は、
始終親の顔色を見ている。
そのままでは、
人の顔色を見て生きていく人間になってしまう。
by. 桜井章一氏
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親も世間で生きているし、
世間そのものです。
親は、子にとっては世間です。
その世間の生きざまを作ったのは、
人間の心です。
私は、
せめて麻雀の世界だけでもその悪い世間と離れた、
いいものにしてやろうとしています。
by. 桜井章一氏
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(いいなりにならない)そのためには、
ものごとをよく見るということです。
「信じる」という言葉がありますが、
私にいわせれば、その逆で、
信じないほうがいい。
「疑うこと」
換言すれば、
「確認すること」からものごとは始まる。
by. 桜井章一氏
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信じることではない。
信じ難いために、疑う、つまり確認するのです。
人を信じたいから、
自分の心で納得したいから、
人を愛したいから、
石橋を叩くのです。
「石橋を叩いて渡れ」は、
私の好きな言葉です。
by. 桜井章一氏
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普通の人は、
石橋を叩いて結局渡らない。
ですが、人は、
石橋を渡りたいために、
石橋を叩くのです。
渡るという目標を持っている。
それと同じで、
人を信じたいけれど、
信じ難いがために、
まず疑うところから入るのです。
by. 桜井章一氏
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ゲーテは、
あるがままのものをあるがままに見る術を身につけていたと聞いていますが、
ものごとを正しく評価し、
あるがままに見ることは至難の技です。
私は、疑うことで、
普通の人よりもよりよく見るということを可能にし、
見極める目というものを養ってきた。
良否の見極めの原点は、
疑うことにあるのです。
by. 桜井章一氏
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疑って、ちゃんと見る、
石橋を叩くのは自分です。
信じるということ、
愛するということも、
全部自分で叩いてみて判断を下す。
あるがままのものを見る能力を培うことで、
どんなときにでも、
自分で叩いたうえで、
先に進むための行動を起こすようになれるのです。
疑ってちゃんとものごとを見ることが、
いいなりにならないことに通じますが、
「叩く」ということを、
さらに換言すれば、
自分なりに感じるということに通じます。
by. 桜井章一氏
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心と身体のすべてで感じなければならない。
ものごとすべて、
そういう考え方から、
疑う能力、
すなわち、見極める力、
見通す力を身につけていく。
終わってから、
分析したり、
解析したりしてみても、
見極める力なんてつかない。
また、同じ誤ちをくり返す。
by. 桜井章一氏
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断っておきますが、
疑う能力というのは、
猜疑心とは違います。
疑う能力、
見極める力が強いからこそ、
内面の隠された部分も取り出すことができる。
疑う能力、
見極める力が強くない人というのは、
人任せになったり、
流されたりで、
人の意見に抵抗できない、
上の者にいつも追従する人間になってしまうわけです。
疑う能力を持つことで、
確信能力やチェック能力、
納得感が生じてくるのです。
by. 桜井章一氏
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他人のいいなりになって生き続けていれば、
欲求不満になってしまうのです。
一方、自分の考えを押しつけることを、
愛とか思いやりと思っている人がいっぱいいる。
あるいは、
我慢すること、
耐えることが、
思いやりであり、
優しさだと思い込んでしまっている。
我慢も、
他人から我慢しなさいといわれてやるものではない、
自分が見つけた我慢ならいい。
by. 桜井章一氏
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ですがたいていは、
人の目が、
世間体があるから我慢するとか、
世間から褒美がもらえるから我慢する、
になってしまう。
一般に、
親のいうことを聞くことは親孝行だ、
と世間では思っている。
が、
自分は正しいと言い切れる生きざまをしている親が、
はたしているのでしょうか。
親とは大人であり、
大人がつくった世界はおわかりのように、
これだけ悪いんですよ。
by. 桜井章一氏
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世の中が悪いということは、
世の中を作っている大人が悪いということです。
ということは、
私たちが悪いということです。
その悪い親のいうことを全部聞いたら、
人間の歴史は悪いことの繰り返しになるだけです。
(たいていの親は、)その五〇点の生きざまに、
自分たちが納得していないから、
欲求不満がつのって、
子どもたちに八〇点、九〇点を取らせようとする。
by. 桜井章一氏
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