■20年間無敗の雀鬼が明かす 「勝負哲学」 -三笠書房-
自分が強い人間であるために、自分の中にしっかりと根を生やすように根性を持っていればいいのだ。人に見せるのは「花」。それは何の役にも立たない
根が植物の命の根幹であるのと同じように、
人間にとって、男にとって、
根性というのは生きる根幹なのだ。
根っこは土の中にある。
表に出て見えるものではない。
生きる力を地面の下からしっかりと支えている。
人間の根性も、
決して表に出して見せるようなものではない。
by. 桜井章一氏
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自分が強い人間であるために、
自分の中にしっかりと根を生やすように根性を持っていればいいのだ。
人に見せるのは「花」。
それは何の役にも立たない。
根性は根っこ。
自分を支えるだけでなく、
周りの人間も育てていこう、
助けていこうという心もまた根性の中にあるものなのだ。
by. 桜井章一氏
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スポーツでいえば、
どんなに優れた科学トレーニングを消化しても、
その選手に根性がなければそのトレーニングは役に立たない。
根がないところに木や草が生えないように、
根性がないところに強い人間は育たない。
運がいい人、
ツキがある人というのは、
いつもニコニコしている。
運が悪い人、
ツキがない人というのは、
いつもムスッとしている。
by. 桜井章一氏
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これは、運がよくて楽しいからそういう顔をしていて、
運が悪くて不幸だからそういう顔をしているのか。
それとも、いつもハッピーで前向きに生きているから運がついてきて、
いつも不平不満を言って悲観的に生きているから運に見離されているのか。
長く勝負の裏表を見て、
運がある人間とない人間を見てきた私の実感から言えば、
明らかに答えは後者であろう。
人は明るく楽しく生きようとしていれば運も向いてくるし、
明るく楽しい人生にできる。
by. 桜井章一氏
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私は、どんなにいやなことがあっても、
それを楽しむことで乗り越えてきたし、
人を楽しませ、
自分も楽しく生きることが人生の意味だと思っている。
なんでもかんでも批判したり、
マイナス要素をあげつらって語る人が多くなっている。
これでは、チャンスがきたとき、
それに乗っていけない。
巡ってきたチャンスに同化しやすい人というのは、
いつも楽しい気分を失わず、
自分が生きていることに感謝し、
幸せを感じられる人なのだ。
by. 桜井章一氏
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どんなに小さなことでもいい。
目の前にあることや、
自分の置かれた状況を素直に喜べる人は、
いつかかならず運が巡ってくる。
人はどうすればハッピーになれるか―――
不安を減らすこと。
ハッピーを損なうような不安を取り除いていけば、
そこにはハッピーだけが残る。
by. 桜井章一氏
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自分の不安を消していく努力をすることによって、
結果的にハッピーになれるのだ。
もっと自分に自信を持ちたいというとき、
「自信が欲しい」「どうすれば自信が持てるか」と、
自信そのものを求めるのではなく、
不安を消していけば、その結果、
自信のある自分がそこに残る。
不安こそが、自信を損ない幸せを損なう最大の要素なのである。
by. 桜井章一氏
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自分の不安とは何か。
自分はいったい何に不安を感じているのか、
すべての解決の糸口はそこにあるといっても過言ではない。
強い人間というのは、
かならず「恥の心」を持っている。
「強くなるためには、お金に近づかない」
という鉄則を知ったのである。
お金は便利なものだとは思う。
いまの世の中は、
飽くなき便利を追求している社会だが、
際限なく便利を求めることによって、
逆に大事なものを失っているのだ。
by. 桜井章一氏
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けれども、お金で次々と便利なものを買い求めようとしているうちに、
人間と人間の間にも「便利」という概念がどんどん入り込んでしまっている。
人々の価値基準は
「あの人と付き合っておくと便利だ」とか
「この人を恋人にすると便利だ」
というところに主眼が置かれ、結局、
人を判断する基準が
「自分にとって利用できる人間か」
ということになってしまっている。
人に対して本来抱くべき大切心がそこにはない。
「便利」と「利用」は本来的な人間の「愛」や「心」からもっとも遠いものだ。
by. 桜井章一氏
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人間と人間の付き合いの中に利害関係が入り込むと、
その関係はどんどん愛と離れたものになっていく。
どんなに愛情で結ばれた関係であっても、
そこに利害や金が絡むと、
愛とか人間らしさとか言っていられない状況が増えていく。
けれども、でき得る限り、
そうしたもの(便利なもの)と距離をおかなければ、
逆に愛や人間らしさから離れてしまう。
だからこそ、私は
「便利と利用」の中核をなしている「お金」
には近づこうとしない。
by. 桜井章一氏
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お金は間に合う程度あれば、それでいい。
間に合っているのに「もっと、もっと」
と思うから心がなくなる。
再現のない欲望のままに、
いつもお金を追い求めているような人間が強くなれるわけがないのだ。
by. 桜井章一氏
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それは「変わろう」とする前に、
「なぜ、今、こうなってしまったのか」
ということに、
まだ気がついていないからだ。
なぜこうなってしまったのか。
それはひと言で言えば、
いままでずっと幻想を追いかけてきたからだ。
リーダーたちは幻想を抱いている人たちの上に乗っかって幻想を高々と謳いあげ、
言っているほうも聞いているほうも、
それで満足していたのだ。
by. 桜井章一氏
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みんなして幻想をつくりあげていたから、
それがあたかも実在しているかのごとく錯覚していたわけだ。
では、どうしてそんなことになってしまったのか。
それは、みんなが「花」を求めすぎたからである。
花は美しい。
だが、花もまた幻想でしかない。
by. 桜井章一氏
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花は人々の心を明るくしてくれる。
「花は、いいね」と誰もが言う。
しかし、花は実質的には役に立たないのだ。
どんなに人目をひこうが、
それをどんなにうっとりして見ようが、
ただそれだけ。
その後には何も残らない。
by. 桜井章一氏
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