だいたい力関係ですでに上にいるのに、その立場の人間がさらに圧力をかけて何かをさせようとするというのは本来きれいな行為ではありません。大人と子どもの価値観はまったく違います

■「育てない」から上手くいく -講談社-

だいたい力関係ですでに上にいるのに、その立場の人間がさらに圧力をかけて何かをさせようとするというのは本来きれいな行為ではありません。大人と子どもの価値観はまったく違います

教育やしつけというものは基本的に子どもに圧力をかけるものです。

だいたい力関係ですでに上にいるのに、
その立場の人間がさらに圧力をかけて何かをさせようとするというのは本来きれいな行為ではありません。

たとえば「俺が父親なんだからおまえは言うことを聞け」
「俺が働いているんだから文句を言うな」。

あるいは「もうご飯つくってあげないからね」
「言うこと聞かないなら、あんたのことは何もしてあげない」とか、
いろんな言葉で親は圧力をかけます。


by. 桜井章一氏

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それに負けて子どもが「ごめんなさい」
と泣いたりして、
言うことを聞いたとしても、
子どもは本心から納得しているわけではありません。

親が力で押さえ付けようとするのは、
自分にどこか自信がないからです。

人工的な圧力は子どもの心に不自然な負荷をかけ、
それが強すぎると心をいびつにします。

たとえば、大きな木が一本でんとそびえていたり、
大海原で波がうねっているのを目の当たりにしたら、
圧倒的な存在の圧力を自然に感じますよね。


by. 桜井章一氏

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この力は人間の教育のようにテクニックで演出できるものではありません。

こんな自然と同じような圧力を親は子どもに対して持てればいいんだと思います。

ふだんはあくまで力をかけるんじゃなく、
むしろ抜くような感覚で彼らに接しています。

力まず存在感をただポンと出しておけば、
周りは勝手に何かを感じてくれるものです。


by. 桜井章一氏

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自然な圧力は相手に抵抗させません。
素直に相手の中にすっと入っていけます。

親の存在感というのもこれと同じです。

力を込めて相手をなんとかしようとしなくても、
親というのは自然にしているだけで十分に存在の力を子どもに感じさせるものなのです。

放任というのは無視に近いものがあるからです。


by. 桜井章一氏

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「放る」というのは、
放っても子どもの目に見えない大きな囲みを周りにつくっておいてあげることです。

そうすると成長していろいろ悩んだり、
辛い思いをしても、
「戻れる場所がある」
という感覚を持つことができます。

子どもが「ここにいれば安心だ」
と思えるのは、
あれこれ口を出さないけど、
ちゃんと見ている人がいることを知っていればこそです。

それにはまず子どものやっていることを無視せず、
しかも止めたりせず、
ずっと目を離さずに放っておくことです。


by. 桜井章一氏

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けれども赤ん坊の動きはでたらめに見えて、
ひとつひとつに意味があります。

たとえば、赤ん坊は決して抱かれたくない人のところへ行きません。

何か嫌な気配があると止まり、
自分にとって違和感のないところへ行きます。

「危ないからいけません」
と赤ん坊の行動をさえぎる前に、
その先に何があって、
どういう興味を持っているのか、
観察してみてください。


by. 桜井章一氏

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本当に止めさせなくてはいけないことは、
命に関わることだけです。

いたずらに過敏に反応することなく子どもを放っておくには、
大人のほうに十分な注意と観察が必要です。

ちゃんと見ていれば、
一見とりとめもない行動の中で、
その子の性分が見えてきます。

そういうものを把握しといた上で、
子どもはどんどん「放る」といいと思います。


by. 桜井章一氏

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本来、作物には旬というものがあります。

盛りを迎える時節があり、
収穫するにはそれなりの時間が必要です。

それを無視して、
早く育てとやたら水をいっぱいかけても根が腐ってしまいます。

子どもと接するのもそれと同じでそのときどきの旬のようなものがあります。


by. 桜井章一氏

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■勝負の格言 -宝島SUGOI文庫- その時に勝負所を越えようとする ぎりぎりの力が出てくるのです。 火事場の...

それを一歳のときに「ダメ」
と言ったところで、
当然、なぜ怒られないといけないのかわからなかったでしょうし、
自分のやったことに対する意味も考えなかったでしょう。

大人と子どもの価値観はまったく違います。

子どもは何よりもすくすくと伸びやかに育ってくれたらそれでいい。

大人ができるのは、
それが邪魔されたり損なわれたりしないようにと見守ってあげるだけです。


by. 桜井章一氏

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先回りしていろいろと教えたり、
叱ったりするのではなく、
時期が来たら必要なことを言えばいいだけです。

しかし、知識や情報はどれだけ最新のものでも、
すでに起きてしまったことです。

それらはすべて過去のことで、
本質的には古びています。

新しいことは、
常に現場で起きています。


by. 桜井章一氏

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だから、私は知識や情報ではなく、
現場を直接肌身で感じ、
必要なことを判断するのです。

でも、私にとっては、
そういう出世(減から離れ、戦略を練る立場)は人間的に鈍感になっていくと思うのです。

言葉や知識をたくさん知れば、
現実を把握することができるという幻想を多くの人は持っているかもしれません。

しかし、本当に実際のことが起きているのは、
いつも「現場」です。


by. 桜井章一氏

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そこに絶えず触れていれば、
瞬間力やひらめき、
臨機応変さというような、
生き物として人間が本来持っている力を最大限に発揮できます。

情報や知識にもとづく政治やビジネス上の戦略や合理性は、
あくまで利益を手に入れるためにあります。

しかし親は子どもを育てる上で、
そんなものは必要以上には持たないほうがいい。

それよりも現場を大事にし、
現場感覚を持っていることの大切さを胸に言い聞かせて体を動かすことが必要ではないでしょうか。


by. 桜井章一氏

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私はよく母親に
「ろくに頭の上の蝿も追えないくせに」
と言われて育ちました。

蝿とは自分の頭の中にあるダメなもの、
汚いものです。

本当の学びとは、
相手から無言のうちに何かを汲み取り、
自分で気づきを得ることなのかもしれません。

母が私にしてくれたのは、
まさにこうした「教えないという教え」
だったんだと思います。


by. 桜井章一氏

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しかし、私は、
子どもは疑わず丸ごと信じるべきだとは思いません。

信じていながら同時に疑うことも必要なのです。

子どもをひたすら信じて、
疑わずにいると、
子どもが発する危険な信号をつい見落としたりします。

こうした
「あれ?この子の動きがいつもと少し違う」
といった気づきは、
「疑う」という感覚をどこかにいつも持っていないと見えてきません。


by. 桜井章一氏

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