■「育てない」から上手くいく -講談社-
私が「よく聞かないほうがいい」と言っているのは、「耳だけで聞くな」という意味なのです。何よりも五感で感じている状態がいちばんものごとの理解につながっていくはずなのです
そういう無理な背伸びをするよりも、
子どもが振り返ったときに、
「よく考えたら、うちの親は理解があったな」
と思われるくらいがちょうどいいんだと思います。
でも、社会的に尊敬されているという人を見てみると、
たいがいほんとうに尊敬に値するのかなという気持ちになることが多いのです。
あくまで、何か立派なことをしたから尊敬されるというよりも、
ただ一緒にいるだけで楽しいと思われるほうが私はうれしいのです。
結局は「自分のためにしていることだろう」
と思うからです。
by. 桜井章一氏
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「おまえのため」という言葉は、
「自分が犠牲になっている」
という思いがあるほど強い調子になると思います。
「自分が苦労している」
という思いが強ければ強いほど、
簡単に「おまえのための苦労」が
「おまえのせいで苦労している」
にすり替わってしまいます。
私の場合、子どもたちが何をしようと頭にこなかったのは、
「俺が反対に子どもたちに世話になっている」
という思いがあったからです。
つまり「この子たちがいるおかげで俺が生きられる」
という感謝の気持ちがいつもあったからです。
by. 桜井章一氏
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親は子どもに「おまえのため」
と吐いたとき、
そのことによって結局は自分の足をすくっていることに気づくべきではないでしょうか。
しかし、私はむしろ親や教師の言うことは
「よく聞かないほうがいい」
と思っています。
人間の感覚は五感でできています。
しかし、「聞く」ことだけが教育の中で際立って重要視されているところがあります。
by. 桜井章一氏
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つまり、私が「よく聞かないほうがいい」
と言っているのは、
「耳だけで聞くな」
という意味なのです。
言って聞かせれば、
子どもは本当に理解したことになるのでしょうか。
相手の話を聞くということにおいては、
ただ「聞く」という姿勢では漏れてしまうものが実はたくさんあるのです。
すなわち、相手の話を本当によく理解するには、
頭で「聞く」という姿勢だけでは足りなくなる。
by. 桜井章一氏
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実際にその必要がなくても、
見る、触れるといろいろな感覚を使っているような気持ちで相手を受け入れて、
初めて本当の「聞く」になるのです。
だから親は「ちゃんと聞きなさい」
と子どもに言う前に、
子どもの五感がいつもよく働くような工夫をするべきなのです。
頭だけで相手の話を聞いていると、
いつも浅い理解だけで終わってしまいます。
何よりも五感で感じている状態がいちばんものごとの理解につながっていくはずなのです。
by. 桜井章一氏
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子どもの世界は「なぜ?」の連続です。
大人はちゃんと答えようとするあまり極力、
正確な知識で応えようとします。
しかし、必要なのは、
そういう正しい答えではないと思います。
ですから、大人は知らないなりに、
子どもが情感のレベルで
「ふ~ん、そうなんだ」
と納得したり、
合点がいく答え方をしてあげればいい。
by. 桜井章一氏
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子どもが求めているのは、
たんに正しい知識だけではないのです。
知識や情報だけなら、たとえば、
お父さんが子どもに聞かれたことをネットで検索して調べれば、
すぐに出てくるかもしれません。
子どもは質問をしながら、
自分たちが生きている世界がどういうところなのか、
大人の返す「答え」によって感覚的に触れたいという思いが根底にあるんだと思います。
では「それはわかんないよ」
で話が終わりかというと、
そうではありません。
by. 桜井章一氏
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「それは何なの?」
と逆に聞いてみる。
すると、孫は自分が質問したことですから、
うれしそうにいろいろしゃべります。
ふたりの間でそうやって話を展開していくことのほうが、
正しい知識を一方的に教えるより大切なことがあると思います。
すなわち質問とは「答え」を期待して発するという以前に、
相手とのコミュニケーションをはかるきっかけとして使われるものなのです。
by. 桜井章一氏
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子どもの「なぜ?」という質問には、
正確な「答え」は必要ではないのです。
子どもの中に好奇心が湧き、
わくわくした気持ちになるような「答え方」
がなされればそれで十分だと思います。
それはさらに新しい問いを子どもの中で育てるきっかけにもなりえます。
そんな連続性こそが大事なのです。
by. 桜井章一氏
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しかし、人工の物ばかりと接していると人間の情操というのはちゃんと育まれません。
ですから、人がつくっていないもの、
すなわち自然と接することは、
人間としての土台をつくる上で欠かせないことなのです。
自然はきれいなだけのものではありません。
自然は人間の理性など及ばない圧倒的に厳しく、
怖いものでもあります。
by. 桜井章一氏
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山に深くわけ入ったり、
海の中に入っていったり自然の核心に近づくには、
そういう圧倒的な力に耐えないといけないことだってあります。
どんなに強い人でも太刀打ちできない圧倒的な力を持っているのが自然です。
子どもが自然の深い部分に触れるには、
自然の中でちょっとした冒険を子どもにさせればいいのです。
自然のきれいさ、
心地よさだけでなく、
圧倒的な不可解な力や怖さを体で知っておくことは、
生身の生き物としてとても重要なことです。
by. 桜井章一氏
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自然の厳しさや圧倒的な力を知っていると、
人生や仕事できびしいことがあっても自然のそれと比べると大したことないと思えるようになったりするのです。
子どもたちが語る思い出を聞いていると、
子どもたちにとっておもちゃよりも彼らと一緒に体を動かして体験したことのほうが圧倒的に心に残っているなと思います。
彼らの思い出話に、
おもちゃはまったく登場しません。
子どもはおもちゃがなくても、
そこらへんにあるものを使ってなんでもおもちゃにしてしまう発想や智恵があるのものです。
by. 桜井章一氏
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大人になったら失ってしまうような柔らかい頭を持っています。
子どもが体を使った遊びから学ぶものは、
小さくありません。
そういう体験は大きくなってからさまざまなところで生きてきます。
子どもが自分たちの体を使って工夫して遊びを生んでいく。
そんな環境をつくってあげるのも親の役目だと思います。
by. 桜井章一氏
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私の場合、
子どもが負けたときどういう態度をとるかを見るために、
本気でやることもあります。
ただ単純に勝つ喜びを教えたいときには、
負けてあげることもあります。
さらに勝つことがけっしていいわけではないこと、
また負けることも悪いことではないことも、
子どもに知っておいて欲しいことです。
親が「できる」ことより
「できない」ことのほうが、
子どもに重要な何かを伝えることがあるのです。
by. 桜井章一氏
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